10 / 24

第10話 本気の告白

 フワフワと微睡む意識が浮上する。  触れる熱が心地よくて、目が開けられない。 「なに……」  ちゅっと音をたてて、温もりが離れた。 「起きた」  目の前に伊純の顔があった。  ビクリと体が震える。 「寝ながら泣いてっから、怖い夢でも見てんのかと思った」 「夢……?」  何気なく触れた目尻が、しっとり濡れていた。 (俺、泣いてたのか) 「怖い夢っていうか、昔の夢、見てたのかも。よく、覚えてねぇ」  まだ頭がぼんやりしている。 「昔って、家族の夢?」 「家族とか、匠兄貴とか、あと……」  名前も知らない、幼い頃の友達だ。  伊純の手が、使冴の目をなぞった。 「父親の仕事が何だったか、覚えてるか?」 「父さんの? よくわかんねぇけど、国家公務員だったと思うけど」  どこの省庁でどんな仕事をしていたかまでは、わからない。 「……そうか」  相槌を打つ伊純の声が、不機嫌だ。  使冴の曖昧な返事が気に入らなかったのだろうか。 「家族のこと、よく覚えてねぇんだよ。俺もガキだったし」 「別にいいよ。それより、砂川匠の動画は回収したから、心配ねぇよ」  ドクン、と心臓が大きく下がった。  視界が揺れて、伊純の顔がブレた。  嫌な汗が胸に流れる。 「回収……って、匠兄貴、どうなったの?」  伊純が使冴を、ちらりと眺めた。  目付がいつもより鋭い。 「どうにかなってたら、使冴は心配すんの?」 「心配っていうか、多少は世話になった人だし。動画回収したってことは、ただじゃ済んでねぇだろ」 「っ……手前ぇはっ」  伊純の腕が、使冴をソファに押し倒した。  両肩を掴まれて、身動きが取れない。 「いっ……! なんだよ、急にっ!」 「なんで砂川を庇うんだよ。酷ぇ目に遭わされたクズが死のうが、どうだっていいだろ」 「確かに酷ぇ目に遭ったけど、死んでいいとまで、思ってねぇよ」  伊純の顔が近付いて、使冴の唇を噛んだ。  痛みが走って、血の味が口の中に広がった。 「もっと自分の心配してろ。あんな動画、拡散されたらどうなると思ってんだよ」 「待って、伊純。……観たのか?」  ドクドクと、心臓が強く脈打つ。  鼓動が速くて、息が詰まる。 (いやだ、あんな姿、伊純には見られたくない)  伊純が、ギリっと歯軋りした。 「観たよ。だからムカついてんだろ。本当は殺してやりたかったよ」  伊純の声が地を這うように低い。  いつもは淡々として表情なんかない顔が、怒りで溢れている。  伊純の表情に気付いたら、心臓の音が静まった。  ただ速い鼓動だけが、脈々と流れる。 (俺以上に怒った顔してる。観られたくなんか、なかったけど。でも……)  勝手に伸びた手が、伊純の頬を包んだ。  伊純の目から自分を隠すように、胸に抱いた。 「伊純が殺人犯にならなくて、良かった」 「今度は俺の心配かよ。もっと怒れよ」  使冴に素直に抱かれて、伊純が静かな怒りを滲ませる。 「俺は内容、知ってるから。今更、動画はどうでもいい」  今は、伊純にどう思われるかのほうが、怖い。 「お前な! 何、普通に話してんだよ! 大概にしろ……」  伊純が勢いよく顔を上げた。  目が合った瞬間、伊純が口を引き結んだ。 「そんなん、全部まともに感じてたら、多分、今、生きてねぇよ」  この程度、自分にとっては大事でもない。  そんな風に考えて、痛みも怒りも感じない振りをして、誤魔化して生きていたから。  胸が軋むたび、自分の中の何かがすり減っていくのを感じていた。  喪失感と絶望は、昼間の仕事の達成感で補ったつもりでいた。 (傷口が塞がらないまま、今日まで生きてたんだな。伊純の顔を見て、気が付いた)  伊純の顔が怒りを残したまま、蒼褪めた。  その顔に指を伸ばす。  怒りを隠さない顔が、熱を帯びている。 「怒る、つーかさ。匠兄貴には、もっと違う感情……ショック、とも違うか。あんまり言いたくねぇけど、同情とか、憐みとか、そんな感じ」  落ちるところまで堕ちたんだと、心の奥では蔑んでいた。  根黒組に移ってからの匠は、弱者を蔑んで安堵する臆病者の目をしていた。  それに気付いてからは、抵抗するのをやめた。    伊純の目から、少しだけ怒りが抜けた。  いまだ熱い頬を、指でゆっくり撫でる。 「それより今は、伊純に動画を観られたショックのほうが、痛ぇもん」  伊純の目尻が、ピクリと引き攣れた。 「だけど伊純が、らしくねぇくらい怒ってくれたから、俺はそれでいいや」 「いいワケねぇだろ。意味わかんねぇ」  伊純が腕を回して、使冴の体を抱きしめた。 「あの動画を観た後でも、伊純は俺を抱きしめてくれんだ。