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第16話 添い寝のお願い
大きく息を吐いた伊純が、フラフラと移動してソファに凭れた。
「大丈夫か? いつもより起きんの早すぎて、眠いんじゃねぇの?」
コーヒーをテーブルに置く。
背中が可哀想だったので、伊純が好きな濃いめのコーヒーにしておいた。
「眠ぃとか、それどころじゃねぇ」
伊純が朝から、かなり疲れている様子だ。
「伊純って、伊織さん苦手なの?」
「苦手つーか、性格違い過ぎてな。兄貴と話してると、疲れる」
「それは、わからなくはねぇな」
コロコロとテンションが変わるし、話題も飛ぶから、話だけで疲れる。
優しそうな雰囲気だが、表情から気持ちも読みづらい。
(家事代行や斡旋所の客だったら、間違いなく警戒するタイプだけどな)
隣に座った使冴の手を、伊純が握った。
「使冴を奪われんのだけは、阻止する」
「それはねぇから、安心しろ」
きっぱり言い切った使冴を、伊純が訝しそうに見詰めた。
「お前な。発情期に孕まされたら、詰むんだぞ。無理やりでも項を噛まれたら、番は取り消せねぇ。兄貴が言ってた強硬手段は、そういう意味だ。警戒しろ」
「まぁ、そうなんだろうけど」
番にならなくても孕ませてしまえば、結婚する大義名分には充分だ。
一緒に住んでいれば項を噛むチャンスなんか、いくらでもある。
(本気でそこまでする気、なさそうだけどな。つか、俺を本気で口説く気すら、ねぇんじゃねぇかな)
伊織を観察した使冴の勘でしかないが。
さっきだって、使冴への口説き文句より伊純への忠告が多かった。
(焚きつけに来てるって感じるんだけど。俺の考え過ぎかな)
「……悪かったな。ちゃんと、話さなくて」
目を逸らした伊純が、俯いた。
「俺の家族のこと? 御影の仕事のこと?」
「どっちもだけど。使冴を嫁にするために拉致ったことも」
拉致という言葉に、今更ドキリとする。
最初は気にならなかったのに。
今は言葉にされると、何故か胸が軋む。
「伊純も、そういうつもりだった?」
伊純が使冴から目を逸らした。
「俺は……。使冴が欲しかったから。手に入るなら手段なんか何でもいいから、親父の提案を利用した」
顔を背けても、耳が紅いのは丸見えだ。
「最低だろ」
「んなこと、ねぇよ。俺からしたら有難かったよ」
あの地獄から救いあげてくれた。
強制的にリセットされた生活が、使冴には心地良い。
「それに、伊純の気持ちは、もう知ってる」
小さな声で呟いた。
(伊織さんに会ってから、伊純の言葉を前より本音に感じるんだよな)
こそばゆくて、嬉しい。
「俺の気持ちって、どういう意味で言って……」
「伊純ってさ、俺のこと、ずっと見てた?」
振り返った伊純に、別の質問を被せた。
「……観てたよ。行方不明だった使冴を児童養護施設で見付けてから、ずっと」
「やっぱり、観てたんだ」
バース保護法による見守りはDissolveに一任されていたんだろう。
伊純は使冴を拉致したのではなく、助けに来た。
(今になって伊純の行動を振り返ると、合点がいく)
観察の事実より、伊純の気持ちがいつから育っていたのかが、今は気になる。
でも、聞くのは恥ずかしい。
「助けに来るのが遅くなって、ごめんな」
伊純の手が使冴の頬を撫でる。
ガラス細工に触れるように繊細で、少し臆病な手つきだ。
(匠兄貴の暴力のことかな。充分、早かったと思うけど)
それでも伊純は気に病むのだろう。
淡々とした表情の裏側に、後悔が滲んで見える。
「全然、遅くねぇよ」
伊純の掌に、そっと口付けた。
