63 / 64

第63話 カモミールティ

 使冴たちは船がマリーナに着くまで、客室で休んでいた。  最初に着替えをした控室とは別の、広いゲストルームだ。 「使冴君、どうぞ」  伊織が入れてくれたのはカモミールティだった。  ミントリキュールが入っていて、口の中がすっきりする。  何度か殴られて切れているから、ちょっと沁みるが、美味しい。 「誰かに淹れてもらって飲むのって、なんか新鮮だ」 「いつも使冴君に美味しい紅茶やコーヒーを淹れてもらっているから。こんな時くらいはね」  向かいに座って、伊織が紅茶を含む。 「伊純が戻ってきたら、俺は指揮官と合流する。この後は伊純と一緒に行動してね」 「ん、わかった。あのさ、倫太郎さんは、どうなるの?」  意識を失った倫太郎は、医務室で休ませている。  脳負荷が大きかったのだろうという船医の判断で、下船したら入院予定だ。 「退院したら俺の補佐をしてもらう予定で話が付いてる。これまでの罪状はDissolveへの貢献と雀蜂の生態研究で返してもらうよ」  伊織が自信ありげに笑んだ。 「さすが、超法規的組織……」  元班長である聖冴がDissolveのはっちゃけた基礎を作ってくれた事実に、感謝した。 「伊織兄ちゃん、本当に倫太郎さんに惚れたんだね」  表情も態度も、倫太郎を葵から守った姿勢も総てが本気だと、使冴は感じた。 「気に入ったのは、確かだね。同族愛ってやつだよ」 「同族愛か。確かに似てるとこ、あるけど……」  ここに来るまでの倫太郎なら、食わせ者感が伊織と同族に感じた。 (けど、葵さんと話していた倫太郎さんは、まるで別人で。何も知らない子供みたいだった)  双葉葵が倫太郎をどのように飼い馴らして調教していたのか。  使冴には想像もつかない。 (大丈夫かな)  漠然とした不安を覚えた。 「倫ちゃんは大丈夫だよ。元々、聡明な人だからね。きっかけさえあれば、自分を見付けられる」  伊織の倫太郎を語る目は優しくて、穏やかだ。  だから、きっと大丈夫だと思えた。 「そっか。俺にも何か、役に立てることがあったら、教えて」 「勿論、あるよ。それについては、帰ったら話をしよう」  楽しそうな伊織に、とりあえず頷き返した。  部屋の扉がノックされて、伊純が入ってきた。  伊純はスーツを着替えていた。 (そういえば、前室で薬を盛られた時、ぐちゃぐちゃになっていたっけ)  あのままだったら、さぞ気持ち悪いことだろう。  その部分には触れるまいと、使冴は口にチャックした。 「悪ぃ、遅くなった。」 「大丈夫だよ。シャワって着替えないと、どうにもならない姿だったもんねぇ」  伊織が悪びれもせず、核心に突っ込んだ。  伊純が悔しそうに照れている。 「……上で親父が呼んでる。さっさと行けよ」 「はいはい。お邪魔虫は消えますよ。使冴君をよろしくね」  伊織が立ち上がり、使冴に手を振った。 「もう心配いらないから、マリーナに着くまで伊純と船旅を楽しんで」 「ありがと」  部屋を出る伊織と伊純が、互いの拳を合わせて頷き合っていた。  二人の姿を観て、本当に解決したんだと思った。 「伊純も飲む? カモミールティ」 「紅茶よりコーヒーがいい。ある?」 「あると思う。ちょっと待って」  さっき、伊織が紅茶を準備してくれていた辺りを探す。  ドリップタイプのコーヒーを見付けた。 「あった。これでいい?」 「ん、それでいい」  カップにコーヒーをセットして、ケトルの湯を注ぐ。  伊純が後ろから使冴に抱き付いた。 「ぅわ! あぶねぇだろ。コーヒー淹れるまで我慢しろ」 「やだ。触れていたい」  伊純にしては珍しい我儘だ。  それ以上、拒否できなくて、使冴は伊純に抱き付かれたまま湯を注いだ。 「……真犯人の目星は、付いてたんだ」  耳元で、伊純がぽつりと囁いた。  申し訳なさが滲む声だ。 「うん。だから伊純は、俺に黙ってたんだな」  家族を殺した犯人が、血の繋がった伯父だと伝えるのは憚られたのだろう。 「悪かった」 「謝んなって。伊純と伊織兄ちゃんが、俺のこと考えて出してくれた結論だろ。悪く思ったりしねぇよ。コーヒー、淹れたぞ」  カップをテーブルに置く。  二人並んで、大きなソファに寄り添って座った。  使冴は、カモミールティを一口、含んだ。 「それにさ、伯父さんとか言われても、いまいち実感が湧かねぇよ。元々、親戚がいるなんて、知らなかったしな」  父親の兄弟の話も、親戚の話も、使冴は父から聞いたことがなかった。  幼少の記憶を総て思い出したわけではないから、曖昧だ。   (けど、知らなくてもいい。父さんが話さないと判断したなら、それでいい)  天久聖己の顔は、父親の聖冴にそっくりだった。  老けていたとは思うが、見間違う程度には面影があった。 「あの人は、どうしてあんなに父さんを憎んでいたのかな」  父である聖冴への憎しみが、そのまま使冴にスライドした。  聖冴を殺してもまだ収まりきらない執着が、聖己の中には渦巻いていた。 「天久家は女王蜂Ωが家督を相続する。世の中じゃ珍しいオメガ至上主義だ。