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第55話 暗い海

 客室のドアがノックされた。  振り返った使冴を制して、倫太郎がドアに向かった。 「僕たち商品を管理、保護する黒服が来たんだと思う。僕が出るよ」  管理保護と聞いて、使冴に緊張が走った。  ついにオークションが始まる。 (てことは、船内にDissolve捜査官の配置、済んだのかな。伊純は本部かな。伊織兄ちゃんは、どこに居るんだろう)  この場所までは倫太郎の案内でやってきた。  倫太郎から事前に必要情報の提示をされていたので、前日の打ち合わせはさっくりと終了した。  使冴に伝えられたのは、船内の見取り図と捜査官の配置、当日の簡単な進行だけだった。 『当日はNGRのスタッフ全員、Dissolveの捜査官だ。使冴君は心配せずに商品の振りをしていればいいよ』  伊織の説明はシンプルを通り越して、説明ですらない。  NGRは、倫太郎が|責任者《ハウスマスター》を務めるオークションハウスの名称だ。  出品者となる根黒組が直接の主催にはなれないので、別会社を装い管理しているらしい。 (前に、オークションの最高責任者って言っていたけど、そういう意味だったんだ)  根黒厳随の下にいる三人の組長の中でも、オークションハウスの管理運営を任されるのは、特別なのだそうだ。  ハウスマスターの権限で、今日のスタッフ配置や進行は、準備から総て倫太郎が段取りしている。  準備にはしっかり伊織も絡んでいる。  この船舶内にいるNGRのスタッフは全員が、伊純が選出したDissolveの捜査官だ。 (ハウスマスターの権限も、組長の地位も、雀蜂αの自分と一緒に全部、倫太郎さんは出品しちゃったんだよな)  改めて考えると、恐ろしい話だ。  根黒組に捕縛されたら、どうなるのだろう。 「待ってたよ。どうぞ、入って」  黒いスーツにサングラスをかけた大きな男が二人、入ってきた。  その姿を観て、絶句した。   「あれ? 伊純と……伊織兄ちゃん?」  扉の鍵をしっかり閉めてから、二人がサングラスを外した。 「やっぱ、グラサン程度じゃ、バレるか」 「大きめの、なるべく黒いのにしたのにね」  伊純と伊織が残念そうに、外したサングラスを眺めた。   「いや、違う。匂いでわかった」  伊純も伊織も、フェロモンの匂いでわかった。  倫太郎が部屋に来てから、前には感じなかった伊織のフェロモンを感じるようになった。  同じアルファでも匂いが違うのだと知った。 (伊純と倫太郎さんと伊織兄ちゃんは、三人とも違う匂いだ。伊純のが特別、好きだけど)  特別敏感に感じ取るし、特別良い匂いに感じる。 「顔は、あんまり見てなかった。匂いがなかったら、わからなかったかも」  よく見れば髪色でわかるが、今日は髪型も雰囲気もいつもと違うから、気が付かなかったかもしれない。 「使冴君、顔をガン見して覚えるほど、他人に興味がないもんね」 「匂いか、そっか……」  伊織と伊純が微妙に照れている。  よくわからなくて、首を傾げた。 「匂いって、フェロモンの匂い? 艶っぽいというか、淫靡だね。僕のも感じる?」  倫太郎が自分の項を嗅がせるように使冴に寄った。 「倫太郎さんのも、わかるけど……これって、エロいの?」 「アルファの僕らは、使冴君から微量に漏れる蜜に反応して、無自覚にフェロモンを放出してるんだよ。しかも、使冴君はここにいる三人のフェロモンしか感じない。発情を促す匂いで相手を無意識に判別するって、官能的で、とても淫靡だと思うな」    倫太郎の言葉の響きのほうが、よっぽどエロい。  今までアルファのフェロモンを感じなかったから、そういう発想が自分の中になかった。 (言われてみれば、めちゃくちゃエロいな)  気が付いたら、急に恥ずかしくなった。 「えと……二人は何で、ここにいんの?」  熱い顔を隠して、強引に話題を変えた。 「今日の俺たちは、オークションの商品である使冴君と倫太郎の管理保護をする黒服だよ」 「え? でも、伊純と伊織兄ちゃんが現場に出ちゃったら、指揮官は?」  普段は伊純が本部指揮、伊織が現場指揮を担うと聞いている。 「今回の総指揮は、Dissolve班長の御影伊知郎だ」 「そうなんだ……」  伊純から躍り出た名に、使冴は息を飲んだ。  伊純と伊織の父である御影伊知郎が現場の指揮を取るのは、最近では珍しいらしい。  それだけ今回の捕物がDissolveにとり、大掛かりで重要である証拠だ。   (Dissolveがずっと追いかけてきた根黒組で、しかも最大規模の人身売買オークションだもんな。