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第7話
007
「幸、君……っ」
滲み出した汗が首筋を伝い、執事服の襟を汚していく。
酸素が足りない。龍馬が震える足で一歩、後ずさると、古い洋館の床が「ぎしり」と、断末魔のような音を立てて軋んだ。
「りょうちゃん。ボクは、君を――」
「そこまでだ。……汚らわしい手で、私のものに触れるな」
鼓膜を突き刺す、氷の礫のような声。
一瞬にして部屋の温度が氷点下まで下がった。幸人の腕が、名残惜しそうに龍馬の腰から離れていく。
「……っ、あ……」
解放されたはずなのに、龍馬はその場にへたり込みそうになった。鼻腔には、まだ幸人の纏っていた「腐りかけた果実」のような甘い香りが、毒の霧のようにへばりついている。
(……危なかった。あと一瞬、この男の瞳を見ていたら、心が……)
「小僧と呼ぶなんて、随分な口を利くじゃないですか。――公爵様」
幸人が大仰に肩をすくめた。口元には余裕の笑みを湛えているが、その瞳は晃(公爵)の喉元を噛み切ろうとする狂犬の輝きを宿している。
「小僧は小僧だ。……龍馬に無礼を働くなら、貴様の地位などいつでも握り潰してやる」
晃の視線が、処刑人の刃となって幸人を射抜く。
「はいはい。怖い怖い……権力ってのは不便だねぇ」
幸人は軽く流すが、その執念の炎は消えるどころか、より深く静かに燃え上がった。彼はふっと龍馬へ視線を戻す。
「りょうちゃん」
先ほどまでの甘さは消え、地を這うような重い声。
「また会うよ。……これからは、一分一秒、君の影にまで付き纏ってあげる」
ゆっくりと一歩、距離を取る。だが、視線の鎖は龍馬を縛り付けたまま。
「地獄の底まで、追いかけるよ」
「……じ、地獄……?」
掠れた声で龍馬が問い返すと、幸人はこの世で最も美しい真実を告げるかのように微笑んだ。
「そう。君が行くなら、そこが僕の極楽なんだ。……逃げられるなんて、思わないでね」
ぞくりと、龍馬の背筋を冷たい悪寒が駆け抜ける。
あまりの恐怖に、龍馬は自分を守るための、最も脆弱で、最も男たちの火に油を注ぐ「言葉」を絞り出した。
「……ぼ、僕は……僕は、女の人が好きなんだ! あなたたちみたいな、男になんて……っ!」
必死の叫び。だが、幸人は楽しそうに目を細めた。
「へぇ? いいよ、今はまだ、そう言ってなよ」
くす、と喉を鳴らして笑う。
「その真っ白な記憶も、好みも、全部ボクが『男』の色で塗り替えてあげる。……君の奥まで、ね」
ドクン、と心臓が跳ねた。自分の喉が鳴る音が、静まり返った室内でやけに卑猥に響く。
晃の冷徹な支配からも、幸人の狂った愛からも逃げ出したはずなのに。
足元の影が、いつの間にか三つに分かれ、自分をがんじがらめに縛り上げているような――。
逃げ切れていない。いや、最初から逃げ場など存在しなかったのだ。
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