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第60話 十五年前の黒幕

 十五年前、使冴の父と母、姉は根黒組の襲撃を受けて死亡した。  父である聖冴は、使冴を守るため、被弾してその場で果てた。 (父さんは俺の目の前で殺された。俺に生き残れって、絶対に死んじゃダメだって。そういって、俺の腕の中で、息を引き取ったんだ)  少しずつ弱まる父の呼吸、全身の力が抜けて覆い被さった体の重さ、鼻を突く血の匂い。  記憶の奥底に仕舞い込んでいたリアルな感触を、今の使冴は思い出せる。  しかし、目の前に立つ男は、記憶の中の父にそっくりだ。  顔も背格好も、あまりにも似すぎている。  十五年という歳月が重なった変化を差し引いても、使冴の脳が父だと錯覚する。 (父さんなわけ、ない。わけないのに、父さんに見える。ダメだ、信じるな、きっと違う)  飲まれそうになる思考を懸命に立て直す。 (でも、じゃぁ……この男は、誰だ?)  頭も感情もパニックで、言葉が出てこない。  そんな使冴に男が笑いかけた。 「だいぶ混乱しているね。元々、顔は似ていたんだけど。怯えるほど、君の父親に似ているかな」  心を見透かしたような問いかけにも、頷くことすらできない。 「君に会うのは、今日が二度目だ。一度目は、聖冴を殺した後、君を施設まで運んだ時だ。いやらしいほど美しく育ったね、使冴」  ビリっと肌が、ひりつくのを感じた。  男がステージに上がり、使冴の前に立った。  使冴の顔を、じっと見下す。 「本当に聖冴にそっくりだ。小柄な体躯も美しい顔も。生意気な目付が、何より似ている。私から何もかもを奪った聖冴と同じ目だ。何度、殺しても殺し足りない面だな」  男の手が使冴の首を乱暴に掴み上げた。 「ぅっ……ぁっ……、かはっ」  指がめり込むほどに首を絞められて、息ができない。 「父さん。あまり締めすぎると、一思いに殺してしまいますよ」  倫太郎が、やんわりと男の手を剥がした。  手が離れて、何とか息を吸い込む。 「はっ! はぁ……!」 「あぁ、危ない。この顔を見ると抑えがきかないな。衝動的に殺したくなる。殺す前に、女王蜂のΩ性を、天久の血から奪ってやらないとな」  男が使冴の頬を平手で殴った。  口の中が切れて、血の味が広がった。 「アンタ一体、何なんだ。誰なんだよ」  使冴は男をキツく睨んだ。  男の眉間に皺が寄った。   「表情の一つ一つが、言葉が、声が、総て気に入らない。睨む目まで、聖冴そっくりだ」  男が使冴を睨んで、吐き捨てた。 「その男は天久|聖己《まさき》だよ。俺の夫で、使冴の父親と血が繋がった兄だ。無能のアルファと罵られて天久の家を追い出された、可哀想な男だよ」  葵の説明に、聖己が顔を顰めた。  使冴は息を飲んだ。 「父さんの、兄……俺の、伯父さん?」  聖己が目を細めて小さく歯軋りした。 「あぁ、そうだよ。使冴は、私が殺した聖冴の息子だ」  ドクリと下がった心臓が、音を立てて鼓動を速める。  耳に心臓が張り付いているみたいに、うるさい。 「アンタが、全部……家族も、俺の人生も、全部……奪った」 「奪ったんじゃない、教えたんだ。本当に優秀で、血を継ぐべきは誰かをね。わからない無能だから、聖冴は死んだ。それだけだ」  聖己の目が塗り潰されたように真っ暗だ。  なのに、憎しみだけはありありと伝わる。 「女王蜂だというだけで選ばれた。オメガなど所詮はアルファの血にたかるハイエナなのにな」  聖己が吐き捨てた。  使冴の胸に、怒りが湧き上がる。  なのに、腹の底に冷える恐怖が、ジワリと擡げてくる。 「殺すほど、憎らしかった……? 血の繋がった家族なのに、どうして、そこまで……」  情けないほど、使冴の声が震えた。  怒りなのか怯えなのかも、わからない。  喉が締まって、うまく声が出ない。  聖己の目が、醜悪に細まる。  口の端に下卑た笑みが浮かんだ。 「その顔は、悪くない。聖冴と同じ顔が愕然と歪むのは、気分がいいな」  使冴はその場にへたり込んだ。  理解が追い付かないのに、体が震える。  聖己が使冴の顎を掴んで上向かせた。  真っ暗な目が、間近に迫る。 「これ以上、何がしてぇんだよ。生き残った俺を殺せば、満足なのか?」 「いいや、私の目的は殺しじゃない」  使冴をまじまじと見つめる聖己の顔からは、笑みが消えていた。 「天久の血筋から女王蜂を消すことだ」  聖己が目だけでニタリと笑んだ。  使冴の肩が、びくりと跳ねた。  下卑た笑みが、過去の記憶と重なった。 