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第33話
あのスキャンダルから一週間が経った。未だに騒ぎは収まらないどころか、あれから藍のSNSの更新が一切止まってしまったことに、ファンの間ではより騒ぎが大きくなった。藍自身SNSの更新は多い方でないのだが、一週間途切れることは本当に稀のようで、ファンからは心配の声が多数上がっている。
そして、藍の母親から正式に離婚していたという有無の内容が公表された。離婚してから数年が経っており、既に両者ともに話し合いは済んでいるそうだった。藍の母親からしたら水樹圭吾が他の男性と恋愛関係にあることは知っていたため、今更こうして騒ぎにされても困るだけなのだろう。発表された文面には、これ以上この件に関しては言及しないでくれという意味も込められていた。
そして藍自身も、父親がゲイだという事実は理解していたのではないだろうか。藍は異様に男同士の過度なスキンシップを嫌悪する傾向があった。それは自身の父親がゲイという一種のトラウマからなのでは、と蒼太は予測を立てた。実の父親がゲイであり、家族と離れ別の男と幸せそうに暮らしている。蒼太は実際にその事実を自分の父親に当てはめてみたが、なんとも受け入れ難い嫌悪を抱いた。自分だって男を好きという点では同じだというのに、父親という一家の主とも呼べる存在が母親以外の人間を愛しているという事実が、どうしても気持ちが悪いと蒼太は思ってしまう。子供ながらにその事実を突き立てられたのだとしたら、尚のことトラウマになってしまうだろう。
蒼太は藍の事が心配で仕方なかった。SNSを見る限り、藍の事をゲイだとありもしない憶測を立てているものが多くいた。ただ藍の事を悪く言いたいが為にそういった誹謗中傷を書くものがいる事に、蒼太は腹が立って今にもスマホを投げつけたくなった。心無い言葉を浴びさせられ、藍は傷ついてないだろうか、蒼太はただそれだけが心配だった。大晴も藍と連絡が取れないと偉く心配しており、蒼太は何度も藍のマンションへ向かおうと腰を上げた。しかし、今自分が藍に会ったところで逆効果なのではないか、藍が父親のことをよく思っていないなら、同性が好きという蒼太の事も軽蔑するはずだ。未だに何も行動出来ない蒼太は、藍の無事を願うことしか出来なかった。
蒼太が今にも寝入ろうと瞼を下げた時、スマホからピコンと通知音が鳴り響いた。スマホを開いた蒼太は、勢いよく起き上がりスマホを凝視する。相手は黒井であり「藍の事で相談があります、明日二十時に○○という場所で会えないでしょうか?」というメッセージが送られていた。
藍の事で相談、蒼太は緊張した気持ちで「はい、了解しました」と返信した。
蒼太が黒井から指定された居酒屋に入ると、そこには黒井ではなく春斗の姿があった。
「えっと…黒井さんは…?」
「こんばんは、とりあえず座りましょうか」
黒井ではなく何故春斗がいるのだろうか、状況が全く理解出来ていない蒼太だったが、とりあえず春斗の言われるがまま腰を下ろした。
「何飲まれますか?」
「あっ、じゃあ烏龍茶で」
店員を呼んだ春斗は烏龍茶を二つ注文した。気まずそうに蒼太が目線を泳がせていると、すぐに店員が注文した烏龍茶を運んできた。
「急遽仕事が入って黒井さん来れなくなったんです」
「あっ、そうだったんですか」
「はい、だから黒井さんの代わりに俺が来たんです」
グラスに口をつけた蒼太は、やっと春斗がいる事に納得した。
「あの、それで藍の事で相談とは…?」
蒼太が恐る恐る尋ねると、春斗は少しの間を置いて口を開いた。
「実は藍、笑えなくなったんです」
「…えっ…?」
