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第14話 隠された真実
本気のプロポーズから五日後。
やっぱり、いつもと変わらぬ日常を過ごしている。
変わったことは、暦が八月から九月になったくらいだろうか。
(拉致られたのが確か、七月下旬くらいだったから。あっという間に一カ月以上、過ぎたな)
窓から外を眺めても、景色は特に変わらない。
ただ、見え方は変わった気がする。
「空って、こんなに広くて高かったっけ」
タワマンの高層階から見上げても、空は遥かに遠い。
使冴が知っている空は、ビルとビルに挟まれた狭くて濁った青だ。
「あの頃は暑い中、歩き回ってたのになぁ。部屋から一歩も出なくても、生きられるもんだな」
部屋から出なくても平気でいられるのは、一緒に住んでいる相手が伊純だからだと思う。
伊純とは距離感がちょうど良い。
「……夕飯までには、帰るって言ってたよな」
伊純は昨日の昼から留守にしている。
使冴は初めて、この部屋で一人になった。
(同じ空間にいないって思うと何か、ちょっと心細い)
仕事なんだろうから、仕方ない。
「よし! 夕飯は冷しゃぶサラダ作ってやろ。特製ネギ塩だれ、気に入ってたし」
寂しい気持ちを振り切って、使冴は家事に専念した。
ルーティンである洗濯を終えると、ちょっと気持ちが上がった。
「次は掃除~」
廊下に掃除機をかけながら、奥の部屋の扉を眺めた。
「空き部屋、床の空拭きしてワックスしようかな」
(使う予定があるか知らねぇけど。家具が入る前にやっとけば、いつでも使えるもんな)
などと考えながら掃除機をかけていたら、掃除機が紙を食った。
ガガっと大きな音をに慌てて、使冴は電源を切った。
「ぅわ! かなり巻き込んだな。掃除機、壊れたかも。何だろ、これ。……書類?」
掃除機の吸い口から、力任させに引っ張る。
「こんなの、さっきまで落ちてたか? 一体、どこから……」
数枚の白い紙が点を結ぶように落ちている。
繋がる書類の先は、伊純の部屋だ。
「伊純の部屋の扉、空いてる」
歩み寄ると、扉が半開きだ。
違和感とも取れない不安が、一瞬だけ胸を過った。
(伊純が鍵をかけ忘れるなんて、有り得ねぇよな)
在室中でさえ、ガキを掛けて過ごす伊純だ。
この一月で、施錠を忘れる姿を観たことがない。
ごくりと息をのむ。
使冴は、散らばる書類の中から一枚を拾い上げた。
目にした瞬間、使冴の息が止まった。
「父さん……?」
その紙には、使冴の父である『天久|聖冴《せいご》』のプロフィールが書いてあった。
「警察庁……監視官?」
父親は国家公務員だった。
それ以上の情報を、使冴は知らない。
(警察庁刑事局、組織犯罪対策部、監視官。……父さん、警察官だったんだ)
そんな話、一度も聞かなかった。
心臓が、ザワザワと嫌な音を立てる。
「国家機密事件捜査班、|Dissolve《ディゾルブ》、班長……」
書類を持つ手が、震える。
(Dissolveなんて、聞いたことない。伊純は、知ってた? 調べた?)
使冴の素性を把握している伊純が、使冴の家族について調べるのは、不思議ではない。
視界の端が捉えた書類に、手を伸ばした。
震える指で、白い紙を摘まみ上げる。
書かれた文字を見て、使冴の息が冷えた。
『天久|栞里《しおり》(42):Dissolve捜査官・電脳部』
『天久|栞凛《かりん》(20):Dissolve捜査官・実働部』
(母さんと、姉ちゃんも……? しかも、ここに書いてある年齢って)
火事に遭った時の年齢だ。
天久聖冴の年齢も四十五歳と表記されている。
指の震えが、収まらない。
心臓は冷えたまま、細かく鼓動を揺らす。
使冴の目が、伊純の部屋の扉に向いた。
散らばった紙は、伊純の部屋に続いている。
使冴の手が無意識に、伊純の部屋の扉を開けた。
ブラインドが降りた薄暗い部屋の中で、モニタが異様な光を発する。
視界がだぶって、過去の記憶と重なった。
(母さんの部屋、機械がいっぱいだった。伊純の、この部屋みたいに)
暗くて硬質で、冷たくて。
在室中も不在時も、常に鍵を閉めていた。
(穏やかで優しい母さんの背中、あの部屋にいる時だけは怖かった)
突然、パソコンの起動音が鳴った。
使冴の肩が、びくりと跳ねた。
「なんだよ、これ……」
モニタに駆け寄り、表示された画面にかじりついた。
『Dissolve班長一家襲撃事件、根黒組の犯行と断定』
『煙草の投げ捨てによる事故と報道』
『三人が死亡、長男は行方不明』
間違いなく、十五年前の事件だ。
「火事は、事故じゃなかった……? 根黒組に、殺された」
頭の奥に、映像が浮かびそうになる。
真っ赤な血、倒れる母と姉の姿、父の笑顔、飛び交う銃声。
「ひっ……」
喉が締まって、声すら出ない。
モニタの画面が、また切り替わった。
『|Dissolve《ディゾルブ》:国家機密事件捜査班。通称:反社のバラシ屋』
その文字に、使冴の視線が縫い留められた。
「バラシ屋……」
