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第24話 お兄ちゃんの失恋

 仕事から帰ってきた伊織が最初に気が付いた異変は、部屋の様子だった。  マンションの部屋中に充満していた使冴のフェロモンが、きれいさっぱり消えている。 (使冴君が目を覚ました、だけじゃないな。まさか、番になったのか?)    急く心でドアを開けて、リビングに入った。  伊織の姿に気が付いた使冴が料理の手を止めて伊織に駆け寄った。 「おかえり、伊織兄ちゃん」  突然の兄ちゃん呼びに、ほんの少し動揺した。 「うん、ただいま」 「伊織兄ちゃん、俺さ。伊純の番になったから、伊純と結婚するよ。一緒に住んでくれたのに、ごめんな」  使冴の言葉に動揺したのは、後ろで夕食の準備を手伝っていた伊純だった。  二人を見比べる。  後でゆっくり話すつもりだった伊純と、早く伝えたかった使冴の温度差を感じ取った。  その温度差と、使冴の突然すぎる告白がおかしくて、伊織は吹き出した。 「起きて早々、随分と急展開だね。どうしてそうなったか、聞いてもいい?」  笑いを噛み殺しながら、使冴に問い掛けた。  あれだけ渋っていた伊純が決断に至った経緯は大変気になる。  ちらちらと伊純の様子を窺う。  澄ました顔をしているが、照れているのはよくわかる。 「あ、そっか。俺、二日も寝てたんだよな。迷惑かけて、ごめんなさい」  使冴が、ぺこりと頭を下げた。  相変わらず律儀だ。  伊純は、使冴の頭を撫でた。   「使冴君が元気なら、構わないよ。それより俺は、番になった経緯のほうが気になるな」  珍しく、気持ちが急いた。 「えっと、伊純のこと、好きだなって気が付いたから、項、噛んでもらった」  想っていたより大変簡素な説明が返ってきた。  伊織はまた、吹き出した。  噛み殺すのも忘れて、普通に笑った。 「兄貴、笑い過ぎだろ」  なんだか面白くなってきて、伊織はソファに腰掛けた。  伊純が珍しく、伊織にコーヒーを出した。 「だってさ。伊純は、あんなにウジウジしてたのに。使冴君の思い切りが良すぎて。伊純が尻に敷かれるの確定で、ウケる」  伊純の悩みは何だったのかと思うほど、あっさり番になった。  使冴の短い説明で、経緯を聞かなくても、流れがわかった。  笑う伊織を、伊純が何とも言えない目で睨んでいる。 「伊純のフェロモン、ちゃんと感じた?」  涙を拭きながら、伊織は使冴に訊ねた。  ここは大事な部分だ。  確認しておかねばならない。 「感じたし、今までも無意識に感じとってたって、わかった。運命の番の話も、聞いた。伊織兄ちゃんが、俺にしてほしいことも、聞いたよ」  使冴の言葉に、伊織は笑いを収めた。   (俺が使冴君に望むことなら、女王蜂ΩとしてDissolveの捜査官にするって話だけど。伊純は、そこまで話したのか)  正直、少し意外だった。  使冴をDissolveの捜査官にすること自体が危険な行為だ。  もっと悩むかと思っていた。 「伊純が話したんだ。いいね、伊純の番は使冴君で正解だ」  伊織の目が、伊純に向く。  伊純は目を逸らさなかった。 「俺は使冴君に、御影の家に入ってもらって、Dissolveの捜査官になってほしいんだけど。使冴君は、それでいいの?」 「どっちも、俺が望むことだよ。伊純と一緒に生きてぇし、父さんの意志を継ぎたい」  使冴が真っ直ぐに伊織を見詰める。 (いいなぁ、この目。この目が俺を欲しがったら良かったのに)  逸れた思考を戻して、伊織は頷いた。 「わかった。それじゃぁ、明日からはDissolveの訓練開始だ。使冴君には、Ωのフェロモンをコントロールする術を覚えて、実戦に使える捜査官になってもらう。君のお父さんと同じようにね」 「うん……」  小さく俯いた使冴を、伊織は覗きこんだ。 「やっぱり、怖い? 訓練の時間はしっかり設けるし、すぐに現場には出さない。人事権は副班長の俺にあるからね」 「怖いっていうか、未知すぎて怖さも、わかんねぇんだけど。そうじゃなくて」  使冴の目が、ちらりと伊織を見上げる。 「伊織兄ちゃんはさ、最初から伊純を嗾けに来たんだよな? 