アルファの自分がないがしろにされたのが、気に入らなかったんだろうな」 「そっか……」  世間一般的に優秀とされるαなのに、身内に評価されない。  積み重なった思いが拗れたんだろうか。 (襲撃を受けた時、俺だけが生かされた。簡単に殺せる子供を生かしてまで嬲りたかったのか)  底冷えする恐怖に、身震いする。  それだけ強い執着が、使冴にはうまく理解できない。 「似てると思ったんだ。弟のほうの倫太郎さんの愛情って執着と、|聖己《あの人》の恨みって執着。愛憎とかいうけど、愛と憎しみって近い感情なのかもな」 「……そうかもな」  伊純が使冴を引き寄せ、抱きしめた。  心臓の音が重なる。  滲んだ不安が消えて、代わりに安心が広がった。 「もう二度と、危険な目には遭わせねぇって、本当は言いてぇけど。Dissolveにいる以上、特に使冴は、これからもこういう目に遭うと思う」 「うん。そうだよな」 「けどな、どれだけ危険な目に遭おうと、俺が助け出す。使冴を守るのは、俺だ」  伊純の腕が、力強く体を締め付ける。  その強さが、心地良い。 「ふふ、えへへ」  自然と笑みがこぼれた。  伊純が、不可解な顔で使冴を見下ろす。 「いや、さ。危険に巻き込むって誤魔化さないで話してくれて、それでも守るって言ってくれるの、嬉しいから。今日だって、伊純は助けに来てくれただろ」 「格好悪ぃ姿しか晒してねぇけどな。今日のは全部、忘れてくれ」  伊純が使冴の肩に顔を埋めた。 「格好良かったよ。惚れ直した」  伊純が何とも言えない顔で使冴を見詰める。  耳の先が赤くて、可愛い。 「俺も伊純を助けられるくらい強くなるよ」 「使冴は昔から、ずっと強い。今日は格別に、強かった」  伊純が使冴の髪に頬擦りする。  その仕草が可愛い。 (強いって言葉を伊純に貰えるのは、嬉しいな)  心がくすぐったくて、じんわりする。  使冴の中に、不意に疑問が浮かんだ。 「そういえば。どうやって前室から出てきたんだ?」 「あぁ、それな」  伊純がポケットからアトマイザーを取り出した。  小さな容器の中で透明な液体が揺れる。  倫太郎や聖己が持っていた覚醒剤と似ているが、液体の色が違う。 「倫太郎からのプレゼント」 「プレゼント? ……あぁ! 全室に入る前の、アレか!」  全室に入る前、ナンバーロックの前で倫太郎が伊純に絡んでいた。  あの時、伊純のスーツのポケットに何かを入れていた。 「この薬、例の覚醒剤の拮抗薬だった。扉の虹彩ロックも設定してたし、出るのも簡単だったよ」 「そうだったんだ」  前室に入る前、倫太郎がロック画面の液晶の前に伊純の顔を合わせていた。 (あの時、伊純の虹彩を登録していたのか。抜け目ねぇな)  つまりは最初から、倫太郎は伊純を助けるつもりだった。  あそこでハメたのは、味方を装うための建前だったのだろう。   「兄貴を早々に甲板に出したのも、恐らく倫太郎の手回しだ。兄貴がフリーで動ける状況を先に作っておいたんだろ。嫌味なくれぇ周到だよ。今回は倫太郎に巧いコト使われた」 「伊純に周到って言わせんのは、すげぇな。Dissolveのブレーンのお墨付きだ」    伊純が使冴の体を抱き寄せる。  自然と伊純に寄り添った。 「使冴が飲まなくて良かった」 「確かに、あれを飲まされていたら、かなりヤバい状況だったかもな」  使冴が飲んでいたら、普段の発情期以上に発情したと思う。  使冴の蜜に煽られたαの倫太郎や聖己に抑え込まれたら、抗えなかった。  前室での伊純の状態を思い返すと、ゾッと背筋が寒くなる。 (あんなに大変な目に遭っても、そんな風に考えてくれるんだな)  薬を飲んだ直後の伊純は酩酊状態で、かなり辛かったはずなのに。  それでも使冴を気遣ってくれる。 (俺の所に真っ直ぐ来てくれた。俺のこと、迷いなく守ってくれた)  伊純の使冴への想いは、いつでも迷いがない。  だから、安心して全身を預けようと思える。  伊純を見上げたら、額にキスされた。 「俺もちゃんと伊純の所に帰るよ。何があっても、俺が帰る場所は、伊純だから」  伊純の顔が、見る間に真っ赤になった。 「わかってんじゃん」  伊純が使冴を胸に抱いた。   (俺の人生、リセットして丸ごと引き受けるって言ってくれた、あの時から。俺の帰る場所は、伊純の腕の中って、決まってたんだ)  本当はもっと、ずっと前から。  十歳の時に出会った男の子が、本当に助けに来てくれた。  あの時の約束を守ってくれた。 「早く帰って、あの部屋で一緒に眠ろう」  伊純が使冴の頬に口付ける。  監禁同棲から始まったあの部屋が、使冴の帰る場所になった。 (もう迷わねぇな。伊純といれば、俺は俺でいられる)  指を絡めて、深く結ぶ。  この手がもう、離れることのないように。  後悔なんかしなくて済むくらい、気持ちも体も結んでいたい。 「俺も早く、伊純と眠りたい」  唇が重なって、熱が溶け合う。  伊純の匂いをいっぱいに吸い込んだら、使冴の胸にようやく安息が降りた。  受け止めてくれる胸に、使冴は頬を寄せた。

ともだちにシェアしよう!