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第44話 ほろ苦いフェロモン

 倫太郎のお願いは明日にならないと出来ないらしい。  とりあえず今日は休むことにしたのだが。 (部屋がなぁ。伊純と伊織兄ちゃんの部屋には入れらんねぇし。やっぱ、俺の部屋か)  伊純と伊織の部屋には鍵を掛けてあるが、倫太郎なら開けるのは難しくないだろう。  それを見越して、このマンションからDissolveの機密に関わる一切は撤去済みらしい。 (キングベッドの部屋が空いてるけど。あのベッドで伊純と何回も寝てるからな)  そんなベッドに寝てくださいと通すのは、気が引ける。 「お風呂広いね。この部屋、かなり快適。住みたくなる」  倫太郎が風呂上がりのスウェット姿で現れた。  身長的に伊織のスウェットがちょうど良さそうなので貸したのが、問題なさそうだ。 「倫太郎さん、何か飲む? レモン水……は、ダメか。麦茶にする?」 「ありがと。マシュマロハウスでも、使冴君が作るレモン水、人気だったね」  仕事が忙しくなって賄が作れなくなってからも、レモン水は欠かさず冷蔵庫に作って置いていた。  朝に作ると仕事が終わる頃には、なくなっていた。 「そういや、あのレモン水も、倫太郎さんは飲んでる日と飲んでない日があったよね」  気分だろうと、あの頃は思っていたが。  別人だったからなんだろう。  倫太郎に麦茶を渡しながら、はたと気が付いた。 「あ、ごめん。今のなし」  咄嗟に口を隠した使冴を眺めて、倫太郎が吹き出した。 「僕の事情に使冴君が気を遣う必要はないよ。僕は使冴君の言葉に都合よく返事をしたり、しなかったりするだけだから」 「あ、そう……」  倫太郎のいう通り、根黒倫太郎を演じる目の前の男に、使冴が合わせる必要はないのだが。  無意識で気を遣った自分が、ちょっと恥ずかしい。 「使冴君て、同情で流されるほど馬鹿でもないよね。今のは、お人好しが出ちゃった感じ?」 「お人好しでも、ねぇけど。何となくだから、気にしないで」  同情で流される馬鹿ではない、と思いたいけど。  匠の暴力から逃げられなかった理由の一部では、あると思う。 「そういうの、今後は命取りになるから、やめたほうがいいね」  麦茶のコップを置いて、倫太郎が使冴を抱き寄せた。  素早く重なった唇から、フェロモンが流れ込んでくる。 (これ、前にも感じた、苦くて甘い、倫太郎さんのフェロモン……)  離れたいのに、腰を抱く腕の力が強くて、体を離せない。 「んっ……ぁ……」  体中が湧いて、顔が熱い。 「良い顔。一緒に寝ようか?」 「嫌だよ。俺の部屋のベッド貸すから、一人で寝てろ……んっ、ぁ!」  ネックガードの上から項を甘噛みされて、体が大きく震えた。 「前にも言ったよね。使冴君の番になら、なっても良いって。僕を使冴君のアルファにしてよ」 「嫌だって言ってんだろ。番は伊純だけでいい。オークション前に商品に傷付けて、良いのかよ」  華奢なくせに、力は強い。  両腕で抱きしめられると、押し返しても逃げられない。 「女王蜂は番を得るほどフェロモンを充実させる。むしろ、商品価値が上がるよ」  倫太郎の唇が、首筋から肩を這う。  鎖骨を食まれて、痺れが背中を駆け上がる。 「僕のフェロモンで興奮してるね。使冴君の蜜も、美味しい」  体がぴたりと密着する。  熱が境界を越えて入り込もうとする。 「これは、ちが……っ! やめっ」  頬を、細い指がなぞる。  ビクン、と体が跳ねた。 「アルファのフェロモンを感じない特殊なオメガの使冴君が、僕のフェロモンを感じるって、何故だと思う?」  耳元で囁かれて、ゾワゾワする。  嫌なのに、疼きだけが溜まっていく。 「なん、で……?」  運命の番は一人しかいないと、伊織は話していた。  他に理由が、わからない。 「使冴君が、本当は僕を欲しがっているから。女王蜂の番にふさわしいと、本能が求めているからだよ」  倫太郎の蕩けた顔が近付く。  欲に塗れた目は、明らかに使冴のフェロモンに中てられている。  口付けられると、フェロモンが鼻に抜けて、余計に強く発情を煽る。 (やだ、こんなの……感じたことない、こんなフェロモン)  そう思って、気が付いた。  匠の暴力には、倫太郎が紛れていたはずだ。  なのに、このフェロモンを感じたことがなかった。 「倫太郎さん……俺とキスしたの、横浜の公園が、初めて?」  あの時、初めて倫太郎のフェロモンを感じた。  倫太郎も「やっと触れられた」と言っていた気がする。 「答え合わせは、明日ね」  唇を離して、倫太郎が使冴の涙を拭った。  不意に腕を解かれて、体が崩れそうになる。  倫太郎が腕を掴んで支えた。 「本当に欲しくなっちゃった? 気持ち良くしてあげようか?」  倫太郎の揶揄う声に、フルフルと首を振る。 「ヤダ、要らない」 「素直というか、強情だね。受け入れちゃえば、楽なのに」  使冴はひたすら、首を振った。 「完全に拒否されると、無理やりしたくなる」  伸びてきた手を摑まえて、倫太郎から身を離した。 「アンタは、匠兄貴と一緒に俺を犯していた倫太郎さんじゃないんだろ。アンタ、ただのアルファじゃないんだよな?」 「だからそれは明日、運がよければ聞けるから」  使冴の腕を握り直して、倫太郎が自分の胸にあてた。  服越しの肌が熱い。感じる鼓動が速い。 「使冴君の蜜は濃いから、押し倒したいの、我慢してるんだよ」 「……ごめん。でも、嫌だ」  使冴は唇を噛んだ。   (伊純じゃない男に触られるのも、触るのも、嫌だ) 「謝る必要、ないんだけどね。……お人好し」  強引に唇を吸われる。  今度は倫太郎のフェロモンを感じなかった。 「僕らの相性がいい理由、伊織から聞いてないの?」 「聞いてない。なんで、伊織兄ちゃん?」  どうして今、伊織の名前が出てくるのか、わからない。 「ふぅん。伊織でもまだ、気が付いていないのか」  倫太郎が楽しそうに呟きながら、使冴の目に溜まった涙を拭った。 「なら今のうちに、刷り込んでおこうかな。興奮する程度には、使冴君は僕を好きってね」  額にキスして、倫太郎が使冴を見下ろす。  倫太郎の目に浮く情なんか、気のせいだと思いたい。  欲の合間にちらつく愛情なんか見えない振りをしたくて、使冴は目を逸らした。

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