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第38話 10月13日正午②

 目の前で話している倫太郎の正体は、Dissolveが探っている。  どんな結論だろうと、いずれ結果は出る。 (これだけ倫太郎さんに似ていたら、誰も疑わない。むしろ死んだ倫太郎さんが替え玉だったのかも、って思うかも)  使冴を拉致した倫太郎が偽物とも思えないが、目の前の倫太郎も偽物っぽくはない。  悠然と構える倫太郎には、怯えも恐れも微塵もない。それが余計に、本物っぽい。  倫太郎の顔を睨みつけて、伊純がギリっと歯軋りした。 「お前が、よく見ろとか振ってきた話だろ」 「使冴君の困惑した顔が見られたから、満足できたよ。同じ話題が続くのは、君たちも飽きるだろ?」  伊純が苦々しく言い捨てた。  倫太郎が、使冴との間合いを詰めた。  伊純が使冴の腕を掴んで、後ろに下がった。 「今日、呼び出した理由はね、内緒話をしたかったから。大きな声ではできない話だよ。もっと近くで話そう」  倫太郎がもう一歩、使冴に近付いた。  伊純の足が後ろに下がった。 「お前が使冴に危害を加えない確証がねぇ」 「危害なんか加えないよ。僕は使冴君を愛しているんだから」 「なら、この前の拉致はなんだ」 「あの時だって、使冴君に楽しんでもらっただけだよ。言葉攻めで感じちゃう使冴君、可愛かったな」  倫太郎が自分の手を舐め上げる仕草をした。  背中から抱き付かれた感触を、思い出す。   「あの時の使冴君、忘れられないよ」  倫太郎の目が暗く笑む。  寒気が走って、鳥肌が立った。 「それが危険だって言ってんだよ」  怒りを隠さない目と声で、伊純が前に出た。  伊純の腕を引いて、使冴は自分から倫太郎に近付いた。 「いいよ。これくらい近付けば、話せるだろ。倫太郎さんがしたい内緒話、聞かせてよ」  胸が付きそうな距離まで近付いて、倫太郎の顔を見上げる。   「使冴君のそういうところ、好きだよ」  使冴の耳元に寄って、倫太郎が囁く。  吐息を吹きかけた耳に、キスをした。  伊純が、倫太郎に向けて銃を構えた。 「使冴に触れるな」  向けられた銃口を、倫太郎が冷めた目で眺めた。 「無粋だな。使冴君が自分から近付いてくれたら、いくら我慢強い僕だって触れたくなるよ。最初の番は譲ってやったんだ。僕にも、少しくらい使冴君を愛でさせてくれなきゃ」 「そういうつもりの呼び出しなら、こっちも動く」  倫太郎が乾いた息を漏らした。 「やれやれ、だね。もっと淡白な人かと思っていたけど。恋人が絡むと激情型だなんて、ありきたりで詰まらない」 「お前がどう思おうと、知るかよ」  伊純が銃を構え直す。  向けられた銃口を、倫太郎が面倒そうに指で退けた。 「今日は内緒話がしたいんだ。伊純がそんなに怒るなら、これ以上は使冴君に触れないよ。基本的に僕は、好きな子は遠くから愛でる性癖だから」  倫太郎の視線が使冴に向く。  マシュマロハウスでの倫太郎の、付かず離れずの距離感を思い出して、ゾクリと寒くなる。   「伊純が安心するなら、銃を向けたままでいいけど。どうする? 内緒話、聞く?」 「内容による」  銃を降ろさないまま、伊純が答えた。  倫太郎が考える顔をした。   「僕は曲がりなりにも根黒組の組長で、組が仕切るマーケットの最高権力者だ。そんな僕が一人、お忍びで出てきてまでDissolveにしたい内緒話、なんだけどね」  伊純が静かに銃を降ろした。  使冴の隣に体を添わせる。  二人を眺めて、倫太郎が満足そうな顔をした。 「十一月の最初の日曜、根黒組が仕切るオークションで、一際珍しいオメガが出品される」  斬り込んだ話が始まって、伊純の気が尖った。 「人身売買の闇オクか」 「数年に一度、世界中から富豪が集まる最大級のオークションだ。今回は特に反響が大きい、なにせ」  倫太郎の手が、使冴の胸に沿って、撫でるような仕草をした。 「世界でも希少な女王蜂の特性を持つオメガが出品されるんだから。競り落とせなくとも、一目見ようと客が集まる」  伊純の手が倫太郎の腕を鷲掴みにした。 「今になって根黒組が使冴を攫おうとした理由は、それか。前回の接触は番を得て女王蜂が覚醒したかの、確認か」 「それもあったよ。けど、確信が先にあった。