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第63話 カモミールティ
使冴たちは船がマリーナに着くまで、客室で休んでいた。
最初に着替えをした控室とは別の、広いゲストルームだ。
「使冴君、どうぞ」
伊織が入れてくれたのはカモミールティだった。
ミントリキュールが入っていて、口の中がすっきりする。
何度か殴られて切れているから、ちょっと沁みるが、美味しい。
「誰かに淹れてもらって飲むのって、なんか新鮮だ」
「いつも使冴君に美味しい紅茶やコーヒーを淹れてもらっているから。こんな時くらいはね」
向かいに座って、伊織が紅茶を含む。
「伊純が戻ってきたら、俺は指揮官と合流する。この後は伊純と一緒に行動してね」
「ん、わかった。あのさ、倫太郎さんは、どうなるの?」
意識を失った倫太郎は、医務室で休ませている。
脳負荷が大きかったのだろうという船医の判断で、下船したら入院予定だ。
「退院したら俺の補佐をしてもらう予定で話が付いてる。これまでの罪状はDissolveへの貢献と雀蜂の生態研究で返してもらうよ」
伊織が自信ありげに笑んだ。
「さすが、超法規的組織……」
元班長である聖冴がDissolveのはっちゃけた基礎を作ってくれた事実に、感謝した。
「伊織兄ちゃん、本当に倫太郎さんに惚れたんだね」
表情も態度も、倫太郎を葵から守った姿勢も総てが本気だと、使冴は感じた。
「気に入ったのは、確かだね。同族愛ってやつだよ」
「同族愛か。確かに似てるとこ、あるけど……」
ここに来るまでの倫太郎なら、食わせ者感が伊織と同族に感じた。
(けど、葵さんと話していた倫太郎さんは、まるで別人で。何も知らない子供みたいだった)
双葉葵が倫太郎をどのように飼い馴らして調教していたのか。
使冴には想像もつかない。
(大丈夫かな)
漠然とした不安を覚えた。
「倫ちゃんは大丈夫だよ。元々、聡明な人だからね。きっかけさえあれば、自分を見付けられる」
伊織の倫太郎を語る目は優しくて、穏やかだ。
だから、きっと大丈夫だと思えた。
「そっか。俺にも何か、役に立てることがあったら、教えて」
「勿論、あるよ。それについては、帰ったら話をしよう」
楽しそうな伊織に、とりあえず頷き返した。
部屋の扉がノックされて、伊純が入ってきた。
伊純はスーツを着替えていた。
(そういえば、前室で薬を盛られた時、ぐちゃぐちゃになっていたっけ)
あのままだったら、さぞ気持ち悪いことだろう。
その部分には触れるまいと、使冴は口にチャックした。
「悪ぃ、遅くなった。」
「大丈夫だよ。シャワって着替えないと、どうにもならない姿だったもんねぇ」
伊織が悪びれもせず、核心に突っ込んだ。
伊純が悔しそうに照れている。
「……上で親父が呼んでる。さっさと行けよ」
「はいはい。お邪魔虫は消えますよ。使冴君をよろしくね」
伊織が立ち上がり、使冴に手を振った。
「もう心配いらないから、マリーナに着くまで伊純と船旅を楽しんで」
「ありがと」
部屋を出る伊織と伊純が、互いの拳を合わせて頷き合っていた。
二人の姿を観て、本当に解決したんだと思った。
「伊純も飲む? カモミールティ」
「紅茶よりコーヒーがいい。ある?」
「あると思う。ちょっと待って」
さっき、伊織が紅茶を準備してくれていた辺りを探す。
ドリップタイプのコーヒーを見付けた。
「あった。これでいい?」
「ん、それでいい」
カップにコーヒーをセットして、ケトルの湯を注ぐ。
伊純が後ろから使冴に抱き付いた。
「ぅわ! あぶねぇだろ。コーヒー淹れるまで我慢しろ」
「やだ。触れていたい」
伊純にしては珍しい我儘だ。
それ以上、拒否できなくて、使冴は伊純に抱き付かれたまま湯を注いだ。
「……真犯人の目星は、付いてたんだ」
耳元で、伊純がぽつりと囁いた。
申し訳なさが滲む声だ。
「うん。だから伊純は、俺に黙ってたんだな」
家族を殺した犯人が、血の繋がった伯父だと伝えるのは憚られたのだろう。
「悪かった」
「謝んなって。伊純と伊織兄ちゃんが、俺のこと考えて出してくれた結論だろ。悪く思ったりしねぇよ。コーヒー、淹れたぞ」
カップをテーブルに置く。
二人並んで、大きなソファに寄り添って座った。
使冴は、カモミールティを一口、含んだ。
「それにさ、伯父さんとか言われても、いまいち実感が湧かねぇよ。元々、親戚がいるなんて、知らなかったしな」
父親の兄弟の話も、親戚の話も、使冴は父から聞いたことがなかった。
幼少の記憶を総て思い出したわけではないから、曖昧だ。
(けど、知らなくてもいい。父さんが話さないと判断したなら、それでいい)
天久聖己の顔は、父親の聖冴にそっくりだった。
老けていたとは思うが、見間違う程度には面影があった。
「あの人は、どうしてあんなに父さんを憎んでいたのかな」
父である聖冴への憎しみが、そのまま使冴にスライドした。
聖冴を殺してもまだ収まりきらない執着が、聖己の中には渦巻いていた。
