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第8話 選ばれるのは本能か、意思か

 仕事を終えて会社を出ると、冬真は本当にエントランス脇で待っていた。  壁にもたれ、スマートフォンを見ていた顔が、恒一に気づいて上がる。その視線だけで、昼間の「関係ないわけあるか」がまた胸の奥を熱くした。 「……待ってなくてもよかったのに」 「連絡が来た」 「したけど」 「だから来た」  それだけ言って歩き出す。恒一は少し遅れて、その背を追った。  駅までの道は短いのに、妙に息苦しい。隣にいるだけで落ち着かないのは久しぶりだからではなく、もうごまかせないことが増えすぎたせいだ。  先に口を開いたのは恒一だった。 「昼のこと」 「……ああ」 「助かった。けど、ああいうの、やめろ」  冬真の足が止まる。 「何を」 「中途半端に踏み込むの」  振り返った冬真の目が、わずかに細くなった。 「お前にはちゃんと別の未来があるんだろ」 「別の未来?」 「縁談とか。家の都合とか。そういうの」  言っていて、自分でもひどくみじめだと思う。けれど止まらなかった。 「香水つけて帰ってきた日もあったし、電話だってしてた。なのに、なんで俺にあんなこと言うんだよ。放っておくなら放っておけ。助けるなら助けるで、期待させるようなこと言うな」  最後の一言は、ほとんど吐き捨てるようになった。  しばらく沈黙が落ちる。  冬真はため息もつかず、ただ低い声で言った。 「縁談の話はあった」  胸が冷える。 「でも受ける気は最初からない」 「……は?」 「香水は会食で隣に座った相手のだ。電話は実家。お前が思ってるような相手はいない」  あまりにあっさりしていて、恒一は言葉を失った。 「じゃあ、なんで」 「言う必要があると思ってなかった」 「俺にはないって?」 「違う」  冬真が一歩近づく。逃げるほどの距離ではないのに、恒一の喉が乾いた。 「お前が不安定な時に、俺の事情まで持ち込んでどうする。あの時のお前に何か言えば、事故に乗じて押しつけるだけになる」 「……押しつけ?」 「弱ってる時に、好きだの何だの言うのは卑怯だと思った」  恒一は目を見開いた。  好きだの何だの。  今、確かにそう言った。  冬真は視線を逸らさないまま続ける。 「助けることと、囲い込むことは違う。お前が自分で選べる時まで待つつもりだった」 「待つって……」 「待ってる間に離れていくなら、そういうものだとも思ってた」  そのくせ昼間には、関係ないわけあるか、と言ったのだ。矛盾している。けれど、その矛盾ごと冬真らしくて、ひどく苦しい。 「じゃあ今日、なんであんな顔した」 「見たくなかったからだ」  即答だった。 「他のやつに触られて、あんなふうに怯えた顔するの。もう二度と見たくない」  胸の奥で何かが大きく鳴る。  恒一は唇を噛んだ。うれしい。けれど、そのまま受け取るには怖すぎる。 「それ、番だから、とかじゃなくて」 「違う」  今度は遮るように返ってくる。 「番になりたいんじゃない。お前に選ばれたい」  静かな声だった。怒りも熱も押し込めた、まっすぐな声。 「運命だの相性だの、そんなもので済ませたくない。熱のせいでも、秘密を知った責任でもない。お前だから放っておけなかった」  恒一の指先が震える。  ずっと、事故のせいだと思おうとしていた。助けられたのも、そばに置かれたのも、守られたのも、全部。  そうじゃなかったと知った瞬間、今度は逃げ場がなくなる。 「……そんなこと言われたら」  うまく声が出ない。 「俺、どうしたらいいかわからない」 「今すぐ答えろとは言わない」 「でも俺、まだ何も整理できてない。Ωであることも、仕事のことも……お前に守られてるだけで終わりたくない」  言いながら、ようやく自分の本音が見えた気がした。  好きだと言うだけでは足りない。  選ばれたいなら、自分も自分を選べるようにならなければ駄目なのだ。  冬真は少しだけ表情を和らげた。 「それでいい」 「よくないだろ。待たせる」 「待つって言った」  昼間の鋭さとは違う声音に、胸が痛いほど詰まる。 「でも、もう知らないふりはしない」  冬真ははっきりと言った。 「お前を手放す気もない」  その言葉に、恒一は目を伏せた。  返事はできない。今はまだ。  それでも、少なくとも一つだけはもう確かだった。  勘違いなんかじゃなかった。  自分だけが意味を持たせていたわけでもなかった。 「……送る」 「まだ送るのかよ」 「嫌か」 「嫌じゃ、ない」  小さく答えると、冬真がほんのわずかに笑った気がした。  並んで歩き出す。夜風は冷たいのに、不思議と足元はもう揺れなかった。  問題は何も解決していない。  けれど恒一は思う。  次に答えを返す時は、守られるだけの自分じゃなく、自分の意志で隣に立てるようになっていたい。  そのために、もう逃げない。 つづく

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