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第8話

008 晃は煮えくり返る苛立ちを隠そうともせず、龍馬の細い手首を折れんばかりの力で掴んだ。 そのまま乱暴に引き寄せられ、龍馬は抗う間もなく、晃の強靭な胸板の中に閉じ込められる。 「……っ、あ……」 ふわりと、頭上から逃げ場のない熱が降り注ぐ。 それは、晃が纏うバニラのように甘く、それでいて肌を焦がすほどに濃厚な、狂おしい熱を帯びた匂い。 (……あつい。……身体の、芯が……) 龍馬の身体の奥が、本能に裏切られるようにじわりと疼き始める。 「あの小僧に、あんな顔を見せて……好き勝手に触らせていたな」 低い、地を這うような声。 責めるようでいて、その実、震える龍馬を丸ごと飲み込もうとするような、飢えた獣の響き。 「ち、違います……そんな……っ」 慌てて顔を上げようとするが、後頭部を大きな掌で押さえ込まれ、さらに深く抱き寄せられた。 「言い訳はいらん。……誰に目を向けた。誰の匂いをつけた」 耳元で、鼓膜を直接愛撫するような低音が落ちる。 「浮つくな。……俺の傍を離れることなど、万に一つも許さん」 「……はい……っ」 抗えない。重力に従うように、龍馬の身体から力が抜けていく。 ふと、足元に視線が落ちた。晃の靴元が、こぼれた酒で濡れている。 咽せるような強い酒の香りが、バニラの甘さと混ざり合い、龍馬の意識を泥濘(ぬかるみ)へと引きずり込んでいく。 (……お酒の、匂い……頭が、くらりとする……) 視界が揺れる。逃げる気力さえ、その芳醇な毒に溶かされて消えていく。 龍馬は力なく、晃の身体に全面的な重さを預けた。 「俺は、お前を置いていかない」 頭上から降る声は、慈悲のようでありながら、永遠に解けない呪縛だった。 「だから、安心して俺の檻の中にいろ」 「……何の話、ですか……」 混濁した意識のまま、夢現に問い返す。 「今後の話だ」 一拍。その沈黙が、龍馬の喉元に突きつけられた刃のように重い。 「お前は――」 晃の指が、龍馬の顎を強引に持ち上げる。 逃げ場を、呼吸を、自由を奪う角度。 「生涯、俺のものだ。……魂の最期のひと欠片までな」 息が止まる。 「……っ、でも、僕には……行く場所なんて、元から……」 「ないだろうな。お前を救えるのも、生かせるのも、この世で俺だけだ」 晃はくつくつと、愉悦に喉を鳴らして笑った。 「あれほど他の男に誘われ、色をつけられておいて……今更、独りで生きていけると思ったか?」 一歩、さらに逃げ場のない壁際へ詰め寄られる。 逃げようとする本能。だが、足が震えて動かない。 龍馬は悟る。自分という存在が、完全にこの男の支配域(テリトリー)に捕らえられたことを。 (逃げられない……。……逃げたく、ないのか?) その瞬間――遠くから、夜会の主である子爵の声が響いた。 他人の気配に、龍馬は一瞬の安堵を漏らす。 だが、その安堵こそが、晃の狂気を爆発させた。 「……随分、余裕だな。俺の腕の中で、他の男の声に安らぐか」 晃の腕に、骨がきしむほどの力がこもる。 瞳に宿るのは、理性を焼き尽くした純粋な独占欲。 「いいだろう。……お前に、己の立場を骨の髄まで叩き込んでやる」 有無を言わさない声音。 龍馬は軽々と抱え上げられ、夜会の光が届かない、さらに深く暗い奥の間へと連れ去られていく。 子爵の気配から、そして自分自身の「まともな理性」から遠ざかるように。

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