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第15話 三人暮らし

 昨日、使冴に罠を仕掛けた伊織は、堂々と使冴の嫁取りに参戦を宣言した。  その瞬間から三人暮らしが決まったらしい。  空いていた伊純の向かいの部屋に住み付いた。 「そういう無駄使いは、結構です」  引っ越すたびに新しいマンションを買おうとする金持ち心理がわからない。 「なんで、この部屋に住むんだよ。兄貴は関係ねぇだろ」  伊純がとても不機嫌にクラムチャウダーをパクパクしている。  スープが好きな伊純のために毎食、作っているから、使冴もレパートリーが増えた。 (痩せの大食いっていうか。豪快に食うし早食いだけど、好きなものは食べるのが、ゆっくり)  味わっているんだろうなと思うと、何だか可愛い。 「関係あるだろ。使冴君は俺のお嫁さんになるかもしれないんだから」  伊織が楽しそうに煽る。  伊純が無言で伊織を睨みつけた。 (伊純も伊織さんも警察組織の|捜査官《エージェント》、しかも偉い人。そんな風には見えねぇなぁ)  一見すると二人とも、どこにでもいそうな若者だ。  反社を取り締まる超法規的警察組織の役付には見えない。  御影組が巨大反社とかいう噂は立場上の、意図した流布らしい。 (俺も、すっかり信じてた。世の中って、こういう風にできてんだな) 「使冴君の嫁取は、親父の悲願だからね」  伊織が目を細める。  何とも確信的な笑みだ。 (陽キャイケメンが爽やかに笑ってる顔にしか見えねぇけど。言ってることが物騒なんだよな)  使冴にとって伊織は、平然と爆弾を投下していく通り魔だ。  しかし伊純にとっては、もっと深刻な存在らしい。 「親父の思惑なんか、知らねぇよ。兄貴は無駄に動くな」  伊純が吐き捨てて、舌打ちした。 「思惑じゃなくて、心残りなんだよ。親父と聖冴さんは親友で元同僚だからさ」 「父さんの同僚だったんだ」  使冴は、ぽつりと零した。 (親友、か。父さんから御影の名前、聞いたことなかったな)  聞かなかったのか、覚えていないだけなのか。  火事より前の記憶が曖昧な使冴には、よくわからない。   「勿論、得意なオメガを取り込みたい打算もあるよ。それを隠す気はない」  伊織が使冴に向かい、ニコリと笑んだ。  その顔を、使冴はじっと見詰めた。 (まただ……。率先して打算的な発言するの、きっとわざとだよな)  伊純が話しづらい言葉や説明を、伊織が先回りして使冴に伝えている。  そんな風に思えてならない。 「俺でも伊純でも、好きなほう選んでね」  伊織が使冴に、とびきり爽やかな笑顔を振りまいた。  昨日も伊織に提案された、不自由な二択だ。  選択肢を提示しているようで、逃げ場がない。 (まさか人生リセットの代償が、結婚だったとは)  これだけ大掛かりに使冴を囲った理由が、ただの親切なわけがない。  何かしらの事情があるんだろうとは、考えていたが。 (だからって秘密組織の役付と結婚って。スケールがデカすぎて、自分事な気がしねぇ)  突然、開示された事実を、使冴の脳が処理しきれない。  使冴は、ちびちびとクラムチャウダーをすすった。 「使冴を急かすな。使冴の意志が最優先だ」  伊純が乱暴にコーヒーカップを持ち挙げる。 (イライラしてんな。コーヒー消費量、増えそう。薄くしとかねぇと)  伊純は水のようにコーヒーを飲む。  ブラックで濃いめが好きだ。  胃の負担を考えて、最近はこっそり薄めて出している。   「意志なら尊重するよ。俺も使冴君を口説く時間が欲しいからね。じっくり考えて、選んでね」  伊織が身を乗り出して使冴に迫った。  体が思わず仰け反る。  伊織の顔を、伊純が押し戻した。   「口説くって、何するつもりだよ」 「何って、言葉の通りだけど? 出遅れた分、取り戻さないとね」 「興味なかったんじゃねぇのかよ。使冴の件は俺に一任で纏まってるはずだ」 「興味はあったよ。可愛い弟に譲っただけだ」 「なら引き続き、譲っとけよ」  伊純が苦い顔をしている。  伊織は終止、楽しそうだ。 「伊純が使冴君の好みじゃなかったら、永遠に纏まらないだろ。お前は強硬手段に出る気もないようだから。補欠要員が繰り上がっただけだよ」  少しだけ、伊織の声のトーンが落ちた。  軽口を立ちている時より、声も雰囲気も温度が下がる。 (肌がひりつくみたいに、空気が変わる。やっぱ伊織さん、食えねぇな)  二人のやり取りを、使冴は遠巻きに眺めていた。 「さぁて、そろそろ時間だ。出よっかな。使冴君、御馳走さま」  時計を見た伊織が、立ち上がった。  スーツ姿で出勤だと、爽やかなサラリーマンだ。  とても国家が抱える捜査官には見えないし、裏で噂されているようなヤクザにも見えない。 「待って、伊織さん」  立ち上がってキッチンに入る。  保冷バックを手に、玄関に向かう伊織に駆け寄った。 「はい、これ。嫌じゃなかったら、お昼に食ってよ」 「え? まさか、お弁当?」 「ササミ好きの伊織さんには、ちょっと脂っぽいかもだけど。次からは、低脂質高タンパクのおかず、考えるよ」  伊織の目が笑んで、細まる。  ちょっとだけ使冴の心臓が跳ねた。 「作ってくれただけで、嬉しいよ。ありがとう」 「……うん」  普通に喜ばれたから、使冴の反応が薄くなった。 (もっと揶揄われるかと思った。あんな嬉しそうな顔、するんだ)  無防備に笑んだ顔は、ちょっと可愛かった。 「色々、期待しちゃうな」  保冷バックを受け取った伊織が、使冴の額にキスをした。 「なっ! 伊織、手前ぇ!」  伊純が、がたりと立ち上がる。 「伊純が怒る前に、行ってきまーす」 「もう怒ってるよ! さっさと行け! 二度と帰ってくんな!」  伊純の怒声を笑いながら流して、伊織が仕事に出て行った。  息荒い伊純の肩を摩って、使冴は半笑いした。  こうして、波乱の三人暮らしが、唐突に始まった。

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