春斗の言葉に、蒼太は目を丸くする。「えっと…どういう事ですか…?」と戸惑いながらも蒼太は質問を重ねた。
「この間バラエティ番組の収録があったんです。出演者の方に挨拶しに行こうか、というタイミングで藍に言われました、『どうしよう、俺笑顔の作り方わかんなくなった』って。それで実際その日から藍は笑えなくなったんです」
「笑えなくなったって…どうしてですか…?」
「俺にもその理由は分かりません。まぁ、多分先日あった水樹圭吾の報道のせいだと思いますけどね」
蒼太には、耳を疑いたくなるような春斗の言葉を信じることが困難だった。あの藍が笑えなくなった、それが真実だとしたら藍にとってどれほど重大なことなのか、蒼太には想像も出来ない。元々仕事をしている時の藍は笑顔を作っている、そんな藍が笑えなくなったということは、笑顔を作る事さえ不可能になったという事だ。藍のアイドル活動にも関わってくる緊急事態だということは間違いなかった。
「藍は…自分の父親が他の男性と関係を持っていたことを知らなかったんですか…?」
「いや、知ってましたよ。両親が離婚することを告げられた時に、男の人が好きだと言う事も一緒にカミングアウトされたそうです」
「じゃあ…やっぱり藍が笑えなくなるほど精神が参ってしまっている原因はSNSでの誹謗中傷なんですかね…?」
「…どうでしょうね、感情がないといっても藍も人間ですし傷つくことだってある。今まで溜めていたものが今回の件を引き金に破裂したのかも」
春斗は考え込むように目線を下げた。春斗の言う通り、藍も心を持った人間であることは確かだった。蒼太が避けた時だって涙を流す姿を見せた藍には、悲しいという感情がしっかりとあった。最近の藍は少しずつだが感情を取り戻しつつある、だから今になって溜め込んでいたものが破裂したという春斗の表現は確かに正しいのだと蒼太は思った。
「藍が感情を失った原因は知っていますか?」
唐突な春斗の質問に、蒼太は「えっ?」と戸惑いの声が漏れる。
「知りません…」
「藍の父親が原因なんですよ。父親がゲイだと知り酷く傷ついた藍は、なんで母と結婚しておきながら男が好きなのか理解出来なかったようです。そして父親は自分たち家族を捨てたのだと怒りの感情が芽生えると同時に、どうしようも無い嫌悪感を抱いたみたいで、それから藍は感情というものが分からなくなり父親に対する嫌悪感だけが残った。まぁ、それも当然ですよね、両親の離婚だけでもキツイのに実の父がゲイだなんて事実突き立てられたら誰だってトラウマになりますよ」
春斗は淡々と話を続けていたが、蒼太には一言一言を理解することがやっとだった。藍は今まで自分の家庭環境について話すことはなかった。学生時代に友人達から聞かれても上手く話を逸らしていたし、藍自身触れて欲しくないのだろうと蒼太も思っていた。けれど、まさか藍が感情を失った原因が父親にあるとは思いもしなかった。それほどまでに藍にとってはショックな出来事だったということだ。
「春斗さんは知っていたんですね、だから男の俺が藍に相応しくないと断言できた…」
蒼太は以前春斗に言われた言葉を思い出す。あなたは藍のことを何も知らない、藍に相応しくないから諦めてくれ、今なら何故春斗がこんなキツいことを蒼太に言ったのか理解出来た。父親の影響で同性愛に対して嫌悪を抱いていた藍を傷つけないためなのだろう。
「そうですね、あなたは藍にとって近しい存在みたいですし、そんなあなたに恋愛的な好意を抱かれていると知ったら藍は受け入れられないと思ったんです。これ以上あいつに辛い思いはして欲しくない」
春斗は力強い瞳でそう言い切った。そんな春斗の姿に、またもや後悔が蒼太を襲う。蒼太は自分の私欲のせいで藍の事を深く傷つけてしまったのではないか、そんな考えが頭に浮かび嫌な汗をかく。そして「もしかしたら…俺のせいかもしれません…」と震えた声で呟いた。