御影組の裏の通称も「反社のバラシ屋」だ。
使冴は、マウスをスクロールした。
『天久聖冴殉職につき、御影伊知郎を副班長から班長に昇進』
『行方不明の長男・天久使冴は女王蜂Ω。バース保護法の適応』
指が、びくりと震えた。
目の上を文字が滑って、脳の処理が追い付かない。
「女王蜂、Ω?」
心臓が重い鼓動を走らせる。
嫌な汗が、ジワリと滲む。
息が浅くて、うまく吸い込めない。
マウスをスクロールしようとした使冴の手を、後ろから伸びた手が握った。
「っ……!」
「はい、そこまで」
息を止めて気配を振り返る。
使冴の手を握ったのは、伊織だった。
「伊織さん、なんで……」
「伊純の部屋って、立ち入り禁止じゃなかった?」
使冴の言葉に、伊織がわざとらしく被せた。
何も言い返せなくて、使冴は口を閉じた。
「書類が……落ちてたから。ドアも、開いていたし」
「だから、入っちゃった?」
「ん、ごめんなさい……」
「これは困った。伊純が必死に隠してきた真実、見ちゃったね」
使冴は俯いて、口を引き結んだ。
「まぁ、仕掛けたのは、俺なんだけどね」
「……は?」
思わず顔を上る。
使冴を眺める伊織が、満足そうに笑んだ。
「伊純がダラダラしてるから、俺が気を利かせたんだよ。これ以上、使冴君に真実を隠し続けるのは、デメリットだからね」
伊織の声が、一段低くなった。
ビクリと肩が震える。
使冴の体が、反射的に仰け反った。
「びっくりした?」
にこやかな問いに、使冴は素直に頷いた。
「かなり、驚いた」
それしか言葉が出なかった。
(あまりにも何も知らないって言った伊純の言葉、こういう意味か)
頭は酷く混乱してる。
なのに、胸は腑に落ちている。
フラッシュバックしそうな記憶を、脳が必死に堰き止める。
胃が気持ち悪くなった。
「伊純が保護したのは天久のΩに引き継がれる女王蜂の血統だ。御影はその血を取り込みたい」
伊織の声が淡々と事実を述べる。
使冴は、顔を上げた。
「伊純には、何度も口説かれているだろ?」
「そうだね。口説かれてるよ」
得意げに笑む伊織から目を逸らした。
「伊純への返事を保留にしているって、何か理由があるんだよね。伊純が気に入らないなら、相手は俺でもいいよ。使冴君が好きなほうを選んでね」
大変、不自由な二択だ。
選択肢は初めからない。
(伊純の気持ち、先に聞けて良かった。伊純の心を疑わないで済む)
目の前に突き付けられた真実でも、計算高な伊織の言葉でもない。
伊純の言葉だけがリアルに響く。
『世間体も柵も他人の作為も、何もないこの部屋で、使冴が俺に惚れてくれたら、それからって』
聞いた直後より、輪郭を鮮明にして浮き上がる。
(伊純がくれる言葉は、どれも本当だから)
伊純は多くを語らない。
けれど、使冴に嘘を吐いたことはない。
今になって、はっきりわかる。
(早く伊純に会いたい、触れてぇな)
顔が、ほんのり熱くなる。
優しい鼓動が、とくとく流れる。
「っ……」
伊織が、息を止めて顔を顰めた。
始めて見る表情だ。
「急にフェロモンが強くなったね。わざと?」
「え? そんなつもり、ねぇけど」
伊織の手が使冴の顎を掴まえる。
「俺もアルファだから、使冴君のフェロモンに酔うんだよ。女王蜂は殊更の美酒だ。たった一滴でアルファの理性を根こそぎ奪う」
迫る伊織の目が蕩けている。
フェロモンに中てられている顔だ。
「こんなに狭い空間で二人きりなのにフェロモンを浴びせてくるんだから、誘ってるんだろ?」
伊織が強引に近づく。
瞳の焦点が、微かに揺れている。
顎を掴む指の力が、強い。
(伊織さん、本当に酔ってる。何とかしねぇと、フェロモン、抑えねぇと)
使冴は必死に伊織の顔を押し返した。
「やめろ、離れろ」
伊織の掴む力が、どんどん遠慮を失くしている。
デスクに上半身を押し倒されて、身動きが取れない。
「は……使冴君」
伊織の顔が、使冴の首筋に沈んだ。
熱が触れて、背筋に寒気が走った。
「や、やだ……っ!」
伊織の後ろに黒い影が立った。
瞬間、離れた伊織の体が、壁まで吹っ飛んだ。
「……伊純」
「大丈夫か、使冴」
使冴の体を起こして、伊純が抱き寄せた。
「いっつ……」
壁に体を強打した伊織が頭を押さえている。
「殺すって言っただろ」
伊純が伊織を睨みつけた。
呻るように血を這う声が、腹に響く。
「あーぁ、バレたか。残念」
全く残念じゃない顔で、伊織が悪びれもせずに笑んだ。
「女王蜂の蜜が欲しいから、俺も参戦するよ。どっちの嫁になるか、使冴君に選んでもらおう」
伊織がまだ蕩けた目で笑んだ。
伊純が顔を顰めた。
「それで兄貴が納得するんなら、構わねぇよ。俺が娶るだけだ」
伊純が使冴を引き寄せた。
伊織は余裕の表情だ。
「そういう訳だから、よろしくね、使冴君」
何とも返事ができないまま、使冴は伊純と伊織を見比べた。
望まない方向に流れた状況に、漠然とした不安が滲む。
触れる伊純の手が、やけに熱く感じた。
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