なんか、癒される」 「抱きしめる以外に選択肢ねぇだろ。簡単に癒されんな。クズ野郎を許すな」  伊純の怒りも、抱きしめてくれる腕も、安心するし、嬉しい。  ただ、一つだけ不安はあった。 「俺はさ……ああいう扱いをされてきた男だよ。そんな俺が、ここにいて、いいの?」  伊純がどんな気持ちで使冴をこの家に招き入れたのか、わからない。  けれど今は、使冴を掴まえる手が離れていくのが、一番怖い。 「そうじゃねぇだろ。使冴はあんな扱いをされていい男じゃねぇんだよ。使冴は最初から俺のもんだよ」  思いもよらない返答に、使冴は吹き出した。  安心して、気が緩んだ。 「何だよ、それ。お前のほうが意味わかんねぇだろ。今日は本当に、らしくねぇな」  普段は淡白で、時々交わすキスすら挨拶のようなのに。  今日はずっと苛々して、怒っている。  こんな伊純を見るのは、初めてだ。 (俺のために怒ってくれてるって思うのは、都合のいい勘違いだろうけど)  伊純には、使冴に話していない何かがあるんだろう。  動画回収は、そのための通過点に過ぎないんだと思う。   (それでも嬉しいって、思っちゃうんだよな)  こんな感情には慣れていないから、こそばゆくて変な気分だ。 「うるせぇな。本当に、わかってねぇのかよ」  伊純の腕が強まって、縛るように使冴を抱く。  唇が強引に重なって、熱い舌が触れた。 「んっ……ぅんっ」  声も漏らせないほど深いキスで息ができない。  苦しくて、頭がクラクラする。 「ぁ……んっ」  離れた唇が何度も重なって、唇を噛む。 (なん、だよ、これ……。こんなのまるで、本気みたいで)  無意識に伊純に縋り付く。  求める唇がようやく離れると、使冴は大きく息を吸い込んだ。 「はっ、はぁ……」  同じように息を切らして、伊純が使冴を見詰めた。  その顔を見たら、茶化すような言葉は言えなかった。 「伊純……今の、なんか、いつもと違う。挨拶っぽくなかった……」 「使冴に挨拶でキスしたことなんかねぇよ」 「じゃぁ、どういう……っ!」  伊純の唇が使冴の首筋を噛む。  ビリっと淡い痺れが走って、皮膚に沁み込んでいく。 「好きじゃなきゃ、本気で助けようなんて……」  くぐもった声が、肌を伝って耳に流れ込んだ。 「……え?」  伊純の肩が、ぴくんと震えた。  大きな体が使冴の上で硬直した。 (なんだ、今、なんて言った……?)  伊純から零れた言葉に、理解が追い付かない。  使冴を抱く腕を解いて、伊純が起き上がった。  無言で立ち去ろうとする伊純の腕を、使冴は慌てて掴まえた。 「待てよ、伊純。どこ行くんだよ」 「部屋で仕事。使冴は風呂入って寝ろ」  淡々と話しているようで、動揺して聴こえる。 (いつもより声が震えてる)  それがやけにリアルで、さっきの言葉が使冴の脳に沁み込んだ。 「今の、好きって……」 「動画にムカついただけだ。使冴を助けたのは俺の都合だ」  伊純が、使冴の腕を振り解く。  離れようとする体に抱き付いた。 「だから、伊純の都合って、何だよ!」 「何でもねぇから、離せよ」 「話、終わってねぇだろ」 「もう話すことねぇよ。砂川なら生きてるけど、これ以上は話せねぇ。これでいいか?」 「それも気になってたけど、そうじゃなくて」  抱き付いた伊純の体に、更に強く腕を巻き付ける。 「おい、マジでやめろ」    伊純が使冴の肩を押した。 「らしくねぇとか、茶化した言い方して、ごめん。伊純がそう思ってくれんなら、俺も……」  言葉が弱々しく途切れた。 (俺も、何? 俺は、どうすんの? 伊純をどう想ってんの?)  自分の気持ちが、わからない。  わからないのに、顔が熱い。  さっきとは違う強さと速さで、心臓が脈を打つ。 「はぁ……」  大きく息を吸って吐いた伊純が、体の力を抜いた。  使冴の腕をするりと解いて、隣に腰掛けた。 (なんか、気まずそうな顔してる。それに、耳が赤い)  髪の隙間に見え隠れする耳が、真っ赤だ。 「……今すぐ項、噛みてぇくらいには、好き」  薄く開いた口から、かすれた声が流れた。 (好……)  口を開いたら喉が締まって、使冴は何も言えなかった。 「噛まれたくなかったら不用意に近づくな」  すっくと立ち上がり、伊純が自分の部屋に戻って行った。  後姿を茫然と見送る。 (伊純がアルファで、俺はオメガだから。項、噛まれたら番になっちゃうよな)  婚姻より強い、体に刻まれる絆だ。  何よりも本気の告白をされたのだと気付いたら、顔が熱くなった。 「……え? うそ、なんで」  全然、思考が纏まらない。  只々、静かに鼓動が速まって、体が熱を増す。  使冴はしばらく動けなかった。

ともだちにシェアしよう!