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第4話 すてたい
指定されたホテルに向かいながら、使冴は匠からの仕事の内容を思い返していた。
『スミって名前でお前に指名が入るからよ。その男のスマホ、ハッキングしてこい』
ハッキングなど経験がないと話したら、携帯充電器のようなものを渡された。
『これ、スマホに重ねておいときゃいい。二分程度だ、簡単だろ。シャワー浴びている時にでも、ちゃちゃっとやれ』
ポケットに突っ込んだハッキング用の機器を取り出す。
(簡単ちゃ、簡単だけど)
この一カ月以内で二回、スミという客から指名を受けた。
いずれも失敗している。
(失敗したら、また殴られんだろうな)
失敗すると毎回、匠に殴られる。
挙句、薬で発情させられ、犯される。
匠はβだから、使冴のフェロモンを感じない。
使冴が発情している姿を観て犯して、その姿を録画して脅す。
(辞めるってもな。動画を握られてる時点で、俺に拒否権ねぇんだけどね)
匠の仕事を辞めたいなんて話したら、もっと酷い目に遭う。
「どーすっかなぁ」
呟いて、使冴は白い板のようなハッキング機器をポケットに仕舞った。
指定されたホテルの部屋は、前回までと同じだ。
インターホンを鳴らす。
すぐに扉が開いて、黒髪の男が顔を半分のぞかせた。
「こんばんは、マローから来ました|冴《さえ》です。御指名、ありがとうございます」
昼間と同じように明るい声で、天使の笑顔を振り撒く。
「……入って」
「失礼しまぁす」
室内に入り、荷物を置く。
スミから甘い匂いがした。
そういえば前にも同じ匂いがした。
(シャンプーかな。まさか、今回はシャワー済ませたか。ハッキングのタイミングが)
一人で風呂に行ってくれないと、仕事にならない。
スミは毎回、フェロモン体験の添い寝で使冴を指名する。
本当に添い寝しかしないから、離れる隙がない。
(危なくねぇ程度にフェロモンで酔わせて、ワケわかんなくすれば。あとは寝ている間にでも)
スミの隣に座って、腕を組む。
近すぎるくらい身を寄せて、ほんの少しフェロモンを滲ませた。
(スミさんにフェロモン使うの初めてだから、少しずつ様子を見て)
使冴のフェロモンは効果が強い。
流し過ぎると自分が危険だ。
「また指名してくれて、嬉しい。スミさん、僕のこと気に入ってくれた?」
猫なで声で、上目遣いにスミを見上げる。
肩を寄せて、するりと腕に手を滑らせた。
「ん……まぁ」
手元のスマホを眺めながら、スミがそっけない返事をした。
(スマホ観てるの、珍しいな。前は探すの大変だったのに)
持っている素振りすらなくて、服や荷物を漁って何とか探し当てた。
とりあえず探す手間は省けたと、ほっとした。
使冴はスミの髪に触れた。
肩に付くくらいに長いスミの髪に指を滑らせる。
「良い匂いする。ホテルのシャンプーじゃないよね。家の? それとも、他で遊んできた?」
ほんのわずかに、スミの視線が使冴に向いた。
またすぐ、スマホに戻った。
「家のかな。来る前にもシャワってきたから」
「ホテルでも入ってくれたの?」
「今日、暑いから。移動だけで汗かく」
使冴は心の中で舌打ちした。
(やっぱり済ませてた。もう一回、入るように誘導しとこう。完全に離れる時間が欲しい)
スミは起きると、すぐに帰る。
寝ている隙を見て盗むしかないが、急に起きたら怖い。
「僕も汗かいちゃった。シャワー、浴びてこよっかな」
立ち上がりかけた使冴の手をスミが引いた。
「そのままでいい」
「今日もフェロモン体験で、添い寝するよね? 入る決まりだから」
「いいよ、入らなくて」
握った手を強く引かれて、スミの胸に体が倒れ込んだ。
華奢で力もなさそうだから、驚いた。
「なら、一緒に入る?」
上目遣いに見上げる。
スミが、使冴を見下ろした。
心臓が、小さく鳴った。
(感情とか、いつも見えないのに。今日は妙にエロい。フェロモン、流し過ぎたかな)
黒い瞳の奥に、小さな灯が浮いて見えた。
「このまま、一緒に寝て」
「……うん、いいよ」
可愛らしく頷いて、スミの胸に縋る振りをする。
広いベッドに、いつものように二人で横たわった。
「もう少し、近付いて」
スミの腕が使冴の腰を抱き寄せた。
そこそこ距離を開けていたのに、一気に体が密着した。
(なんか、いつもと違って強引なんだけど。距離が近い)
ちらりとスミの顔を窺う。
いつもと変わらない無表情だ。
今日のスミは添い寝してもスマホを離さない。
使冴の胸に、僕然とした不安が広がった。
「……今日は少し、話、したいんだけど。いい?」