わかってたけど、緊張する)  指揮官レベルの二人が現場に出るほどの重要任務なんだろう。  改めて自分の役割を重く感じる。 「そう硬くなる必要もないよ。今日の商品は性玩具じゃないから、ゲストも紳士淑女が多い。裏方も楽じゃないかな」 「性玩具……?」  倫太郎から不穏な単語が飛び出して、使冴は思わず聞き返した。 「人身売買オークションのほとんどは、性玩具目的の人間の落札だ。NGRの商品は調教レベルが高いと好評なんだ。年齢と性別、バース別に行われるんだけど、十代半ばの男女Ωオクが一番人気があるかな。客層がフランクだから、会場も乱れがちでね。商品のプレゼンだけでも、結構カオスだよ」  倫太郎がつらつらと説明をくれた。  事も無げな声と表情に、ゾッとする。 「プレゼンって、そういう……エッチなコトすんの?」  性玩具のオークション。  そのプレゼンと言われれば、内容は想像に難くない。 「商品の従順さや感度、得意なプレイとかのお披露目だね。ゲストはアルファが多いから、商品のオメガのフェロモンで興奮して始めちゃう時もあって、取り締まりが面倒でね」  倫太郎が息を吐く。  管理者のオークションハウスとしては面倒なのだろうが。  聞く側としては、穏やかじゃない。 「そういう下世話なオークションがあるからこそ、AutumnFesみたいなオクの格が上がるんだろうね。招き入れるゲストを厳選する辺りも、差別化が上手い」  伊織が普通に感心している。 「その辺りはNGRハウスマスターの僕の手腕だよ。社会的地位が高い人間は、特別を好む。下世話な一般人以上に下世話な己の本能を隠したがる紳士淑女のご要望に完璧にお答えするのが、NGRオークションハウスだからね」  倫太郎が笑顔で、自慢げだ。  言葉に刺々しい嫌味を感じたし、何より内容が物騒だ。 「今回のAutumnFesのゲスト、大半が資産家や起業家だが、叩けば余罪がありそうな犯罪者まがいばかりだからな。お前がわざと集めたんだろうけど」  伊純の目が倫太郎に向いた。   「それについては、Dissolveへの手土産、僕からの御礼だよ。AutumnFesはNGRの|BLACKLIST《顧客》の中でもお得意様しか招待しない特別オクだ。世界中、どの国の警察組織が連行しても逮捕できる程度の、叩けば何かしら埃が出る上流階級を厳選しておいた。上手に捕まえてね」    倫太郎がニコニコと笑みを返す。  改めて、根黒組のオークションの闇を深さを垣間見た。  伊純の眉間に小さく皺が寄っている。   「陽が暮れたね。大会場のオークションが始まる時間だ」  倫太郎の目が窓の外に向いた。  つられて使冴も外を眺めた。 「いつの間にか、船が沖に出てる」  緩い波の上を、豪華客船がゆっくりと進む。  真っ黒な海を月が不気味に照らしていた。 「日の入りと共に、オークションが始まる。特品のオメガやアルファの競り終了後に、本日の目玉、蜂の競りが始まる」  倫太郎が握った拳を胸にあてた。 「ついに、この時が来た。あぁ……楽しみだね」  恍惚と呟く倫太郎の目には、愉悦が浮かぶ。  その表情に、寒気が走った。 (本当に、始まるんだ)  物理的にも組織的にも、根黒組を破壊しなければ、この場所から逃げられない。  使冴は永遠に、根黒組に囲われる。 (根黒厳随を逮捕して、根黒組を解体する。その上で、倫太郎さんを抱き込むのがDissolveの作戦だから。俺がするべきは、このオークションをぶっ壊すこと)  何より、倫太郎に人を殺させないコトだ。   (それに俺は、倫太郎さんの真意が知りたい)  ここまで大掛かりな仕掛けに使冴を巻き込んでまで、倫太郎がやろうとしていること。  順当に考えるなら、父親である厳随を殺して根黒組を潰すことだ。 (けど、それだけかな。俺がここにいなきゃいけない理由が、他にあるんじゃないのかな)  倫太郎が使冴を巻き込んだ本当の理由が、別にある気がする。 (伊純も伊織兄ちゃんも、俺にまだ何か隠してる。作戦の全部を教えてくれないのは、きっとそのせいだ)  今回の作戦の全容を知らされないのは、いつもの通り、使冴の人間性とアドリブに期待している部分も大きいんだろう。  けれど、今回はそれだけではない気がする。 (伊純を信じるって決めたから。隠すべきだって伊純が判断したなら、それでいい。俺は、自分が正しいと思うように動くだけだ)  それはある意味で、伊純からの最大の信頼であると感じる。  だから不安はない。  決意を新たにして、使冴は暗い海を見詰めた。

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