59 / 64

第59話 根黒厳随の正体

 前室を出ると、細い通路があった。  その場所で、使冴は別の抑制剤を飲まされた。 「少しは正気が戻ってきたかな?」  使冴は俯いたまま、小さく頷いた。  出てきた前室の扉を見詰める。  入った時と同じようにナンバーと虹彩ロックがかかった重い扉だ。 「すべて終われば、伊純は解放するよ。部屋の中には伊純に飲ませたのと同じ覚醒剤が気化して流れているから、急がないとシャブ中になるだろうけど」  思わず手が出て、倫太郎の胸倉を掴み上げた。 「俺は逆らわない。倫太郎さんがしたいコト、全部に付き合う。だから伊純を解放しろよ」 「それは無理だ。伊純の頭が働くのは、僕が困るんだ。多少、ボンヤリしてくれてないとね」 「多少ボンヤリでいいなら、あんな……あんな風にしなくても」  目に涙が滲む。  どうしようもない怒りと不安が溢れて、おかしくなりそうだ。 「だったら、急いだほうがいい。こんなところで僕と押し問答していても、伊純を助けられないよ」  倫太郎が使冴に向かって、手を差し出した。 「僕とおいで、使冴君」  その手を見詰める。  使冴は胸倉を掴む手を離すと、倫太郎の手を取った。 「ふふ。今までで一番、傷付いてくれた。嬉しいよ」  倫太郎の呟きに、感じたことのない怒りが湧いた。  使冴は、強く唇を噛み締めた。  倫太郎に手を引かれて、やってきたのは、オークション会場である小劇場だ。  オークション前だからなのか、暗い。  小さなステージに、倫太郎と一緒に袖から上がった。 (人の気配がない。客は、まだ入ってないのかな)  オークション開始直前なら、客席に人が座っているはずだ。  まだ開場していないのだろうか。  暗い客席側を凝視する。  狭い小劇場は客席が階段状になっている。  圧迫感があって余計に狭く感じた。 (まだ客すら入ってないんじゃ、どれだけ時間がかかるんだ。早くしねぇと、伊純が。戻らなかったりしたら。そんなの絶対、嫌なのに)  幻覚作用まである興奮剤なら、長く使用すれば脳に何らかの後遺症が残るかもしれない。  使冴の気持ちが焦る。 「まだ始まんねぇの? 何でもするから、さっさと始めてよ」  隣に立つ倫太郎の腕を引っ張る。  倫太郎が楽しそうに笑んだ。 「慌ててるね、使冴君。大丈夫だよ。蜂の競りは、とっくに終わってるから」 「……は? これからじゃねぇの? まだプレゼンもしてねぇのに」 「必要ないんだよ、そんなもの。蜂は二匹とも、誰も追いつけないほどの最高額で落札された。今からするのは、落札者の希望を叶えるショーだ」 「希望の、ショー……?」  状況がわからず、混乱する。  突如、ステージ上のライトが付いた。  煌々とした灯に目が眩む。 「なに、これ……」  ゆっくりと目を開く。  ただのステージじゃない。 (これ、チャペル?  ステージの背面に描かれているのは、教会だ。  これから演劇でも始まるかのようなセットが組まれている。 「タキシードは、このための趣向だよ。僕らは、これから結婚するんだ」 「結婚……? 何、言ってんの……?」  倫太郎が使冴の手を握った。 「使冴君は、僕が使冴君に興味がないと思っているようだけど。僕は昔からずっと、使冴君だけを愛してきた」 「何でだよ。違うだろ! アンタが本当に好きなのは、伊織兄ちゃんだろ!」  ついさっきまでの伊織とのやり取りに嘘があったとは思えない。  むしろ、目の前で話す倫太郎のほうが、芝居がかって嘘くさい。 「わかってないな、使冴君。根黒倫太郎が愛していいのは、天久使冴ただ一人なんだよ。生きる希望を失うほどに心を折って、目から生気が抜け落ちて、息を吸う気力もないほどに体を震わす。そんな使冴君に興奮する。それが倫太郎の愛し方だよ」  恍惚と語る倫太郎の目には、嘘が見えない。  得も言われぬ不安が、使冴の胸に広がった。 「そんなの、愛っていわな……んっ!」  握った手を引いて、倫太郎が使冴の腰を抱く。  重なった唇から、倫太郎のフェロモンが流れ込んだ。 (甘くて、苦い……。今日の倫太郎さんのフェロモン、前より苦い)  マンションで一緒に暮らしていた時のほうが甘かった。  それなのに、また腹の奥が疼いてくる。 「僕のフェロモンで発情して、僕を受け入れて。