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第9話 昔の思い出

 ――監禁同棲生活が始まって、二週間。  伊純の生活パターンが、わかってきた。  伊純は相変わらず昼夜逆転気味で、そのリズムに合わせて食事を取る生活にも慣れてきた。  夜は、たわいない会話をして各々の部屋に戻る。  使冴も昼間は、仕事の如く家事をして過ごしている、が。 「暇だなぁ」  夜はすることがなくて、時間を持て余す。 (この時間はマローでフェロモン体験やってたからなぁ) 「ネットもテレビも駄目って言われてるし。やることがねぇ」  伊純のいう『外部との接触』は、オンラインを含む。  渡されているパッドも、ネット通販と診療以外に閲覧制限が掛かっている。 (情報までシャットアウトして俺を監禁する理由って、何?)  個人のスマホを解約された理由は、わかる。  砂川匠や白玉銀次への接触を避けるためだろう。 (伊純のスマホのハッキング、結果的に失敗してっから。本当なら今頃、匠兄貴にボコられてるもんな)  もう何回、同じ目に遭っているだろう。 (匠兄貴に逃げたと思われてるかな。あの動画、拡散とかされてねぇよな)  知らない場所で、知らない噂が回っている気がして、背中が寒くなった。 「ネット社会、怖い……」  自分の知らない所で知らない人間が、どんな噂をしているのか。  考え始めたら、怖くなった。   「伊純がいう、過去の人になるのに、どれくらい時間がかかるんだろう」  関係ない人間は、自分のことなんか忘れてくれたらいい。  覚えていて欲しい人だけが、覚えていてくれたらいい。 (店長さんとか、マシュマロハウスのスタッフの皆とか、伊純とか……。天国の父さんと母さんと、姉ちゃんとか)  フワフワのクッションに顔を埋めてソファでゴロゴロしていたら、眠気が襲ってきた。  何となく目を閉じる。 (この部屋は、居心地がいい。余計な雑音がなくて、安心出来て、天使の仮面も要らない。俺と伊純しかいない。まるで子供の頃の、家族が生きてた頃の家みたいだ)  クッションと同じようにフワフワした気持ちで、微睡みに流される。  正直、子供の頃のことは、よく覚えていない。  けれど時々、風に舞う綿毛のように、頭の中にふわりと記憶の欠片が浮かぶ。 (そういえば父さん、エアガン好きだったな)  家の中に練習場まで作る熱中ぶりだった。  普通の玩具より遥かに精巧なエアガンを、父は丹念に教えてくれた。 『しっかり覚えておきなさい。将来、きっと役に立つから。遊びながらだと、楽しいだろ』  優しい微笑で言う台詞にしては物騒だと、子供ながらに感じた。 『使冴に物騒なことばかり、教え過ぎよ』  気付けば何時間も子供と遊んでいる父を、母がよく注意していた。 (母さんと料理するの、好きだったな)  使冴の料理好きは母親譲りだ。  初めて作ったカップケーキを家族みんなが喜んでくれて、嬉しくなった。 『調味料は成分まで詳しく覚えるようにね。アレルギーは必ず確認するのよ』  母の教えは家事代行の仕事でも役に立った。 (姉ちゃん、調味料は薬と同じとか言ってたっけ)  思い出したらおかしくて、笑みがこぼれた。  十歳離れた姉は、薬科大学に進学した薬マニアだった。 『使冴も何か一つでいいから、得意を作るのよ。特に使冴はちょっと変わったオメガだから、身を守らなきゃ、ダメよ』  弟想いの優しい姉は、いつも使冴を守ってくれた。 (今の俺が得意なのって、家事だけだよ。自分を大事に出来てなかった。ごめん、姉ちゃん……)  微睡の向こうで、もう会えない家族が笑う。  懐かしい笑顔には、二度と会えない。  日常の延長でしかなかった筈の夜に、家族は跡形もなく焼き消えた。 (大事な存在は、簡単に消えるんだ。どんなに大切に想っても、理不尽に奪われる)  たった一つしかない命すらも、簡単に奪われる。  生きていても人格が奪われる。砂川匠が、豹変したように。 (匠兄貴は、どうして変わっちゃったのかな。昔は優しい兄ちゃんだったのに)  施設にいた頃の匠は、面倒見が良い兄のような存在だった。  同世代の子供とすぐに喧嘩する使冴を諫めてくれたのも、匠だ。 『お前は喧嘩っ早いなぁ。話してみたら、仲良くなれるかもしんねぇのに、勿体ねぇだろ』  使冴の手を引っ張って、人の輪に溶け込ませてくれた。  十五歳で施設を出た匠とは、長く連絡を取っていなかった。  高校を卒業する半年前、ひょっこり現れた匠に、白玉組の家事代行の仕事を勧められた。  初めはうまくいかなくて、予約もほとんど入らなかった。   『使冴は可愛い顔してんだから、それを武器にしたらいいんじゃねぇか』  匠の何気ない一言がきっかけで、キャラ作りを始めた。  顔にあった可愛い仕草で、美声を活かした話し方で、相手が欲しい言葉を発する。  それだけで、スカスカだった予約枠がどんどん埋まった。  使冴が人気者になり始めた頃、匠は白玉組を出て行った。  根黒組という、いわゆる反社に籍を置いてると知ったのは数年後だ。  久し振りに会いに来た匠はもう、使冴が知っている匠ではなかった。 『白玉がやってる、恋愛結婚斡旋所あんだろ。あそこで風俗やれ』  声を掛けられたのは使冴だけではなかった。  斡旋所が匠の仕事場に変わっていった。 『今となっちゃぁ、あそこは風俗と変わらねぇよ。上手くやりゃぁ、稼げる。ついでに俺のお願いも聞いてくれよ』  無碍にも出来なくて、匠が回してくる仕事を引き受けた。  嫌なのに、もう切りたいのに、流される。  自分じゃない誰かが、自分の体を使って、勝手に動いているみたいだった。 (金が稼げるならどうでもいいって、割り切った振りをした)  全部、耐えていれば終わる。  何も感じない振りをして、痛みなんか知らない振りをして、やり過ごした。 (でも俺は、本当は痛かったって気が付いたから。もう誤魔化していた頃には、戻れない)  ほとんど面識もなかった男が伸ばした手に、躊躇なく縋りついた。 (伊純……。俺は伊純を知らないのに、一緒にいると安心するのは、何でだろうな)  使冴に触れる指先は、初めての熱とは思えない。 (もっと昔に、あの手を握った気がする。あの時、あの子は確か……)  蹲る小さな背中を飛び越して、虐めている子供らを蹴り飛ばした。 『泣いてたって、変わんねぇぞ! 俺を虐めたら痛い目を見るぞって、言ってやれ!』  表情が乏しいのか、怖くて無表情だったのか。   『助けてくれて、ありがと』 『次、虐められたら、俺を呼ぶんだぞ』 『うん、わかった』  ようやく笑った笑顔に、安堵した。 (また、虐められなかったかな。立ち向かえたかな。あの子、元気に生きてるかな)  自分のような人生ではなく、幸せになっていて欲しい。  誰かに媚びるのでもなく、搾取されるのでもなく、自分が欲しい幸せの中で生きていたらいい。  幼かった頃に出会った、名前も知らない友達が、やけに懐かしかった。

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