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第36話
藍から連絡があったのはあれから数日が経ってからだった。未だにSNSの更新が途絶えているために藍の現状は把握出来ていなかった。ファンの間では一週間後に控えている藍の単独ライブがどうなるのか、不安の声が多数挙がっていた。しかし一週間前になっても何も報告されていないということは、少なくとも中止ではないのだろうと蒼太は思っていた。そんな時に、藍から一件のメッセージが届いた。
『一週間後の単独ライブ、見に来いよ』
たったそれだけの一文は、蒼太の心を大きく動かすには十分過ぎるほどだった。藍がどういう意図で蒼太を誘ったのかは分からないが、あの日以来連絡がなかった蒼太からしたら胸が踊るほどに嬉しかった。
当日になって会場へ足を運んだ蒼太は、あまりの人の多さに驚いてしまう。開演までまだ時間があるというのに、会場の入口から行列が遥か先まで伸びていた。ここにいる全ての人達が藍に会うために今日この場に来ているのだと考えると、藍がどれほどの人から愛され応援されているのかをまじまじと実感するようだった。
蒼太は長すぎる列を横目に、裏口へと向かった。裏口から中に入ると、スタッフの一人に関係者であることを確認され、楽屋らしき部屋の前まで案内された。蒼太が中へ入ると、そこには藍ではなく春斗がいた。
「あれ?春斗さん…?」
「藍じゃなくてすみませんね」
てっきり藍がいるものだと思っていた蒼太は、拍子抜けした気持ちで「えっと…藍は…?」と春斗に近づいた。
「別の楽屋に居ますよ。本番前の大事な時間なので蒼太さんには会わせられません」
「そうですか…」
春斗の正面に蒼太は腰を下ろす。春斗の言う通り、本番前に自分に会ったせいで藍の調子が狂うことも大いに有り得る。そのため春斗の言い分は真っ当なものだった。
「あの…ところで藍がライブを中止しなかったってことは、笑えるようになったんですか?」
蒼太は少し身を乗り出して尋ねた。すると春斗は何も言わずにじとっと蒼太を見つめた。
「え…?あの…」
「まだ笑えませんよ」
春斗はため息をついた。春斗の答えに蒼太はがくりと肩を落としてしまう。
藍は完璧な藍の姿しか見せたくないと言っていた。そのため未だに笑うことが出来ないのならライブを行う事も考えにくいと蒼太は思っていた。しかし実際にライブは中止されることなく今日行われる、藍はまた笑えるようになったものだと蒼太は勝手に思い込んでいたのだった。
「じゃあなんで今日のライブを中止しなかったんですか?」
「藍は自分を信じてるって言ってました」
春斗の言葉を上手く解釈出来なかった蒼太は「それってどういう…?」と首を傾げる。
「俺はまだ笑うことが出来ないならライブはやるべきじゃないって否定したんです。そしたらあいつ、『確かにまだ笑い方分かんないけどなんか大丈夫な気がするんだ。みんなの前に立ったら笑える気がする、俺は藍を信じてる』って。藍が自分を信じてるなら、俺も藍を信じてやらないとって思ってこれ以上何も言いませんでした」
春斗は噛み締めるように蒼太へ説明した。藍の心情を想像した蒼太は泣きそうになるような感覚に襲われた。笑えない、この事実が藍にとってどれほど不安な状況なのかは嫌でも理解出来る。それでも藍は逃げずにステージに立つことを選択したのだ。ライブが始まっても笑えるとは限らないのに、藍は恐れずにまたステージに立とうとしている。
「ほんと、意味わからないですよね。それで笑えなかったらどうするんだって話ですよ。真顔で歌うのかって」
春斗はふっと口元をほころばせ微笑んだ。意味がわからないと言っているが、春斗は藍を信じているのだろうと蒼太は思った。藍のことを信じているからこんなにも柔らかい表情が出来るのだろう。
「春斗さんは藍の事信じてるんですね」
「当然ですよ。相方である俺が信じてやらないと駄目じゃないですか」
「なんか…頼もしいですね。藍の傍にあなたみたいな心強い人がいてくれて良かった」
蒼太は心からの言葉を春斗に向けた。
「…そうですねって言いたいところなんですけど、蒼太さんの存在も藍にとっては大きいんだろうなって思います。あなたと同居を始めてからの藍はなんか人間味が増したような気がしますもん」
以前も春斗は似たようなことを口にしていた気がする。最近の藍は人間らしくなってきた、と。今の発言を聞くにその理由は蒼太にあるのだと春斗は考えているようだった。敵意のようなものを出されていた春斗に認めてもらえたような気がして、蒼太は嬉しさがじわじわと込み上げてくる感覚に身体を震わせた。頬をかいた蒼太は「春斗さんに言われるとすごく嬉しいですね」と照れたように笑った。
「俺が知ってる限りでは藍は基本誰に対しても無頓着でしたからね。ところで、先日藍と話した時藍の気持ちは聞けましたか?」