俺と伊純を番にして、俺をDissolveの捜査官にするために、一緒に住み始めたんだろ?」  使冴の言葉の裏にある真意が透けて見える。  伊織は使冴の顔を、無遠慮に覗き込んだ。 「そうだったらいいなぁ、って顔してるね。だから伊織さんじゃなくて、兄ちゃんとか、呼び方を変えたの?」  使冴が俯いた。  心境を言い当てられたと、顔に書いてある。 「俺が本当に使冴君を好きだったら、申し訳ない?」 「……狡くて、ごめん。でも、そう思った」  自分ではっきり言わずに伊織に言わせたことも、申し訳なく思うのだろう。  つくづく狡さの似合わない質だ。   「素直だなぁ。使冴君は、可愛いね」  伊織は手を伸ばし、使冴の体を抱きしめた。  使冴が素直に抱かれている。  伊織の動きが早くて、逃げられなかったんだろう。 「そうだなぁ。半分正解ってことに、しとこうかな。半分くらいは、本気で使冴君が好き。って言っとけば、まだ可能性、あるかな?」 「半分、本気?」  使冴が混乱した表情をしている。  どう理解していいか、わからない顔だ。  ちょっと揶揄いたくなった。 「そうだ、試しに俺も、使冴君の項を噛んでみる? 一人のオメガに二人のアルファで番になれるか、試してみようか? どっちの子供を産んでも良いように」 「兄貴、離せ」  伊純が伊織の腕を掴んで、使冴を引き剥がした。  使冴が怯えた顔で、伊純に縋り付いた。 「試す価値、あると思うけどなぁ。天久のΩを御影兄弟で独占するのも、悪くない」 「親父には、そこまでしろとは言われてねぇだろ。俺は兄貴と使冴をシェアする気なんか、ねぇよ」  伊純が顔を顰めた。  使冴がわからない顔をしている。  伊織は、ニパっと笑ってみせた。 「冗談だよ。使冴君に兄ちゃんて呼ばれるのも悪くないしね。伊純が捨てたら、その時は俺が貰おっかな。だから安心して、夫夫喧嘩していいよ」 「捨てねぇよ。番になったんだから、いい加減に諦めてくれよ」  伊純が使冴を強く抱きしめる。  力が強いのか、使冴がちょっと苦しそうだ。  なのに、どこか嬉しそうだ。 「使冴は俺のだ。何があっても誰にも渡さねぇ」  使冴が照れた顔で伊純を見上げている。  優柔不断な弟は、ようやく運命を受け入れる気になったらしい。  そう思ったら、違う笑みが零れた。 「やっと覚悟できたか。本当に、手のかかる弟だよ」  伊織は立ち上がると、伊純の頭をぺちっと叩いた。  そのまま背を向けて、廊下に向かった。 「伊織兄ちゃん、どこ行くの? 夕飯は?」 「風呂に入るから、先に食べていて、いいよ」  使冴の言葉を背中に聞く。  軽く手を振って、伊織はリビングを出た。  脱衣所に入った伊織は、洗面台の前で軽く息を吐いた。  いつも使冴は、伊織の帰りにあわせて夕食と風呂の準備を整えてくれている。 「本当に、よくできたお嫁さん」  有能、故に慎重で腰の重い伊純を動かせるだけの器量がある。  使冴は肝が据わっているし、決断力もある。  バランスの良い番だ。 「運命の番な上に、好き合っている同士なんだから、サッサとくっ付けばいいんだよ」  運命の番であっても、互いに好意を抱くとは限らない。  それ以前に出会える率から少ない希少な存在なのだから。 「兄ちゃん、か」  シュルリとネクタイを外して、脱衣籠にかける。  出しておけば使冴は、何も言わなくてもネクタイにアイロンをかけてくれる。  シャツやスーツも綺麗にプレスして部屋に運んでくれる。 (だから好きって訳じゃ、ないけどさ)  自分の強さも弱さも知っている。  汚い世間を知った上で、潰れない心を持っている。  虐げられても生きようと一人でもがきながら、誰にも助けを求めない。  なのに他人に優しくて、思いやる心を捨てない。  そういうところが、いじらしくて可愛くて、守りたくなる。  子供の頃から使冴を見てきたのは、伊純だけではない。   「ちょっと、勿体なかったかな……なんてね」  明日からも使冴は、兄のために弁当を作ってくれるのだろう。  胃袋を掴まれるのは思った以上に致命的だな、などと思いつつ、しっかり温められた浴室の扉を開けた。

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