スミが抑揚のない声で問い掛けた。
「お話って、珍しいね。僕と、どんな話がしたいの?」
「冴くんて、天使すぎる家政夫さん?」
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
今日のスミがスマホを離さない理由が、わかった。
(そりゃバレるよな。SNSでバズったログ残ってるし、特集記事だって)
動揺する心を抑えて、微笑んだ。
「ぁ、あぁ……、似てるよねぇ。よく言われる」
目を逸らしつつ、とりあえず誤魔化した。
スミがじっくり使冴を見詰めている視線を感じる。
「まぁ、それはどっちでも、いいんだけど」
スミがスマホを枕元に置いて、使冴の顔を引き寄せた。
「俺が知りたいのは、冴君が白玉の人間なのか、根黒の人間なのか、ってこと」
「……は?」
心臓が冷えた。
思いもよらない質問に、言葉が出てこない。
「はっきりしてくんねぇかな。それにより対応が変わるから」
腰を抑えるスミの腕の力が強くて、逃げ出せない。
離れたくて身を捩ったら、腰と頭を抑える手が強まった。
「俺のスマホのハッキング指示は、根黒? でも白玉に籍を置いてる。どっちが本命?」
スミの目が使冴の目を捕えた。
その眼は白玉銀次と同じ、冷えた光を宿している。
(コイツ……確実に裏の人間だ。グレーどころじゃねぇ真っ黒な本物。|三品《サンピン》のレベルじゃない)
匠とは比べ物にならない眼力に、体が勝手に震える。
「ぁ……アンタは、何者なんだよ。自分のこと何も話さないのに、俺にばっかり聞いてんじゃねぇ!」
震える手で何とか体を押し返す。
頭の上で、スミが小さく笑った。
「こんなに震えてんのに吠えるの、可愛いな」
顎を強く掴まれて、無理やり顔を上向かされた。
「なっ……ぅんっ」
キスした唇が、ビリっと痛い。
舌先が痺れる。
離れたいのに、後頭部を抑え込まれて動けない。
「ぁ……ぁ……」
息が上がって、力が抜ける。
目が潤んで視界が霞む。
体が震えて、背筋に寒気が走る。
(この感じ、|発情期《ヒート》の……。それにこの、甘い香り……)
スミの髪の香りが、強くなった。
「フェロモン、やべぇな。今日は抑制剤、飲んでねぇから、酔いそうだ」
スミが、ごくりと喉を鳴らした。
(シャンプーじゃなくて、アルファのフェロモン? でも俺は、感じない、はずなのに……)
心臓の鼓動が速くなる。
息が上がって、声が出せない。
スミが、使冴の首筋を甘噛みした。
ゾクリと、肌が粟立った。
「やだ……噛む、な……」
力が入らなくて、声が震える。
スミの目に、欲情が浮いた。
「やっぱり、欲しいな」
触れるスミの手が熱い。
抱き寄せられた胸が熱い。
(ヤバい、ヤバイ、このままじゃ……)
スミの指が肌を滑るだけで、腹の奥が疼く。
「早くしねぇと、俺が持たねぇな」
鎖骨を舐めて、甘噛みされる。
どの仕草ももどかしくて、縋り付きたくなる。
スミが使冴の耳に息を吹きかけた。
「本当のこと、話す気になった? 話したら、楽にしてやる」
長くて細い指が、そろそろと使冴の首を撫でる。
「や……やめっ……ろ……」
触れるか触れないかの指が、鎖骨を撫でる。
それだけで、腰が大袈裟に跳ねた。
「んっ!」
「声、可愛い。もっと焦らして、泣かされたい? 楽になりたいなら……教えてよ」
スミが、ふっと息を吐く。
耳に掛って、ゾワゾワと肌が震えた。
(何も、考えらんねぇ。キス、したい……)
伸びそうになる手を必死に抑えた。
「冴君の本当の話、聞きたいな」
「ほんとぅの、はなし……」
震えが止まらなくて、声が上擦る。
「教えてくれたら、触れてほしい所に触れてやる……」
スミが言葉を止めた。
使冴は震える手で、スミの手首を握り締めた。
(……教えるって、何を……)
頭はもう何も考えられなくて。
溜まった涙のせいで、何も見えない。
なのに口が、勝手に動いた。
「もぅ、やだ。全部、やめたぃ」
自分が今、何を喋っているのか、わからない。
意識なんかしていない。
なのに、自分の口が、そう言った。
(全部リセットして、最初から、全部……)
記憶が逆回りする。
マシュマロハウスの仕事も、施設で過ごした日々も巻き戻して。
家族で暮らしていた、あの頃に戻りたい。
天使の仮面を脱ぎ捨てて、何もかも全部、やり直したい。
「すて、たぃ」
「わかった」
スミの短い言葉だけ、はっきり聞こえた。
体の疼きを上回る眠気が襲う。意識が突然、真っ黒に潰えた。
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