『娶ってやる』  頭の中に、あの時の言葉が響く。  あの言葉を吐いた男の顔が、像で浮かぶ。 (この、顔だ。俺を施設に連れて行った男は、コイツだ) 「聖冴から奪えなかった女王蜂Ωの性は、使冴から奪う。そのための雀蜂だ」  体の震えも、耳につく心臓の音も、全然収まらない。  理解できない現実だけが、使冴の脳内に流れ込んでくる。 (十五年より、もっと前から始まっていた。全部……)  聖己が、使冴の顔を満足そうに眺めた。 「お前は聖冴より感情が顔に出る。生かしておいて良かった。私を満足させる、良いオメガだよ、使冴」  聖己の指が、使冴の頬をひと撫でした。  震えたくないのに、体が過剰に飛び跳ねた。 「お前がお前らしく狂えるように、これを使おう」  聖己がポケットから小瓶を取り出した。 「それ、倫太郎さんが伊純に使った薬……」  封を切った小瓶に、聖己が鼻を寄せた。 「ああ、そうだ。愛する番と同じにしてやろう」  使冴の顎を聖己が掴み上げた。  使冴は顔を振って、聖己の手から逃れた。 「ふざけんな。早く伊純を、元に戻せよ」  使冴は聖己を睨みつけた。  聖己の目が色を落とした。  ぞくりと、背筋に寒気が走った。  がつん、と頬に痛みが走った。  口の中にじわりと血の味が広がる。  聖己の拳が、使冴の頬を殴り飛ばした。 「お前の希望は聞いていない。されるまま絶望していろ」  聖己が倫太郎に目配せした。  倫太郎が使冴の腕を後ろ手に拘束した。  後ろから倫太郎の顔が近付いた。 「んっ……ふ」  突然、深いキスをされて、息が止まる。 「快楽を乞うフェロモンは聖冴以上か。種を乞うオメガめ」  聖己が吐き捨てた。 「雀蜂に凌辱される姿は、いい。使冴の中から女王蜂が消えていく様を想像するだけで、興奮するな」  聖己の顔が悦に歪む。  倫太郎に口付けられながら、使冴は聖己を横目に見た。 (言葉が通じる気がしない。この感じ、弟のほうの倫太郎さんと似てるんだ)  会話をしているようで一方通行な違和感が、そっくりだ。  きっと聖己の狂気は、使冴を壊すまで止まらない。  聖冴を殺しても尚、十五年の歳月をかけて使冴を壊しに来た聖冴の執念を、目の奥に感じ取る。 「そろそろ御影伊純が仕上がる頃合いか。使冴の目の前で壊してみるか」 「……は?」  口からするりと声が零れた。  聖己が使冴に視線だけを寄越した。 「聖冴の時のように、目の前で愛する番を壊せば、使冴も少しは屈服する気になるだろう。あの時のように楽に殺すはないが。道具としては充分だ」  当然のように流れてきた言葉に、耳を疑った。 「なに、いってんだ」  震える声には、怒りが滲んだ。  聖己の目が険しさを帯びた。 「他のオメガを犯している姿を見せ付けるか。指を一本ずつ切り落とすか。どっちの壊れ方が見たい? 選んでいいぞ」  衝動的に体が動いた。  倫太郎を突き飛ばして聖己に殴りかかる。  飛び出した腕を倫太郎が捕まえた。 「っ、離せ!」  床にうつ伏せで抑え込まれた。  倫太郎が付か使冴の上に乗って、動きを封じた。 「伊純に何かしたら、許さない。殺してやる」  使冴は聖己を睨み上げた。  自分とは思えないほど、血を這う声が出た。  喉の奥に、じんわりと血の味が滲んだ。 「黙れ。私以外に意識を向けるな。お前は私にだけ、怯えて震えていればいい」  聖己の足が使冴の顔を吹きつけた。  ギリギリと床に押し付けられて、声も出ない。 「っ……!」 「父さん、使冴君に傷を付けるのは、早いですよ。こういうのは、伊純の前で晒さないと」  倫太郎が、聖己の足をやんわりと押した。 「番と同じように傷付くか。脆くも弱い関係だ。面白い」  使冴の頭から足を退けると、蹴り上げる。  脳が揺れて、視界がだぶった。 「さっさと連れてこい」  聖己の声掛けに、倫太郎が前屈みになった。  その拍子に、使冴に顔が近付いた。  耳元で倫太郎が小さく囁いた。 「針を使って。気付かれないように、少しずつね」 「……っ」  出そうになった声を飲み込んだ。  倫太郎がゆっくり起きあがる。 「今のうちに、飲んでおけ。意識は保っておけよ。正気でなければ、お前の心が壊れる様を楽しめない」  聖己が小瓶を使冴の口元にあてた。 「やめ……」 「オメガらしく従順に口を開き、毒を乞え。正しく狂え。私を満足させるために、お前は生かされたのだから」  無味無臭の液体が、口の中に流れ込んできた。

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