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第48話 女王蜂と雀蜂

 四人暮らしが始まって既に五日ほど経過しているが、日常は変わらずだ。  伊織は毎朝、同じように家を出て夕方には戻る。  伊純はマンションの自室で仕事をしている。  使冴は変わらず、洗濯や掃除や食事の支度などに勤しんでいる。    倫太郎はといえば、使冴と一緒になって家事をこなしている。  マシュマロハウスにいた頃は、同じ家事代行として働いていたわけだから、できるのは知っているのだが。 「伊織兄ちゃんの部屋のパソコンとか調べたり、伊純の部屋に侵入を試みると思ってた」  風呂の排水溝を洗いながら、使冴は倫太郎に声を掛けた。  倫太郎は洗面台の排水溝を、せっせと掃除中だ。 「Dissolveの情報を盗まないのかって? 僕には必要ないなぁ。それより今は、伊織の信頼が欲しいね」 「ふぅん。意外だね」  捕縛した時の倫太郎は、伊織に自分を押し売りしていた。  その場限りの逃げではなく、本心だったらしい。   (倫太郎さんの目的は保身って、伊純は言ってたけど。本当にそうなんだ)  オークション当日まで自分自身をDissolveに守らせるのが、倫太郎の目的らしい。 『オークションの目玉商品になった倫太郎の価値は、雀蜂αだけじゃない。根黒組の組長としての立場も闇オクの権限も含めて、競りにかけている』  幹部会当日の動画配信を、根黒組の幹部は誰一人把握していなかった。  後の聴取で判明したそうだ。  自分という総てを出品した判断が、倫太郎の独断である裏もとれた。  組が売られるのと同じ状況を、根黒組の残党は放置しない。  今頃、血眼になって倫太郎を探しているだろう。  だからこそ倫太郎は自分から使冴に会いにやって来て、わざとDissolveに捕縛された。  今の倫太郎には、最も安全な場所だ。   (そういうの全部、オークションを面白くするための演出なのかな。倫太郎さんがいう面白いって、何なんだろう)  使冴の蜜に酔っていた時に零した倫太郎の言葉を、思い返していた。 「なんで、伊織兄ちゃんの信頼が欲しいの?」 「Dissolveが幹部会襲撃で、一番重要な人物を捕り逃がしたからだよ」 「一番重要って、根黒厳随?」  四人の組長を立てている根黒組の中で、本当の組長は根黒厳随ただ一人だと言われている。  組長の中でも根黒厳随の名だけが代々、引き継がれているからだ。  根黒厳随は神隠しの異名を持つほど周囲を煙に巻くのが上手く、表舞台には滅多に顔を出さないのだそうだ。 「Dissolveが襲撃した幹部会には、厳随は不参加だったんだろ?」 「会場には、いなかったね。あの人は、疑り深くて周到で、臆病だ。別の場所から観ては、いただろうけどね」 「だとしたら、捕まえるのは無理だったよね。そもそも伊織兄ちゃんの信頼と、どう関係があんの?」  細長いブラシで狭い排水溝をシャコシャコと擦りながら、倫太郎がちらりと使冴を眺めた。 「どちらかを選ぶなら、どっちがいいかなって」 「伊織兄ちゃんと、根黒厳随?」 「僕の好みは、伊織なんだけどね。使冴君は、どう思う?」 「どう、と聞かれても」  排水溝の中を流す倫太郎を眺める。  使冴は根黒厳随を知らないから、判断のしようもない。  何を基準に選ぶのかも、よくわからない。 「事情は、よくわかんねぇけど。今の倫太郎さんと一緒に働けたら楽しそうだから、伊織兄ちゃんが良いんじゃない?」  マシュマロハウスにいた頃の倫太郎より、今の倫太郎のほうが、使冴としては話しやすい。  倫太郎の本当の興味が、自分以外に向いていると感じるからだ。 「ふふ、そっか。使冴君が、ようやく僕に興味を持ってくれたんだ」  使っていたブラシを綺麗に洗いながら、倫太郎が笑った。 「何回か言ってるけど、今のほうが興味あるよ」  マシュマロハウスで一緒に働いていた七年間より、この数週間のほうが確実に濃い。 