使冴君はきっと、御影兄弟のどちらかを受け入れるだろうな、ってね」  倫太郎が微笑む。  マシュマロハウスにいた頃の倫太郎の面影と重なった。 「なんで、そう、思ったの?」 「そんな風に追い詰めたから。あの時の使冴君はパンパンに張り詰めた風船だったのに、自分がギリギリの状態だって気が付いていなかった。何の不安材料もない場所で自分の傷に気が付けば、一人で立っていられない。差し伸べられた救いの手を、必ず握ると思ってた」  昔の自分がフラッシュバックする。  ガサガザと、心臓が嫌な音を立てる。  胸が苦しくて、痛い。 「匠を動かしてレイプや風俗をさせたり、銀次を通して天使アピールを増やしてSNSやメディアに露出させたのは、Dissolveが天久使冴を掬い上げに来る時期を調整するためだ。僕が謀ったタイミングは、ピッタリだったよ。伊純は間違いなく、使冴君を助けに来た王子様だったでしょ?」  まるで無害な顔で、倫太郎が笑む。  嬉しそうに笑っているようにしか見えないその顔に、怖気が走る。 「それで? 俺たちを利用して仕上げた使冴を、今度は奪いに来たのか」    伊純の手が、倫太郎の手首をギリギリと握り潰す。  倫太郎が顔色も変えずに、使冴を見詰めた。 「ただ奪うのは、詰まらないから。Dissolveには命に代えても天久使冴という商品を、守ってほしい」 「……は?」  困惑する使冴を、倫太郎が恍惚と眺める。 「女王蜂の出品は既に世界中に流布している。十一月のオークションは根黒組でも最大級の収益を見込んだ一大事業だ。そんな場所に目玉商品がいなかったら、どうなると思う?」  自分の両腕を抱いて、倫太郎が顔を上気させた。 「根黒組は終わりだよ。その上、サツのガザ何か入ったら、目も当てられない。太い屋台骨が崩れ落ちる瞬間だ。想像しただけで興奮するよ」  熱い息を吐いて、倫太郎がブルリと身を震わせた。 「倫太郎さんは、根黒組を潰したいの?」  自分でもあり得ない言葉を吐いていると思う。  けれど、恍惚に身を捩る倫太郎を見ていたら、零れ落ちる疑問だ。 「派手に壊れてくれたら、最高だろ。女王蜂が競り落とされて、中途半端な金持ちの玩具になるデキレースより、ずっと面白い」  倫太郎の言葉が信じられなくて、固まる。  使冴を庇う伊純も、言葉が出ない様子だ。 「僕はね、完璧なものが壊れる瞬間を見るのが一番、興奮するんだ。その点、使冴君は最高だった。完璧に美しい特別なΩが、底辺で泥に塗れて汚れて壊れかける姿、興奮したよ」  伊純が呆気にとられている。理解できない顔だ。  使冴は無意識に後退った。 「今の使冴君は幸せそうで詰まらないけど、それでいいんだ。前より暗い場所に堕ちて絶望する顔を、次は見たいからね」  倫太郎の手が使冴の頬に近付く。  ビクリと体が震えた。  頬に手を翳しただけで、倫太郎の手は使冴に触れなかった。 「使冴を利用して根黒組の実権を握りてぇのか? オークションを盛り上げる余興にでもしてぇか? 付き合う義理はねぇ話だな」  伊純が論太郎の手を払い除けた。   「Dissolveにも充分すぎるほど、利はある。根黒組が仕切る最大のオークションに介入できる上、潰せる。あわよくば根黒のマーケットを取り締まるチャンスだ」 「そのチャンスを組長様がくれるわけか。Dissolveを嵌める罠にしか聞こえねぇな」 「チャンスにできるかどうかは、Dissolve次第だよ。僕としては、面白ければ文句はない。根黒組が消えてなくなったら、それこそ面白い」  倫太郎がクスクスと笑う。  使冴が知っている笑い方だ。  なのに、その顔には知らない愉悦が浮かんでいる。 「組長自ら、組を潰す算段かよ」 「この程度の小細工で潰れる組織なら、いっそ壊れたほうがいい。新しい玩具箱なら、いくらでも作れるからね」  倫太郎の目には迷いや後ろめたさがない。  伊純が言葉を失くした。 「女王蜂の出品は既に周知している。根黒組は体面のために商品である天久使冴を必ず、捕縛しに来る」  倫太郎の目が妖しく細まる。  捕らわれたように、身動きができなかった。 「どういう意味か、わかるだろ? 使冴君は既に巻き込まれているんだよ。逃げ切らなければ、今度こそ地獄だ。上手に守ってもらってね」

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