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第58話 前室の罠

 伊純を先頭にして、廊下を移動する。  箱にでも仕舞わせて運ばれるのかと思いきや、普通に徒歩移動だった。 「商品の搬入通路は関係者以外立ち入り禁止になってる。蜂に関しては更に人が絞られるから、誰かに会うってことはないよ」 「つまり、会ったらソイツは侵入者って理解でいいな」 「凡そ、間違ってないね。Dissolve捜査官以外にも十人程度はNGRのスタッフがいるけど、この通路には入るなと伝えてある」  倫太郎と伊純の会話を片耳に聞きながら、使冴はきょろきょろと廊下を眺めた。  窓がなくて、普通のホテルの廊下のようだ。  少し歩くと、目の前に重厚な扉が現れた。 「この扉の向こうが前室。黒服はそこで待機だよ。その先が、オークション会場だ」  倫太郎が振り返る。  使冴は伊純と目を合わせて頷いた。 「僕らも前室で待機して、呼ばれたら出る。僕がリードするから、使冴君は付いてきて」 「わかった」  倫太郎が前に出て、扉の脇にあるナンバーロックにコードを入力する。  スライド式の蓋が開いて、液晶画面のようなものが出てきた。 「虹彩ロックか、厳重だな」 「それだけ高価な商品が保管される場所ってことだね」  倫太郎が画面に自分の目を映す。  赤い光線が倫太郎の目を読み取っている。  映画やドラマで見るような光景だ。 「伊純、ちょっとこっち、寄って」  倫太郎が伊純を手招きした。  寄った伊純の肩を掴むと、画面に伊純の目を読み取らせた。 「おい、何して……」    倫太郎が伊純の耳元で何かを囁いた。  動いた手が胸ポケットに何かを入れたように見えた。  倫太郎が伊純から手を離すと、目の前の扉が開いた。 「それ、僕からのプレゼント。上手に使ってね」  倫太郎が伊純の胸ポケットを指さした。  伊純が、何も言わずに胸ポケットを握った。 「使冴、こっち」  伊純が使冴の手を握った。  倫太郎が開いた扉の中に入る。  後について室内に入ると、すぐに扉が閉まった。 「狭い部屋だね」  使冴は室内をぐるりと見回した。  六畳程度の広さの部屋には、壁に備え付けの大きなソファがひとつ、部屋の中を大きく締める。  小さなテーブルの上に、飲み物が置いてある。  それ以外は何もない空間だ。  さっきまでの控室に比べたら、かなり狭い。 「前室だからね。長居する場所じゃないし、用途も限られるから広さは必要ない」  瓶に入った炭酸水をコップに注いで、倫太郎が使冴に手渡した。 「商品は、会場に入る前にこれを飲む決まりだよ」 「待て、それは何だ。聞いてねぇぞ」  伊純が倫太郎の腕を掴んで止めた。 「遅効性の抑制剤だよ。会場にはアルファが多い。オメガのフェロモンで客のアルファが煽られれば、商品も発情する。性玩具のオクじゃなくても、同じ状況は起こり得るからね。予防的に飲んでおくんだ」 「興奮剤じゃねぇのか? 抑制剤を飲んだらフェロモンの感度のプレゼンができねぇだろ」  手を離さない伊純を、倫太郎が横目に流し見た。   「確かにフェロモンの感度は、商品の価値基準の一つだ。プレゼンでも重要視される」 「だったら……」  言い合いをする倫太郎と伊純の声が、ぼんやりと遠くに聴こえる。  気分がフワフワして、気持ち良くなってきた。 (あれ……なんか、変だ。ゾクゾクする……)  倫太郎と伊純が、同時に使冴を振り返った。 「使冴? もしかして、発情してる? なんで……っ!」  伊純の息が荒い。  使冴のフェロモンに反応しているようだ。   「興奮剤は、別の形で負荷するんだ。だから遅効性の抑制剤を先に飲むんだよ。プレゼンのための興奮が時間差で醒めるようにね」 「なんだ、それ……そういうのは、事前に……」  必死に耐える伊純の姿が、視界の中でぐにゃりと歪んだ。 「話しちゃったら、今みたいに伊純は僕に噛み付いてくれないでしょ? 素直に抑制剤を飲まれると、困るからね」 「なん、で……お前、何する気、だ……はぁ、ぁっ……使冴」  伊純が使冴に向かって伸ばした手を、倫太郎が軽く払った。 「ぁ……いすみ、んっ……」  体が疼いて、足が震える。  視界がぼんやりして、歪む。  使冴の姿を眺めて、倫太郎が薄く笑んだ。 「いいね、使冴君。蜜もしっかり流れてる。番を翻弄するフェロモンと、それ以外のアルファを翻弄する蜜が、同時に放出されてるよ」  そう話す倫太郎の目にも、欲情が浮いている。  使冴のフェロモンに中てられているようだ。 「なんで、おれ、こんなに……」  腹が疼いて体中が気持ちがいい。  服が擦れる感触にまで感じて、膝から崩れ落ちた。 「くっそ……使冴!」  伊純が使冴の体を支えた。  抱き合ったまま、大きなソファに転がった。 「二人とも発情して、可愛いなぁ」  倫太郎が伊純の耳をなぞった。 「んっ……やめ、ろ。さわんなっ」 「この部屋は特殊でね。壁から気化した興奮剤が散布されてる。三分もいれば、すぐに発情できるよ」 「だから、こんなに、発情して……ぁ!」  