14 / 15
第14話
014
屋敷に帰った翌日。肺の奥にこびりついたバニラの呪縛を振り払うように、龍馬は市場の喧騒へと逃げ込んだ。
人混みの熱気は心地よく、行き交う人々は龍馬の端正な顔立ちを、慈しむような、あるいは欲を孕んだような眼差しで見つめている。
「龍馬くん。今日は何にするんだい?」
「おばさんのオススメ……ありますか?」
「鯖がいいよ。脂が乗っててね、焼いたらあんたみたいに、いい匂いが立ち昇るよ」
「鯖か。どうしようかな……」
脂の乗った銀色の肌を見つめ、献立を考えていたその時。
背後から、鼓膜をねっとりと舐め上げるような、聞き覚えのある声が届いた。優しく、けれど抜き身の刃のような毒を孕んだ、あの少年の声だ。
「りょうちゃんの作った料理なら、ボクも食べたいな。……ダメかな?」
瞬間、市場の生臭い匂いを塗りつぶすように、むせ返るほど甘い果実の匂いが爆発した。
熟れすぎて、発酵し、腐り落ちる寸前の、淫らな甘さ。
「幸人君……どうして、ここに……」
本能が警鐘を鳴らす。この匂いに包まれてはいけない。
龍馬は弾かれたように足を動かそうとしたが、幸人はすでにその先の絶望を「お見通し」だった。
逃げようとする背後から、細い、けれど恐ろしく力の強い腕が回る。龍馬の細い腰を、まるで獲物の骨を折る蛇のように、じわりと、執拗に抱きとめた。
「はい。捕まえた」
耳元で囁かれた言葉は、笑顔の仮面を剥ぎ取った、地を這うような低い男の響き。
龍馬の背筋に、氷を滑らせたような戦慄が走る。
「やめて! 離してっ!」
「ダメだよ。逃がさない。ボクね、あのご婦人から『おねだり』されちゃったんだ」
幸人の薄い唇が、龍馬の耳たぶを甘噛みし、熱い吐息を直接流し込む。
果実の匂いはさらに密度を増し、龍馬の意識を白濁させていく。
「……あのご婦人がね、『邪魔なりょうちゃんを、好きに始末してください』って。泣きながらボクに縋るんだ」
「な、にを……?」
「ボク、こう見えて『始末屋』なんだよ? でも、ただ殺すのはもったいない……」
幸人の手が、服の上から龍馬の腹を撫で上げ、心臓の鼓動を確かめるように強く圧しつけられた。
「ねぇ、りょうちゃん。ボクが君を『始末』する前に……まずはその甘い肌を、ボクの好きな色に焼きつかせてもいいかな?」
風に乗って届くのは、一筋の冷や汗と、喉の奥を焼くような芳醇な死の香り。
市場の喧騒は遠のき、龍馬はただ、背後の怪物が放つ「甘美な殺意」に溺れていった。
ともだちにシェアしよう!