そうすれば、使冴君も伊純も、楽になれる」 「や、だ……ぅん」  肌がゾクゾクして、足の力が抜ける。  使冴の体を倫太郎が抱き寄せた。 (正気でいろって言ったくせに。今度は自分のフェロモンで酔わせたり。何がしてぇのか、わかんねぇ)  前室で使冴を発情させたのは、伊純の発情のきっかけを作るためだったのだろう。  一度、発情させたほうが興奮剤などは薬効が強く出る。 (あれだけ強い薬なのに、倫太郎さんは何で正気でいられるんだ? 抑制剤、飲んでるから? もう、わかんねぇ)  倫太郎もアルファなのだから、覚醒剤の効果があって然るべきなのに。 「頭は、しっかりしている? 発情してほしいけど、飛んじゃダメだよ。これから起こること全部、脳に刻んで、ちゃんと絶望しなきゃね。使冴君はその為に今日、ここにいるんだから」  倫太郎の薄い笑い声が、耳の中に響いた。 「意識飛ばしたり、するかよ。伊純は俺が助け出す、んだから」  荒い息を飲み込んで、涙で歪む視界の中の倫太郎を睨みつけた。 「それでこそ使冴君だ。紹介し甲斐があるよ」 「紹介? 誰、を?」 「僕らを買った落札者で、僕と使冴君を結婚させたい人だよ」  倫太郎が指を鳴らした。  客席の最前列にスポットライトがあたる。  見知った顔の男が一人、座っていた。 「葵、さん……。なんで、アンタが、ここに」  使冴は目を見開いて息を飲んだ。  高校を卒業するまで世話になった児童養護施設の施設長、双葉葵だ。  客席の最前列に足を組んで座る葵が、ステージ上の使冴と倫太郎を眺めていた。 「久し振りだね、使冴。随分、心配したんだよ」  その表情は、施設で使冴に話しかけた葵そのものだ。 「施設を出た後も、根黒組の監視下で育てるために、匠と銀次を使って白玉組で囲ったのに。まさか、よりによって御影組に拉致られるなんて」 「囲う? アンタが、俺を?」  ドクドクと、心臓が嫌な鼓動を速める。 「双葉児童養護施設は、根黒組がオークションに出品する子供を飼育する場所だ。商品管理のための施設だよ。でもね、使冴は初めから商品にする気は、なかったんだ。別の使い道があったからね」 「使い道って、まさか」  葵が立ち上がり、ステージに上がった。 「使冴は覚えていないかな。約束しただろ、娶ってやるって」 「あ……あの、言葉は……」  頭の中に、あの時の声がフラッシュバックする。 『頃合いに育ったら、娶ってやる』  あの時、あの言葉を使冴に向かって吐いた男は、どんな顔をしていたか。 「約束したのは、俺ではないけどね。だから先に、自己紹介しておくよ」 「自己紹介……葵さんは、双葉葵じゃない、の?」  使冴の問いかけに、葵の薄い唇が笑んだ。  その顔は倫太郎にとても良く似ている。 「察しが良い使冴なら、気が付いたかな。俺には、もう一つの名前がある。双葉は母方の姓でね。俺の本当の名前は、根黒厳随。根黒組・組長で、倫太郎を産んだオメガだ」  使冴は息を飲んだ。 (意外では、ない。何となくは、予想してた。だけど)  心臓が、やけに重く音を立てる。 「これ、が……俺に与えたい、絶望ってやつ、なのか? 葵さんが厳随で、息子の倫太郎さんと俺を、結婚させたいって?」  葵が苦笑して首を傾げた。 「雀蜂と女王蜂が交尾したら、どんな子供が生まれるのか。俺としては気になるけどね。蜂の子ってだけで、さぞかし高価な商品になりそうだ」  葵が興味深そうに笑んだ。  その目は、熱を持っていない。 (人間を人間だと思ってない。この人にとって、生まれてくる子供は商品で札束でしかないんだ)  一瞬で、そう感じ取らされる。  胸に冷たい水を流されたように、痛い。 「けどね、使冴に子供を産ませるわけにはいかないんだ。彼が女王蜂に雀蜂を宛がう理由は、他にあるからね」 「宛がう……理由?」  葵や倫太郎がしたいことが、全くわからない。 「結婚は、使冴を縛るための手段でしかない。真の目的は、彼に聞くといいよ」  客席の階段を降りてくる足音がする。  真っ暗な闇の向こうから、男の姿が浮かび上がる。  スポットライトの下に、一人の男が姿を現した。  使冴の喉が、ヒュっと音を立てて締まった。 「……父さん……?」  十五年前、使冴を庇って死んだはずの天久聖冴が、使冴を見詰めて立っていた。

ともだちにシェアしよう!