「どういう事ですか…?」
「……藍にキスをしたんです」
蒼太が打ち明けると「は?!」と春斗はらしくない声を上げた。
「キスって…本当に?」
「はい、藍が同性愛に対して嫌悪感を持ってることは知ってました。だけど自分の気持ちを抑えられなくなって…」
春斗は大袈裟に「はぁぁぁ…」とため息をつき、言葉を続けた。
「それは蒼太さんのせいもあるかもしれませんね」
「…でも、これは言い訳なんですけど…藍は俺にキスをされても嫌がらなかったんです。最終的には帰れって言われましたけど…春斗さんはどう思いますか…?」
蒼太が春斗に意見を求めると、一瞬瞳を見開いた春斗は「言いたくないですね」と顔を逸らした。
「ええっ何でですか?!」
「いや…個人的に嫌だから…」
何故春斗がこんなにも渋っているのか、蒼太は不思議だった。しかしこうも渋られると気になってしまうのが人間であり、蒼太は「教えてくださいっお願いしますっ!」と勢いよく頭を下げた。
「…これは俺の憶測だからあまり真に受けないでくださいよ…」
「は、はい…!」
蒼太が頷くと、春斗は嫌々ながらも話し始めた。
「最近の藍を見てると、思うことがあるんです」
「思うこと…?」
「感情が出て人間らしくなってきた、そう思うんです」
蒼太は引っ掛かりを覚える。そのため「春斗さんといる時の藍って、結構感情的というか、表情豊かじゃありませんか…?」と蒼太は尋ねた。
「まぁ俺の前だと緩いというか、気が楽なんだろうなという印象はありますね。それに普通に笑いますし」
「そうですよね?藍は少なくとも春斗さんの前では藍を演じずに素の状態で笑ってましたもん」
そう、藍は春斗の前だと鼓動の音も少し変わるのだ。鼓動が変化していたということは、必然的に藍の感情も動いていたことになる。
「だけど、俺の前では機嫌の悪い姿は決して出すことはなかったんです。俺の前というか誰の前でも藍は不機嫌にはならないし、そういうネガティブな姿は見せないんですよ」
蒼太は以前藍が言っていたことを思い出す。確かに春斗の前では蒼太に見せるような根暗な姿は見せないと藍も言っていた。
「そんな藍が…明らかに不機嫌な時があったんです。普段よりかなり暗いし、何か落ち込んでるようでした」
「えっ、そんな事があったんですか…?」
蒼太が驚いたように尋ねると、春斗はバツが悪そうにムッと目を細めた。
「その理由が、蒼太に避けられてるかもしれない、ですよ。聞かなければ良かったって後悔しました」
春斗は深く息を吐きグラスに口をつけた。暫くの沈黙が続き、蒼太の口からは「えっ…?」というあっけらかんとした声が漏れる。まさかあの時の事が原因で、藍が春斗に落ち込んだ姿を見せていたなんて、蒼太は思いもしなかった。
「藍はそんなに落ち込んでましたか…?」
「まぁ、俺が見た事ないぐらいには。しかもあの場には黒井さんも居たんです。藍の見慣れない姿に黒井さんは面白いぐらい焦っていましたよ」
「そうだったんですか…」
蒼太は呆気にとられてしまった。これ以上何も言えない蒼太に対し、春斗は「好きなんでしょうね」と呟いた。
「えっ?」
「藍は蒼太さんの事が好きだからあなたに避けられてあんなに落ち込んだし、キスをされても嫌がらなかった」
「ちょ、ちょっと待ってください…っ」
蒼太は思わず春斗の言葉を遮ってしまった。春斗の出した結論が、藍は蒼太のことが好き、という想像もし得ないものだったため、蒼太は理解することに必死だった。
「好きって本気で言ってます…?藍が俺みたいな…しかも男を好きになるなんて」
「だからただの俺の憶測です」
