42 / 47
第42話 幹部会前日 オムライス
幹部会前日の午後一で、伊純と伊織は本部に向かった。
久しぶりに一人になった部屋は閑散として、いつもより広く感じた。
(昼間は伊織兄ちゃんが仕事でいないし、伊純だって時々、外出してたんだけどな)
部屋に一人になるのは初めてではないのに、少し寂しい。
「不安になってるな、俺。明日には護衛の人が来てくれるけど、今日は一人だから」
来てくれたとしても、室外警備だから会う訳ではないが。
「いつも通りだ。いつも通りにしよう。掃除でもしよう」
自分の気持ちを深堀しても、状況は変わらない。
午前中できなかった掃除をして、気を紛らわせることにした。
(夕飯も一人だから、作り置きと、何か簡単に……)
考え事をしながら掃除機をかけていたら、どこかでアラームが鳴った。
「宅配ボックスかな。そういえば、今日あたり日用品が届く、な」
誘拐を警戒して、最近はまた缶詰生活に戻ったから、買い出しに行けない。
この二か月半で通販生活にも慣れたから、不便にも感じない。
(贅沢な暮らしに慣れちゃったな。前の生活には戻れないかも)
雑居ビルの狭い一室で暮らし、昼も夜も仕事をしていた頃の生活が、遠い昔に感じる。
根本の不安を打ち消すように、違う思考で頭の中を満たす。
掃除機を置いて、玄関脇の宅配ボックスを開く。
大きな段ボールが一つ、置いてあった。
(でかい。……まさか、だよな)
意を決して段ボールに手を掛ける。
手前に引くと、かなり重い。
(重いけど、いつもの重さだ。そういう重さじゃない)
突然、インターホンがなって、ドキリとした。
二回連続で音が鳴るのは、エントランスではなく玄関脇のインターホンを押した時だ。
(扉の向こうに、人がいる。伊純か伊織兄ちゃんであれ)
忘れ物でも取りに来たのであれ、と思いながらドアスコープを覗く。
黒い髪が見えるが、角度的に長さまでわからない。
(髪色的に、伊織兄ちゃんじゃない。伊純にしては、背が低いかな。じゃぁ、やっぱり……)
心臓が嫌な高鳴りをして、手に汗が滲む。
(あぁ! もぅ! 迷っても意味ない。開ける!)
思い切って玄関の扉を開けた。
ふわりとビターな甘さが薫って、黒い影が使冴を抱いた。
「こんにちは、使冴君。お招き、ありがとう」
使冴を抱いた倫太郎が、微笑んでいた。
(ビンゴ……本当に来た)
嫌な鼓動が速まる胸を抑える。
大きく一回、深呼吸した。
「もしかして、あんまり驚いてない?」
倫太郎が拍子抜けした顔をする。
「驚いては、いる。どうやって入ったのかな、とか。でも、伊純にそれっぽいメールしてたから、来るんだろうと思ってた」
使冴に物語の一幕の協力を仰ぐなら、きっと接触してくる。
タイミングは、伊純たちが留守にして護衛もいない幹部会前日の午後、この時間しかない。
(そのために作った空白だ。伊純の計画通りだ)
「なるほど。わざと警備を手薄にして、使冴君を餌に僕を誘い込んだわけだ。Dissolveは僕を歓迎してくれてるのかな? 嬉しいね」
倫太郎が来たら、この部屋に繋ぎ止める。
それが今回、伊純にゴリ押しして得た使冴の仕事だ。
直前まで渋っていた伊純を懸命に説得した。
(わかっていて、来たのかな。そもそも、匂わせメールしてきたのは倫太郎さんだけど。何を考えてるか、全然わからない)
わからないことを一人で考えても意味がない。
一先ずは、伊純と打ち合わせした通りに、話を進めることにした。
「そんで、倫太郎さんは何しに来たの? 自分から、逮捕されに来たの?」
一瞬、表情を止めた倫太郎が、クスリと笑った。
「警察は僕を逮捕できないよ。根黒倫太郎は、もう死んでいるんだから。今の僕には、逮捕されるような罪状がない」
倫太郎のいう通り、倫太郎が死んだ時点までの罪は問えない。
それ以降、目の前にいる倫太郎が犯した罪でなら、本人の断罪が可能だ。