「天久家は女王蜂Ωが家督を相続する。世の中じゃ珍しいオメガ至上主義だ。アルファの自分がないがしろにされたのが、気に入らなかったんだろうな」
「そっか……」
世間一般的に優秀とされるαなのに、身内に評価されない。
積み重なった思いが拗れたんだろうか。
(襲撃を受けた時、俺だけが生かされた。簡単に殺せる子供を生かしてまで嬲りたかったのか)
底冷えする恐怖に、身震いする。
それだけ強い執着が、使冴にはうまく理解できない。
「似てると思ったんだ。弟のほうの倫太郎さんの愛情って執着と、|聖己《あの人》の恨みって執着。愛憎とかいうけど、愛と憎しみって近い感情なのかもな」
「……そうかもな」
伊純が使冴を引き寄せ、抱きしめた。
心臓の音が重なる。
滲んだ不安が消えて、代わりに安心が広がった。
「もう二度と、危険な目には遭わせねぇって、本当は言いてぇけど。Dissolveにいる以上、特に使冴は、これからもこういう目に遭うと思う」
「うん。そうだよな」
「けどな、どれだけ危険な目に遭おうと、俺が助け出す。使冴を守るのは、俺だ」
伊純の腕が、力強く体を締め付ける。
その強さが、心地良い。
「ふふ、えへへ」
自然と笑みがこぼれた。
伊純が、不可解な顔で使冴を見下ろす。
「いや、さ。危険に巻き込むって誤魔化さないで話してくれて、それでも守るって言ってくれるの、嬉しいから。今日だって、伊純は助けに来てくれただろ」
「格好悪ぃ姿しか晒してねぇけどな。今日のは全部、忘れてくれ」
伊純が使冴の肩に顔を埋めた。
「格好良かったよ。惚れ直した」
伊純が何とも言えない顔で使冴を見詰める。
耳の先が赤くて、可愛い。
「俺も伊純を助けられるくらい強くなるよ」
「使冴は昔から、ずっと強い。今日は格別に、強かった」
伊純が使冴の髪に頬擦りする。
その仕草が可愛い。
(強いって言葉を伊純に貰えるのは、嬉しいな)
心がくすぐったくて、じんわりする。
使冴の中に、不意に疑問が浮かんだ。
「そういえば。どうやって前室から出てきたんだ?」
「あぁ、それな」
伊純がポケットからアトマイザーを取り出した。
小さな容器の中で透明な液体が揺れる。
倫太郎や聖己が持っていた覚醒剤と似ているが、液体の色が違う。
「倫太郎からのプレゼント」
「プレゼント? ……あぁ! 全室に入る前の、アレか!」
全室に入る前、ナンバーロックの前で倫太郎が伊純に絡んでいた。
あの時、伊純のスーツのポケットに何かを入れていた。
「この薬、例の覚醒剤の拮抗薬だった。扉の虹彩ロックも設定してたし、出るのも簡単だったよ」
「そうだったんだ」
前室に入る前、倫太郎がロック画面の液晶の前に伊純の顔を合わせていた。
(あの時、伊純の虹彩を登録していたのか。抜け目ねぇな)
つまりは最初から、倫太郎は伊純を助けるつもりだった。
あそこでハメたのは、味方を装うための建前だったのだろう。
「兄貴を早々に甲板に出したのも、恐らく倫太郎の手回しだ。兄貴がフリーで動ける状況を先に作っておいたんだろ。嫌味なくれぇ周到だよ。今回は倫太郎に巧いコト使われた」
「伊純に周到って言わせんのは、すげぇな。Dissolveのブレーンのお墨付きだ」
伊純が使冴の体を抱き寄せる。
自然と伊純に寄り添った。
「使冴が飲まなくて良かった」
「確かに、あれを飲まされていたら、かなりヤバい状況だったかもな」
使冴が飲んでいたら、普段の発情期以上に発情したと思う。
使冴の蜜に煽られたαの倫太郎や聖己に抑え込まれたら、抗えなかった。
前室での伊純の状態を思い返すと、ゾッと背筋が寒くなる。
(あんなに大変な目に遭っても、そんな風に考えてくれるんだな)
薬を飲んだ直後の伊純は酩酊状態で、かなり辛かったはずなのに。
それでも使冴を気遣ってくれる。
(俺の所に真っ直ぐ来てくれた。俺のこと、迷いなく守ってくれた)
伊純の使冴への想いは、いつでも迷いがない。
だから、安心して全身を預けようと思える。
伊純を見上げたら、額にキスされた。
「俺もちゃんと伊純の所に帰るよ。何があっても、俺が帰る場所は、伊純だから」
伊純の顔が、見る間に真っ赤になった。
「わかってんじゃん」
伊純が使冴を胸に抱いた。
(俺の人生、リセットして丸ごと引き受けるって言ってくれた、あの時から。俺の帰る場所は、伊純の腕の中って、決まってたんだ)
本当はもっと、ずっと前から。
十歳の時に出会った男の子が、本当に助けに来てくれた。
あの時の約束を守ってくれた。
「早く帰って、あの部屋で一緒に眠ろう」
伊純が使冴の頬に口付ける。
監禁同棲から始まったあの部屋が、使冴の帰る場所になった。
(もう迷わねぇな。伊純といれば、俺は俺でいられる)
指を絡めて、深く結ぶ。
この手がもう、離れることのないように。
後悔なんかしなくて済むくらい、気持ちも体も結んでいたい。
「俺も早く、伊純と眠りたい」
唇が重なって、熱が溶け合う。
伊純の匂いをいっぱいに吸い込んだら、使冴の胸にようやく安息が降りた。
受け止めてくれる胸に、使冴は頬を寄せた。
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