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第54話 何とも思っていないから
千葉県某所の沿岸に位置するホテルのマリーナに、豪華客船がひっそりと停泊していた。
明かりを最小限にして小さな波に揺れる船舶は、日暮れの海に不気味に浮かぶ。
陸側からマリーナを隠すように建てられたホテルは要塞の如くそびえる。
客船の中から見上げると、中世の城塞都市の門を彷彿とさせた。
「オークション会場は、豪華客船かぁ。これも根黒組の持ち物?」
圧巻な景色に感心しながら、部屋の中の倫太郎を振り返った。
二百人が乗船できる中規模客船は、スモールラグジュアリーホテルといった趣きの豪華内装に設備とサービスを備える。
根黒組の経済力を殴りつけられた気分だ。
「根黒組というか、僕の所有物だね。ホテルもプライベートマリーナも、船もね」
「えぇ……倫太郎さん、実はお金持ち?」
感心しすぎて呆れる。
「お金持ちでは、ないかな。こういう物は、必要だから持っているだけだよ」
謙遜とかではなく、何気なく話している姿が、もはや金持ちに見える。
「今回は、根黒組が仕切るオークションの中で、最も商品の質が高いAutumn Fesだ。根黒組が厳選した上客のみ、乗船を許される」
「そういえば、そんな話だったね」
Autumn Fesは、数年に一度、不定期に開催される。
根黒組が仕切る中でも最大級のオークションらしい。
最大級なのは規模ではなく、出品する商品の質なのだそうだ。
富豪層のアルファが好む、若くて美しいオメガや才能あるアルファが多く出品される。
むしろ規模は小さめで、参加人数を百人程度に絞っている。
他のオークションとの差別化、ブランド化を図る意味合いらしい。
フェスなんてフランクな呼び方の割に、随分と格式高い雰囲気なのは、その為なんだろう。
「Autumn Fesの売りはオークションだけじゃなくてね。毎回、五日程度のクルージング付き、食事も美味しいから好評だよ」
「人間を買った後に、五日も旅行すんの?」
人を買う神経もわからないが、その状態で旅行を楽しめる富豪の感覚が、理解できない。
「このオクで商品を競り落とす人間は、奴隷が欲しいわけじゃないからね。より質の高い人間を、恵まれた環境で飼育するのが、主な目的だ。互いに打ち解けるには、海上は良い場所なんだ」
豪華客船という逃げ場のない海の上で、五日も缶詰になっていれば、買われた人間も諦めが付くのかもしれないが。
「結局、飼育なんだ」
「世界規模の大企業の跡取りやブレーンとしての教育、芸術方面の才能の開花。美丈夫なら、ハイレベルな人間や家格の高い相手との婚姻を期待して、磨き上げる。って辺りが目的の人たちの集まりだ。飼育とはいっても、そう不幸ばかりでもないと思うよ」
倫太郎の言い回しだと、育つ環境としては贅沢を与えてもらえそうに聞こえる。
だが、その場所で本人の意志は尊重されるんだろうか。
「息が詰まりそうだね。普通の家庭は期待できなそう」
「普通の定義からは、外れるだろうね。親がいないオメガやアルファが一人で生きるよりは、マシだと思うけど。環境として、飼育には違いない」
有能であり、美しい様だけを期待されて育てられる環境は、異質だ。
(だけど、不幸ではないのかもしれない。衣食住は保証されるし、飢えて死んだりはしないだろうから)
それを幸せと呼ぶかは、別としても。
オメガが一人で生きていく大変さを、使冴は知っている。
(住む場所も、仕事もあった。店長みたいに、守ってくれる人もいた。俺はまだ幸せなほうだって、思う)
発情期があるオメガは、就職場所を始めとした社会待遇が、充分とは言えない。
大昔に比べたら改善されたらしい社会的地位は、オメガの人口が減少したせいで、また劣悪に戻りつつある。
アルファによる性的暴行、貧困が起因する犯罪や餓死のニュースは、日常すぎて誰も気にも留めない。
(身体的に優れていて、生まれた家の社会的地位が盤石でも、倫太郎さんみたいなアルファもいる)
倫太郎の事情は、伊純から聞いている。
弟の倫太郎は実子でありながら孤児として施設に預けられ、十三歳で根黒に養子として戻った。
兄と弟は幼い頃から、互いを模倣し合って生きてきたのだろう。というのが、伊純の推論だった。