「そもそも気付けたの、すげぇよな。匠兄貴の待ち伏せって、巧妙だったのに」
斡旋所の仕事でホテルに行ったら匠がいた、という状況が何度かあった。
家事代行の新規予約で尋ねた家に匠が待ち構えていた時は、驚いた。
(あの時は考えなかったけど、今思えば不自然か)
「やっぱ警察は、気付けるもん?」
超法規的組織とかいうくらいだから、調べられるんだろうか。
「砂川のバックが厄介でさ。洗うのに手間取った。白玉のおじきの協力がなかったら、スルーしてたかもな」
ドキッと、心臓が小さく跳ねた。
躍り出た名前に、胸の奥が冷えた。
「白玉のおじきって、店長?」
伊純の目が、すぃと使冴に向いた。
「白玉銀次は、御影が個人で雇ってる情報屋でさ。ガキの頃からよく知ってる」
「じゃぁ、俺がここにいることも、店長は知ってんの?」
「匂わせてはいるけど、はっきりとは伝えてねぇよ。おじきはDissolveの捜査官じゃねぇから」
「そっか……」
(だから店長は、最後だって『スミ』さんを押したのか)
あの時の白玉が、使冴は少しだけ違和感だった。
使冴の中で不自然に途切れていた糸が、繋がった。
「使冴は顔や態度に出ねぇから、白玉のおじきも気付くのが遅れたってよ。お前、どんだけ役者なの?」
伊純の手が、使冴の額を軽く小突いた。
「役者じゃなくて、忘れるようにしてただけなんだけど」
軋んで痛む心を感じたくなかっただけだ。
伊純が使冴の腕を引いた。
傾いた体を支えて、膝の上に抱き上げた。
「伊純? どした?」
「痛ぇとか辛いとか、これからはもっと言えよ。……俺にだけ、言え」
最後の言葉が、照れて聴こえた。
「言ってる気がするけど。伊純の前で大泣きしたばっかだろ」
人前で大泣きしたのも、しがみ付いて寝落ちたのも、初めてだ。
(誰かに甘えるなんて、怖いのに。伊純の手は安心するんだよな)
冷たい指先が、火照った傷を優しく癒す。
胸の奥が温かい。
「泣きたくなったら、また一緒に寝てやるよ」
伊純の胸にやんわりと抱かれる。
匂いが鼻を抜けた。
胸の芯が、じんわりと甘く痺れる。
(伊純の匂いを感じると、頭の芯が痺れる。最近ずっと……)
気持ちがフワフワして、もっと縋り付きたくなる。
「今夜から毎晩、あのでっかいベッドで一緒に寝てよ」
使冴の頬を滑る伊純の指が、ピクリと震えた。
「……は? 襲ってくれって言ってんのか?」
「襲ってもいいけど。あの時みたいに、添い寝して欲しい」
伊純が軽く頭を抱えた。
「使冴のフェロモン、日増しに濃くなってるって、言ったよな? 発情期、近い?」
「発情期は、まだだけど。そんなに流れてる?」
意識して絞っているはずなのに。
この部屋に来てから、伊純はずっと使冴のフェロモンを感じ取っている。
「じゃぁ、やめとくか。伊純が辛ぇよな」
伊純が苦渋の表情で頭を抱えた。
「……使冴が抑制剤、飲むなら。一日おきくらいは、寝てもいい」
欲と理性のせめぎ合いが打ち出した妥協案だと悟った。
(そんなに悩まなくても。俺は伊純に触れて、発情してみたいのに)
感じたことがないアルファのフェロモンを、伊純から感じたい。
伊純を直に感じられたら、胸に痞える想いを吐き出せる気がする。
伊純の苦悶の表情を眺める。
本能に負けて抱いたりしたら、伊純は後悔するんだろう。
ちゃんと返事をしなければと、改めて思った。
「うん、飲む。伊純の腕枕、よく眠れるから好きなんだ」
「……そうだな。ぐっすり寝てたもんな」
伊純の表情が複雑だ。
嬉しそうにも辛そうにも見える。
よくわからなくて、使冴は心配になった。
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