使冴の口から悲鳴が零れた。  動こうとした伊純の足が使冴の足をかすっただけなのに、鋭敏な肌が反応する。 「使冴君、いっぱいフェロモンを出して、伊純を発情させてあげてよ。有能なブレーンが使い物にならなくなるくらい、たっぷりとね」  倫太郎に耳を舐められて、使冴の体がビクンと跳ねた。  快感が背中を駆け上がるたび、フェロモンが溢れるのが、自分でもわかる。  その度に、伊純の体が熱くなって震えを増す。 「ぁ……は……つか、さ……」  伊純が使冴の体を抱き寄せて、口付ける。  執拗に股間を擦りつけられて、使冴の腰が震えた。 (目の焦点が合ってない。完全に俺のフェロモンに飲まれてる)  伊純が使冴を強く抱く。  自制を忘れてた唇が、絶え間なく使冴に吸い付く。 「倫太郎さ……なん、で……」  倫太郎がコップの水を飲みほした。   「伊純の頭が働く状態だと、この先は僕にとって都合が悪いんだ。だから、動けなくなってもらおうと思ってね」  倫太郎がポケットからアトマイザーのような容器を取り出した。  透明な小瓶には、薄紫色をした液体が揺れている。 「根黒組は、人身売買以外にも収入元があってね」  倫太郎が使冴の目の前で小瓶を揺らした。 「脳の快楽中枢に作用して、バースに関係なく興奮を高める覚醒剤だよ。安価で効きが強いから若者に人気でね。キメセクに最高ってね。この部屋に流れているのも、気化したこの薬だ」  倫太郎が伊純の顎を持ち挙げた。  蓋を開けたアトマイザーを伊純の口に捻じ込む。 「やめっ……はな、せ」  ほとんど抵抗できないまま、伊純の口の中に液体が流し込まれる。  更に顎を持ち挙げると、伊純が反射で口の中の薬を飲み込んだ。 「はぁ……はぁ……ぁ、あぁっ!」  伊純の震える手が使冴に伸びる。 「いすみ、いすみぃ……」  使冴を抱き寄せる伊純の眼球が不自然に揺れて、見る間に正気を失っていく。  抑制を失くした腕が使冴を抱く。  荒々しく口付けて、使冴の体に急いた手が伸びた。 「んっ……んんっ」  キスしただけで、伊純の体が大きく震えた。 「伊純に抱かれてる使冴君、可愛いよ。こっち向いて」 「んっ」  使冴の口に、倫太郎がぴたりと口付けた。  流れ込んできた水を、使冴は飲み込んだ。 「使冴君には、正気でいてもらわないといけないからね。もう少し抑制剤、飲んでおいて」  倫太郎が再度、使冴に口付けた。  抵抗できない喉が、口移しの水を飲み込んだ。 「なん、で……いまさら、こんな……」  Dissolveと協力関係を築いたはずの倫太郎が、何故今更、伊純を嵌めるような真似をするのか。  思考を失くした頭では、疑問すら真面に言葉にできない。 「なんで? 最初から、こういう計画だったからだよ。仲良しごっこも計算の内だ。伊織は今頃、甲板で暴走した客の鎮静に追われてる。伊純には、夢の中で気持ち良くなっていてもらう。その間に僕は……」  倫太郎が使冴の顎を捕まえた。 「使冴君に、最高の絶望を見せてあげる。やっと君の心を折る時が来たんだ。僕は、この瞬間のために生きてきたんだよ」  倫太郎の目に熱が浮いた。  嗜虐と愉悦の混じった、狂気の目だ。 (針……針を、使わなきゃ……)  なけなしの理性で、制御できない本能に抗う。  フェロモンを調節しようと思うのに、上手くいかない。  倫太郎の手が伊純の首に伸びた。 「ぅっ……っ!」  倫太郎の触れる手にさえ、伊純が反応する。  首を絞められて息を止めた伊純の体が硬直する。 「伊純、こっちを向いて。口を開けて」  倫太郎が伊純の顎を優しく撫でた。  伊純の顔が上向く。  薄く開いた目に意識がない。  倫太郎が顔を近付けると、伊純に口付けた。 「ぁ、ぅっ……つか、さ」  目の前で、伊純が倫太郎とキスしている。  嫌でたまらないのに、腹の疼きを止められない。 「はぁ……今の伊純には、僕も使冴君に見えている。あの薬には軽い幻覚作用があるから、誰が相手でも夢の中の使冴君と気持ち良くなれるんだ。幸せだね」 「や……やだ、そんなの……」  頭も口も回らなくて、言葉が上手く出てこない。 「伊純を助けてあげたいね?」  倫太郎に柔らかく問い掛けられて、使冴は頷いた。 「なら、僕と一緒においで。針は使用禁止だ。使えば、伊純にもっと強い薬を盛る。番じゃないΩでも喜んで抱く伊純にしてあげる」 「いすみ……」  使冴の声に反応して、伊純の体がビクリと震えた。 「ぁ……」  声にならない声が、伊純の口から零れる。  目の焦点が合っていないまま、体だけが快楽に反応している。  意識が混濁しているのは明白だ。 「いく、から……いすみにもう、なにも、しないで」  視界が涙で歪んだ。  怖いのでも不安でもない。  何もできない自分が悔しい。 「良い子だね、使冴君。ここからが、本当のショーの始まりだ」  倫太郎に腕を引かれて起き上がる。   「つか、さ……っ。い、くな……」  伊純の声を背中に聞いて、使冴は倫太郎に腰を抱かれて歩き出した。

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