(どうして、弟の倫太郎さんは、影だったお兄さんを残して死んだのかな)
施設に匿われ、戸籍を貰い、養子として戻った弟が本物の倫太郎だったのは、間違いない。
少なくとも、親が期待したのは、弟だった。
なのに弟は死を望んで、匠に自分を撃たせた。
「倫太郎さんは、弟、好きだった?」
考えるより前に、疑問が零れた。
「伊純の推察、使冴君も聞いたんだ。三人の情報共有、しっかりできていて素晴らしいね」
いつもの倫太郎らしい返事だ。
答えているようで、はぐらかしている。
だけど今日は、しつこく食いついた。
「伊純の推論は、当たってんの? 外れてんの?」
「伊純と伊織には、面白いねって返事した。使冴君にも同じ言葉しか、言わないよ」
倫太郎の返事が、意外だった。
いつもなら、もっと上手に誤魔化して煙に巻くだろうに。
「……だけど、そうだな。もし弟がいたら、僕は好きかな。倫太郎って名前は、気に入ってるんだ」
俯きがちに倫太郎が微笑んだ。
その顔から目が離せなかった。
初めて倫太郎本人が笑ったように、使冴には見えた。
「なんで倫太郎さんに興味を持ったか、わかったかも。俺、アンタに興味があるんだ」
マシュマロハウスでは興味がなかった倫太郎に、あのマンションで興味を持った理由に、やっと気が付いた。
目の前にいる倫太郎は、使冴が知っている倫太郎ではないからだ。
「俺はマシュマロハウスでも、アンタに会ってる。だけど、ほとんどは弟のほうだったよね?」
いつものように薄く笑んだ倫太郎は、何も言わない。
「施設でも出されてたパイナップルとリンゴが入った酢豚が好きで、匠兄貴と仲が良かった倫太郎さん。俺のこと、虐めたいくらい好きな倫太郎さんが、弟なんだよね?」
倫太郎が、黙ったまま使冴を眺める。
「酢豚が嫌いで、アレルギーとか好き嫌いが多くて、食べるのが嫌いなのが、兄ちゃんの倫太郎さん。俺のことなんか、何とも思ってない倫太郎さん。だから俺はアンタに、興味があるんだ」
目から鱗が落ちた気分だった。
モヤモヤしていた胸の内が晴れたみたいに、清々しい。
倫太郎が、吹き出した。
「なにそれ、失礼だね」
「ごめん。兄ちゃんだったら、弟のこと、こんな風に言われたら気分悪いよな。でも俺、弟の倫太郎さん、苦手だったから、つい」
倫太郎の粘着質な愛情が苦手だった。
付かず離れずの距離でも、言葉や態度や視線から伝わる粘着した感情には、嫌でも気が付いた。
今の倫太郎からは、粘った執着を感じない。
「あーぁ。全部、伊織のせいだなぁ」
ぼやきながら倫太郎が立ち上がる。
使冴の前に立つと、頬に手を添えた。
「オークションが終われば、使冴君が欲しい答えが見つかるはずだよ。それまでは僕が、根黒倫太郎だ。間違わないでね」
「兄ちゃんも弟も、倫太郎さんなんだろ? だったらアンタも倫太郎さんで、間違いねぇんじゃねぇの?」
不思議に思って、首を傾げる。
名前を共有しているのなら、どっちも倫太郎だ。
倫太郎の目から、一瞬笑みが消えた。
「……そっか。僕が倫太郎でも、いいのか」
小さく零した声が、かすれて聴こえた。
俯いていた倫太郎の目が、使冴に向いた。
「僕は、約束のために使冴君を利用する。使冴君が僕に興味を持とうと、変わらないよ」
「いいよ。俺も俺が思うように動くから。伊純も伊織兄ちゃんも、それでいいって言ってくれた。だから倫太郎さんも、好きにしてよ」
ここまで来たら、倫太郎の約束は、できる限り叶えてやりたい。
もし伊純の推察通り、父親を殺すのが倫太郎の目的なら、それだけは全力で止める。
(たとえどんな父親でも、倫太郎さんにこれ以上、死に別れはさせない。俺と同じ思いはさせないって決めた)
殺したいほど憎い相手を殺すのが正しいとは、使冴は思えない。
幸せな家庭で育ち、大好きだった家族を奪われた使冴だから感じる思いだとしても。
倫太郎にこれ以上、人の死という重荷を背負合わたくない。
「やっぱり使冴君の目は、蓮の花のように美しいね」
微笑んだ倫太郎の目に、熱が浮いて見えた。
欲や愛とは別の、生が滲んだ熱だ。
初めて、倫太郎の顔を綺麗だと思った。
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