「今まさに、不法侵入じゃん」
「インターホンを鳴らしたら、使冴君が玄関を開けてくれたから、入ったんだけど?」
ぐぬぬ、と使冴は黙り込んだ。
「まぁ、いいや。立ち話も何だし、入ってよ。昼飯まだなら、何か作るよ」
倫太郎の体を押して、離れる。
日用品の段ボールを持ち上げようとしたら、倫太郎が持ってくれた。
細身に見えるのに、重い段ボールを軽々持ち上げる姿に感心した。
「久し振りに使冴君の料理、食べたいな。これ、中に運べばいい?」
「力持ちだね。重いのに、ありがと」
「これくらい、平気だよ。配達のバイトが、こんなところで役に立つなんてね」
部屋に入ると、倫太郎がリビングに荷物を降ろした。
「組長が宅配のバイトとか、してんの?」
「このマンションてさ、大きな荷物はエントランス内の宅配ボックスに運ぶでしょ。あれって、ちょっと不用心だよね」
「そうやって入ってきたのか。その為のバイトか」
エントランスのセキュリティをどうやって抜けてきたのかと思ったが。
この荷物を運んできたのは、倫太郎らしい。
「何事も経験が大事だよ」
倫太郎がダイニングテーブルの椅子に腰かける。
使冴は普通にコーヒーを出した。
「ミルクと砂糖、いる?」
「ブラックでいいよ」
ブラックコーヒーを飲む倫太郎を、何となく眺める。
(ミルク、入れないんだ……)
目の前にいる倫太郎は、計算高い人間だと思う。
いつもミルクを入れて飲んでいたコーヒーを、うっかりブラックで飲むような人には思えない。
だから、聞いてみようと思った。
「倫太郎さん、酢豚、好き?」
横浜の海越丘公園で聞いた時は、答えをくれなかった問いかけを、再度してみた。
少しだけ考える仕草をした倫太郎が、コーヒーを見詰めて、はにかんだ。
「僕は、嫌い。だから、酢の強くない食事が良いな。果物は、バラ科とか柑橘系にアレルギーがあるんだ」
「……そっか、わかった。じゃぁ、梅干しも駄目だね」
意外にも、ちゃんと返事をくれた。
正直、倫太郎が現れた時より、今の返事に驚いた。
アレルギーなんて、場合によっては命に関わる。
組長なんかしている人間が、簡単に晒していい個人情報ではない。
(死んだ倫太郎さんは、酢のモノ系も果物も平気な倫太郎さんなんだ。やっぱり、別人なんだ)
改めて、本当に別人なのだと実感した。
「辛味が強い食べ物も嫌い。辛いモノって、どこが美味しいのか、わからない」
「好き嫌い、多いね」
「そもそも食事自体が、あまり好きじゃない。満腹になって胃が張る感じが、不快だよ」
「その細身体型、ちょっと納得した。マシュマロハウスにいた頃より、瘦せたよね?」
「無理する必要がなくなったからね」
使冴の心臓が小さく跳ねた。
もう一人の倫太郎と体型を合わせる必要がなくなった、という意味だろうか。
「食べるの嫌いだけど、使冴君が作ってくれるご飯は、好きだったよ。酢豚以外に僕がリクエストした食事、覚えてる?」
「酢豚以外のリクエスト……あ! お子様セットみたいなオムライス!」
可愛いリクエストだなと思ったから、覚えている。
「子供用って、一つ一つの量が少ないから、大きいの一個、どーんと出されるより食べきれるんだよね」
「そういう理由だったか」
理由は可愛くなかった。
初めて知る真相だ。
なんだかおかしくなって、笑いが零れた。
「本当に食べるの、好きじゃないんだ。じゃぁ、小さめのオムライス作るよ」
「うん、よろしく」
倫太郎が使冴に向かって微笑む。
その顔がマシュマロハウスにいた頃の倫太郎と重なった。
(やっぱり俺は、こっちの倫太郎さんとも、一緒に仕事してたんだ)
あの頃の使冴は、倫太郎を意識していなかった。
(あの時、倫太郎さんを知ろうとしていたら、何か違ったかな)
今となっては無意味な発想だ。
今は考えないように、軋む胸には気が付かない振りをする。
卵の殻が割れる音が、やけに耳に付いた。
ともだちにシェアしよう!

