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第5話
005
龍馬が戸惑いに足を取られ、二人の視線の檻に竦んでいた、その瞬間だった。
背後から、有無を言わさぬ強さで腕を引かれる。
よろめいた身体はそのまま熱い胸板へと引き寄せられ、夜会の喧騒から隠すように、闇の濃い回廊へと引きずり込まれた。
「だ、だれ――っ」
「しー……静かに。見つかっちゃうだろ?」
耳元に落ちる、羽毛のように軽い吐息。
その、幼い日の記憶を揺り起こす呼び方に、龍馬の心臓が激しく跳ねた。
「……ゆき、君?」
恐る恐る振り返る。
そこにいたのは、暗がりでも見間違えるはずのない、あの日のままの顔。
「何で、ここに……。ずっと、探してたのに……ッ」
思わず声が震える。天涯孤独の龍馬にとって、彼はこの世で唯一、自分の名前を「ただの個人」として呼んでくれた存在だった。
幸人は、獲物を愛でるような純粋すぎる笑みを浮かべた。
「ふふ。ねぇ、りょうちゃん。なんで一発でボクだってわかったの?」
「……わかるよ。忘れるわけ、ない」
少し伸びた横髪も、後ろで低く結ばれた黒髪も。
そして、すべてを見透かすような、けれど濁りのないまっすぐな瞳も。
何もかもが、龍馬が唯一心の拠り所にしてきた記憶のままで――。
「ボクね」
幸人は、龍馬の肩に顎を預けるようにして密着し、甘い声で囁く。
「ちゃんと戻ってきたよ。……りょうちゃんを迎えに」
「迎えに……?」
「男爵の血……汚れた側室の子として虐げられてきた分、全部奪い返してきたんだ。君を、誰にも渡さないために」
さらりとした口調。だがその言葉の裏にある、歪んだ執念の重みを龍馬は感じ取り、背筋を凍らせた。
幸人は軽く笑う。けれど、その腕は昔よりもずっと厚みを増し、龍馬の逃げ場を確実に奪っていた。
(こんなに、近かったっけ……。こんなに、逃げられないほど強かった……?)
違和感と懐かしさが泥のように混ざり合う。
その時――ふ、と腰のあたりを、厚い掌が這うような感触。
衣服の上からでも分かる、明確な「オス」の温度。
「……っ、あ」
思わず息が詰まる。かつての優しい幸人からは想像もできない、剥き出しの独占欲。
「どうしたの? 身体、こんなに震わせて」
無邪気な声。だが、その腕は万力のように龍馬を捕まえ、離さない。
「ねぇ、りょうちゃん」
耳元で、蜜を垂らすように囁く。
「もう、あんな怖い人たちのところへ行かなくていいよね? ボクが、君の『居場所』になってあげるから」
その言葉に、晃の冷徹な支配と、子爵の傲慢な欲望が脳裏をよぎる。
けれど、今この瞬間に自分を抱きしめている「唯一の味方」の温もりが、龍馬の思考を泥濘へと引きずり込んでいく。
「ボク、やっと手に入れたんだ。もう二度と、君を一人にはしないよ」
優しく、けれど蜘蛛の糸のように確実に。
龍馬の精神を、懐かしさという名の毒で絡め取っていく声だった。
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