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第50話 雀蜂の蜜

 眠る伊純を置いて、部屋を出た。  キッチンに、倫太郎がいた。 「あれ、もう終わり? 伊純は?」 「寝てる。喉、乾いたから、出てきただけ」  冷蔵庫に作ってあるレモン水を取り出す。  コップに注いで、一気に飲み干した。 「コップと一緒に、部屋に持っていく? まだ、足りないでしょ?」  倫太郎がトレーにコップとレモン水を載せると、使冴に差し出す。  やんわりと押し返した。 「御気遣い、どーも。もう起きるよ。そこまで盛ってねぇから」 「そうかな。まだ熱が浮いた顔、しているけど」  使冴の目尻を倫太郎の指が、なぞった。  肌が、じりっと痺れた。 「倫太郎さん……俺に何か、した?」  不意に浮かんだ疑問が、口を吐いて出た。  倫太郎の目が細まった。 「何かされたと、感じたんだ? いつもと違った? どんなふうに?」 「……倫太郎さんのフェロモンが、なかなか消えなくて。消えた後は伊純の匂いが、いつもより濃くて、欲しくて……独り占めしたくて、たまらなくて」  言葉にするだけで、さっきまでの情事が浮かんで、体が疼く。 「こんな風に思うのは、初めてで。自分じゃないみたいだった」 「番なんだから、独り占めしたいと思うのは当然じゃないの?」 「そういう感じじゃ、ない。もっと……自分勝手で、どうしよもないっていうか」  脳の芯から湧き出る、潤善たる独占だ。  首輪をつけて鎖で繋いでおきたい、独善的で一方的な従属とでもいうのか。  おおよそ愛情の延長にあっていい感情じゃない、あってほしくない己の醜い欲だ。 「それが女王蜂の本能だといったら、使冴君はどう思う?」  倫太郎の指摘がダメ押しのようで、胸が軋んだ。  こんなに強い本能が自分の中に存在するなんて、知らなかった。 「こんな気持ちは初めてで、戸惑う」 「使冴君が伊純を愛しているなら、問題ない。伊純は使冴君の番だから、女王蜂の独占が嬉しいはずだよ」 「そうかもしれないけど……」  目を逸らして小さく俯く使冴の目線を、倫太郎が追いかけた。   「愛情という言葉では包括しきれない支配欲が、怖い? 本能が伊純以外に向くかもしれない自分を、嫌悪する?」  倫太郎の言葉が的を射て、返事ができなかった。 「伊純のこと、心から好きって言える。独り占めしたい。だけど」  この欲が愛情を食い潰して、他のアルファを欲しがる衝動に繋がったら。  本能に任せて自分だけのアルファを、新たに作ろうとするのかもしれない。  そんな自分が、酷く恐ろしい。 「衝動に気持ちが追い付かなくて、自分じゃないみたいで、嫌だ」  倫太郎の手が、使冴の耳をなぞる。  ゾワゾワして、力が抜ける。 「結構、煽ったのになぁ。まだ理性で抗うの?」  倫太郎に腰を抱かれて、引き寄せられてた。  抵抗できない。  息が上がって顔が熱い。 (キス、されてないのに。倫太郎さんのフェロモンが甘くて、動けない)  倫太郎の手が促すままに、肩に顔を預けた。  体の熱が、息と共に流れ落ちる。 「体は素直に反応してるのに。番ができても使冴君は、相変わらずオメガらしくないね」 「らしくないって、生意気って言いてぇの?」  そんなのは、今までも何度も言われてきた言葉だ。 「誰が相手だろうと、言い負かす気概があるし。口で勝てなきゃ手と足が出るし。オメガにしては、可愛げがないね」  ぐっと言葉に詰まった。  十代の頃は、フェロモンに引き寄せられるアルファを拳で撃退していた。 (大人になってからは、あんまり喧嘩してないのに) 「可愛げなんか、わかんねぇよ」 「伊純に素直に甘えてる使冴君は、充分すぎるくらい可愛かったよ」  倫太郎が、使冴の頬にキスを落とす。  甘くて少しだけ苦い香りが、鼻の先で弾けた。 「雀蜂にもね、蜜と針があるんだ。僕の針は、バースの性転換。蜜は、バースの本能を昂らせるフェロモンだ」 「本能? 昂る?」  甘くて苦い香りに包まれて、また頭がフワフワしてきた。 「使冴君は女王蜂Ωだからね。僕の蜜に中てられると、相性が良いαを番に取り込みたい衝動が、理性を食い潰す」 「そんなの、嫌だ。伊純が良い」  フワフワする頭では整理ができなくて、弱音に泣きが入る。 「たとえ伊純が運命の番でも、これだけフェロモンを感じたら僕を選ぶはずなのに。まだ伊純にこだわるんだ。可愛くないね」  唇を摘ままれて、使冴は倫太郎を鈍くねめつけた。 「運命の番の引力って、そんなに強いのかな。どうして伊純にこだわるの?」 「本能で伊純を好きになったんじゃ、ねぇもん。俺が好きって思ったから、選んだの! 運命だから、いいわけじゃねぇの!」  倫太郎の手を振り払うと、胸を押し退けた。 「何人も同時に好きになれるほど、大事にできるほど、器用じゃねぇんだよ。大切な人には、幸せになってほしいって、普通に思うだろ。俺は伊純を幸せにしてぇの!」  倫太郎が、変な顔をしている。  鳩が豆鉄砲を喰らうとか、そんな顔だ。 「それが、伊織や僕を番にしない理由? なにそれ、おっかしぃ」  倫太郎が、ケラケラと笑い出した。  恥ずかしくて、顔が火を噴きそうだ。 「Ωはαより性的な衝動に負けやすい生き物なのに。そういう常識まで、使冴君は覆すんだね」  意識が本能に飲まれそうになる瞬間なら、知っている。  だけど、欲に任せて流されたい相手は、伊純だけだ。 「一般論なんか、どうでもいい。俺は伊純しか、欲しくねぇの」  伊純以外の相手を番にしたら後悔すると、わかっている。  だから、瞬発的な衝動には流されない。  それだけの話だ。  スンスンと鼻を啜る。  倫太郎が使冴の目を拭った。  いつの間にか涙目になっていたらしい。  大言壮語を吐いても、泣いていたら格好も付かない。 「根性、ありすぎ。僕の腕の中で、他の男への愛を叫んでるのに。それでも可愛いと思わせる所は、女王蜂だね」  倫太郎の唇が、使冴の涙を吸い上げた。  フェロモンは、感じなかった。 「煽られて、辛いだろ。さっさと伊純に抱かれておいで。じゃないと、収まらないよ」  倫太郎が使冴の体を離した。  よろけた体を掴んで、回れ右させられた。 「そろそろ、夕飯作らねぇと。伊織兄ちゃん、帰ってきちゃう」 「今日は僕が作ってあげるよ」  倫太郎の発言が物騒に聞こえて、思わず振り返った。  不信感に満ちた視線を向ける。 「変な混ぜ物はしないよ。使冴君は商品だし、伊純と伊織には働いてもらわないといけないからね。ここにいる全員が、僕の大事な駒だから」  それなら安心、と考えて思考を止めた。  倫太郎相手だと、どうにも調子が狂う。 「お腹が空くまで、出てこなくていいよ。水分は、ちゃんと取ってね。」  倫太郎に、コップとレモン水が載ったトレーを渡された。 「じゃぁ、御言葉に甘えて、満足するまで出てこねぇから。……ありがと」  何となくお礼を言ってみる。  倫太郎が笑顔で手を振る。  その姿を後ろに見て、使冴は伊純が眠る部屋に戻った。

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