春斗の憶測だとしても、自分が藍から恋愛感情を向けられているなんて蒼太は到底思えなかった。藍は確かにあの時蒼太を拒絶しなかったが、帰ってくれという言葉を発した藍の声は震えていた。それに父親の件を聞いたら尚更男の自分を藍が好きなるはずないと感じてしまう。
蒼太が黙り込んでいると「藍は戸惑ってるのかも」と春斗が呟く。
「戸惑う…?」
「男を好きになった父に対してあんなに嫌悪感を抱いていたのに自分も男を好きになってしまった、その事実を受け入れられなくて藍はごちゃごちゃになってるんじゃないですかね。まぁもし俺の憶測が当たってたとしたら腹が立ちますけどね、こんなに心配してるのに本当の理由が恋愛絡みなんてやってられませんよ」
春斗は呆れたように大きく息を吐いた。そんな春斗の様子を横目に、藍が自分に恋愛感情を抱いている可能性について蒼太は考えた。藍は蒼太にだけ見せる部分がある、けれどそれは蒼太が藍の素を知っているからであって、それ以上の意味は無いのだろう。万が一に藍が蒼太に特別な感情を抱いていたとしても、それは友情であって蒼太が抱いているような恋愛感情ではない。そう思っていたのに、春斗の言葉によってもしかしたら…という期待が蒼太の鼓動を高めた。
──藍が俺の事を好き…?いや…まさか…。
「確かめて来てください」
「ええっ!?」
蒼太は思わず声を上げてしまう。そして「いやっ、それで違ったら俺自意識過剰のヤバいやつですよね…っ?」と反論した。
「そんな事言ってる場合じゃないんですよ。藍が笑えなくなった原因は蒼太さんにあるかもしれないんですよ?藍がアイドルを続けられなくなってもいいんですか?」
春斗からの怒涛の攻めに蒼太は言葉に詰まる。藍の緊急事態に弱音を吐いている場合ではないことは確かだ。それに藍が蒼太を好きとだいうことが事実じゃなかったとしても、どうせ嫌われてしまうのだから今更遅いのだ。
「…分かりました、藍に確かめてみます」
蒼太は表情をグッと引締め、頷いた。
「お願いしますね。くれぐれも暴走しないように」
「わ、分かってますよ…っ!」
釘を刺された蒼太は慌てて言い返した。それでも春斗は蒼太に鋭い瞳を向けたままだった。やはり春斗が人見知りなのは置いといて、純粋に嫌われているのではないかと蒼太は思ってしまう。そのため「あの…俺の事嫌いです…?」と聞いてしまった。
「…そりゃあ急に横から出てきて藍を取られたんですから好きにはなれませんよ」
ふいっと顔を逸らした春斗に、蒼太はもしかして…という考えが浮かび上がった。
「藍の事…好きなんですか…?」
「えっ?ちょっと辞めてくださいよ、蒼太さんと同じにしないでください」
蒼太の質問をさらっと否定した春斗は「俺は藍に対してそんな不純な感情抱いてませんよ」と蒼太を見下すような瞳を向けた。
「でも…藍のことすごく大切に思ってるじゃないですか?それに俺に対して嫉妬もしてますし…」
「そりゃあ嫉妬もしますよ。俺の方が藍と付き合いも長いし、何よりあいつの傍でこの数年間支え合ってきたんです」
春斗にとって藍はかけがえのない存在なのだと、蒼太は感じ取れた。例えそれが恋愛感情ではないのだとしても、簡単に抱くことは出来ない特別な感情なのだろう。
「でも、まぁ…」と口にした春斗は、眉を下げ微笑んだ。
「藍が幸せになれるのなら、それが全てですけどね」
そう言った春斗の表情は、藍に対する愛情で満ちていた。形は違えど、藍のことを愛しているという気持ちは自分と同じなのだと春斗を見て思った。藍にはこんなにも心強い味方がいるという安心感と共に、この人がライバルでなくて良かったと安堵した蒼太は、そっと胸を撫で下ろした。
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