「へっ?あ、ああ…っはい」
急な質問に蒼太は動揺から声が裏返ってしまう。「何動揺してるんですか」と春斗にまで突っ込まれてしまう始末だ。
「藍は…俺の事を、その…好きみたいです」
自分で言っておきながら真実味のない話に蒼太は少々不安になる。けれどあの時の藍の鼓動は確かに激しく音を立てていた。興奮と緊張が入り交じったようなあの音は、藍から蒼太に対する好意が伝わってくるようだったのだ。鼓動の音をほとんど変化させることのなかった藍が、あんなにも乱れた音を鳴らしていた。しかしその原因が自分にあることが未だに信じ難いため、藍の気持ちが嬉しいというよりも受け入れられないという気持ちの方が強かった。
「それで、付き合うんですか?」
「えっ?」
きょとんと目を丸めた蒼太に「いや、なんですかその反応」と春斗は不審げに瞳を細めた。
「あっすみません、急に聞かれてびっくりして」
「それでどうなんですか?」
春斗の早く話せという催促するような問いかけに、蒼太は一呼吸置いて「付き合うことはないんじゃないかな…」と苦笑した。
「えっ?!なんで?!」
「いやー…春斗さんが予想してた通り藍は男を好きになった自分が受け入れられないみたいで…そのせいで色々抱えちゃったみたいで笑うことすら出来なくなったらしいんですよね…。それだったら俺が藍の前から消えたらいいのかなって藍に話したんです。藍はもう少し待ってくれって言ってましたけど、今日ステージに立つことを選んだってことは俺への気持ちを無かったことにしようとしてるんじゃないかな…と思って」
藍は蒼太の事が好きなのだろう、しかしそれ以上に父親に対する嫌悪感が強かった。自分が最も嫌悪していた同性を愛する、例え蒼太に恋心を抱いたとしてもこの壁を乗り越えることは容易ではない。藍が笑顔を取り戻すためにも、蒼太を好きだったという事実を無くす必要があったのだ。
蒼太が一通り話終わると「は…?」と春斗が一段と低い声を発した。
「馬鹿なんじゃない?」
「は、はい?」
ストレートに罵倒の言葉を投げられた蒼太は、困惑から開いた口が塞がらなかった。そんな蒼太を気にもとめずに「馬鹿すぎて頭が痛くなる」と春斗は頭を抱えている。
「なんでそこで諦めるんですか?両想いなら付き合えばいいでしょ?」
「いや、だから藍はまだ同性を好きになることが受け入れられてないんですって…っ、そのせいで笑い方すら分からなくなるほど困惑してしまってる訳で…」
「逃げるんですか?」
春斗は鋭い瞳を蒼太に向けた。
「逃げるって…俺は藍の負担にはなりたくないんです…っ藍がアイドルという仕事に対してどれほど本気で挑んでいるかあなただったら理解しているはずですよね?俺の存在がアイドルとしての藍の邪魔になるぐらいなら…」
ドンッッ!
大きな音が蒼太の言葉を遮った。驚きのあまり蒼太は身体をビクリと震わせ、恐る恐る目の前で拳を机に叩きつけた男の姿を見た。
「それ、本気で言ってます?」
「えっ…?」
「自分が藍の邪魔になるのが怖いから結局は逃げてるじゃないですか。確かにあんたの存在が今の藍にとって負担になってるとしても、そこで藍から逃げたところで何も変わらないと思いますよ。藍もあんたが好きなんだ、そう簡単に無かったことになんて出来るはずない」
圧倒された蒼太は言葉が出てこなかった。この時初めて、無意識に自分は逃げていたのだと蒼太は知ることになった。藍がどんな選択をしても受け入れる、そう決めていたのだって結局自分は何もせずに藍の答えをただ待っているだけではないか。
「てっきりあなたは逆の考えを持っていると思ってました」
蒼太がぽつりと呟くと、春斗は「逆?」と不審そうに首を傾げる。
「はい、お前は藍の邪魔になるからこれ以上藍とは関わらないでくれ、って言われるものだと思ってました」
「…確かに最初はそう思ってましたよ、でも藍があんたの事を好きになっちゃったからもう応援するしかないでしょ。藍が誰かを愛すことが出来るチャンスなんですから」
蒼太は春斗の言葉に背中を押されるようだった。覚悟を決めた蒼太は「俺…もう少し足掻いてみようと思います」と口にした。
「意外と藍は押しに弱いかもしれませんよ」
「はは、そうだといいんですけどね」
蒼太が微笑むと、春斗は立ち上がり「そろそろ時間なので、会場に行きましょうか」と蒼太の横を通り過ぎた。そんな春斗の後ろ姿を眺めながら、蒼太は「ありがとうございます」と口にした。
「藍のためにやってる事ですから、あなたからお礼を言われるようなことはしてませんよ」
そのまま部屋を出た春斗に、素直じゃないんだな、という感想を抱いた蒼太から思わず笑みが零れ落ちた。
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