「使冴君は、いつだって態度や表情が正直だ。マシュマロハウスにいた頃の使冴君は、僕に好意を寄せられるのが迷惑って、全身で言ってた」  それを指摘されると、その通りすぎて何も言えない。   「……ブラシ、消毒するから、ちょーだい」 「はい、どうぞ」  倫太郎が使っていたブラシを差し出す。  ブラシを渡した手が、使冴の腕を強く引いた。  体が前に倒れ込んだ。 「僕の興味が伊織に向いて、ほっとしてる? それとも今は、伊純がいるから余裕なの?」 「どっちも。ごめん」  握った腕を引っ張られて、倫太郎の顔が近付いた。  避ける間もなく、口付けられた。  甘苦いフェロモンが流れ込んでくる。 「伊織の信頼は欲しいけど、使冴君を諦めたわけじゃないよ。僕は今でも、使冴君を愛しているし、欲しいと思う」 「それは、困る……んっ」  両腕を掴まれて、さっきより深く口付けられた。  大量のフェロモンが流れ込んでくる。 (倫太郎さんのフェロモン、最初より甘くなってる。感じるたびに、甘さが増してく)  甘さに感覚が絡めとられるのに、苦さが思考を鮮明にする。  不思議な感覚に酔っている使冴から、倫太郎が唇を離した。 「雀蜂の生態が不鮮明なのはね、確認された時点で殺されるケースが多いからなんだ」 「殺される? なんで? 誰に?」 「天久の女王蜂と同じように、雀蜂も血筋に残る。皆が恐れるような危険な存在、ってことだよ」  代々の雀蜂αは、根黒の血縁に殺されてきたんだろうか。 「使冴君の番になれば僕は、もしかしたら普通のアルファになれるかもしれない。その前に使冴君のバースが変わるかもしれないけど」  倫太郎がネックガードの上から、使冴の項を噛んだ。  擦れる歯の感触に、ネックガードの下の肌が痺れる。 「女王蜂と雀蜂は、どっちが勝つかな。今ここで、試してみようか?」  倫太郎の声が蕩ける。  無意識に放出した使冴の蜜に、酔っているようだ。 (いつの間にか、フェロモン出てた。倫太郎さん相手だと、上手くセーブできない)  倫太郎が雀蜂だからなのか。  感じるたびに変化するフェロモンは、倫太郎の性格や言動と同じで、掴みどころがない。  倫太郎のフェロモンがまた流れ込んできて、頭がフワフワする。  崩れそうになった体を、大きな手が掴んで引っ張った。 「させるかよ。使冴に触れるな」  いつの間にか現れた伊純が、使冴の体を抱いた。 「つまらないタイミングで来るね、伊純。誘惑中に横槍なんて、無粋だな」 「人様の番を誘惑すんな。手前ぇは捕虜なんだ。少しは、大人しくしてろ」  怒りを隠さない伊純の声が頭に響く。  使冴は腕を伸ばして、伊純に抱き付いた。 「伊純、来てくれた。……ありがと」  フワフワしている頭に、伊純のフェロモンが流れ込んできた。  使冴の体が熱を上げる。  伊純の腕の中が、やけに心地よい。  胸に顔を寄せて、伊純の匂いをいっぱいに吸い込む。 「うわぁ、引くレベルで可愛い。使冴君でも、甘えた声とか出すんだ。オメガらしい姿、初めて見たよ」  倫太郎が、カラカラと笑っている。  とても楽しそうだ。 「使冴君が落ち着くまで、大きなベッドでイチャついてれば? 片付けは、僕がしておくよ」 「別にそこまでは……でも。ちょっと添い寝して欲しい」  素直におねだりしたら、伊純が抱き上げてくれた。  伊純の首筋を食んだら、大きな体がビクンとしなった。 「甘えてる姿、レアだなぁ。僕のお陰だよ。良かったね」 「そんなわけあるか。手前ぇのフェロモンがなくても、使冴は普通に甘える」  得意げな倫太郎に、伊純が嫌そうに吐き捨てた。 「ふぅん。番の伊純には素直に甘える使冴君が、今日はいつもと、どう違ったか。……後で教えてね」  説明口調で念を押しながら、倫太郎が伊純に手を振った。  伊純が怪訝な顔で倫太郎を睨む。  優しい熱に身を委ねながら、揺れる意識の中で、使冴は倫太郎の声を聴いていた。

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