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第38話
無事家路に着いた蒼太は自室へと直行すると、大胆にベットへダイブした。ぼふっと自分の体重によって沈んだ低反発のシーツにそのまま顔をうずめる。
「はぁぁ……」
蒼太は深く息を吐き、抑えきれそうにない感情を持て余していた。
「藍ぃ……」
息を吐くように愛おしい男の名を口にすると、胸を支配するような愛おしさがじわじわと溢れ出てくる。藍が愛おしい、とにかく今は愛する男への愛おしいという気持ちしか考えられなかった。
藍が笑っていた、数日前に会った時はにこりとも笑顔を見せることがなかった藍が、今日という日は心から楽しいという幸福感が笑顔として溢れ続けていた。藍の自分を信じるという言葉は現実として形になったのだった。
藍が蒼太に対してどういう決断を出したのか、それは未だに分かり兼ねるが、藍がまた笑うことが出来たのだから今は自分の事など蒼太には二の次だった。とにかく藍にとってアイドルという居場所は唯一無二である特別な空間、その事を実感できただけで蒼太には十分すぎる程だ。
「やっぱり好き過ぎるなぁ…」
ほんの数分前に目にした藍の幸せに満ち満ちた笑顔が、蒼太の記憶として永遠に残り続けていた。大袈裟かもしれないが最後の曲を歌っていた時の藍の慈愛に溢れた笑顔は、人々に幸福をもたらす女神のようだという感想を蒼太は抱いた。あの藍があんなにも幸せそうな笑顔を見せるなんて、学生の頃には考えられもしなかった。藍は人並みに感情を持つことが出来たのだ。今の藍にはしっかりと感情が芽生えている、本当に良かったと蒼太はぎゅっと瞳を閉じた。
ピンポーン
聞き慣れたインターホンの音に、蒼太はがばりと起き上がる。深夜にも近い現在の時刻、こんな時間に一体誰が訪ねてくるのだろかと予想も出来なかった蒼太は、もう一度ベッドに身体を沈め居留守を決めようとした。
ピンポーン、ピンポーン
しつこい事に、インターホンの音は一定の感覚で何度も鳴り響いた。どうやら蒼太が出てくるまで帰るつもりはないようだ。ここまでしつこいのもなかなかに珍しい、蒼太は仕方なく起き上がり玄関に向かった。
「え…っ」
扉を開けた蒼太は、一番有り得ない今の状況に自分の目を疑った。
「うわっ、すごい間抜け面だな」
蒼太を訪ねてきた人物は、まさかの藍だった。藍は蒼太を見るなりムッとした顔で「それよりお前、なんで一人で先に帰ってるんだよ」と文句を口にした。
「いやっ、だって…えっ?というかなんでお前が…」
「まぁいいや、とにかく中に入れてくれ」
「えっ?!ちょっと藍!!?」
強引に中へ入った藍は、我が物顔でずんずんと先へ進んでいく。そんな藍に戸惑いながらも、蒼太は急いで藍の後を追った。
「待てよ藍!お前打ち上げとかあるだろ?なんで俺の家に来たんだよ?」
リビングのソファに座った藍は「これはこっちの台詞だ」と立ち尽くしている蒼太を見上げた。
「さっさと自分だけ帰るなんて酷いよ馬鹿」
拗ねたような藍の瞳に、蒼太は動揺を覚える。
「酷いって…俺みたいな余所者が居たって邪魔なだけだろうし、それに別に終わった後に集まろうなんて約束してなかったし…」
「そうだとしても…!普通は帰らねぇだろ」
ふいっと蒼太から視線を外した藍に、何故怒られているのか頭を悩ませる蒼太だったが、とりあえず落ち着こうと一度深呼吸をする。
「ねぇ、藍。なんで俺の家に来たの?」
蒼太の問いかけに黙り込んだ藍は、ちょいちょいと蒼太に手招きした。蒼太はドキリとする。一瞬迷ったが、蒼太は藍に従うように藍の隣へ腰を下ろした。
「今日のライブ、どうだった?」
「えっ?わざわざそれを聞くために?」
「いいから答えろ」
胡座をかいた藍は蒼太に催促した。藍のペースに飲まれながらも、蒼太はゆっくりと口を開く。
「最高だったよ」
この一言に尽きるものは無いだろう、蒼太は心からの言葉を藍に送った。
「春斗さんから聞いたんだ、まだ笑うことが出来ないって。だから今日ライブが始まるまで俺は気が気じゃなかったよ、もし笑えなかったらどうしようって…すごく不安だった。でもそんな俺の不安なんか笑っちまうぐらい藍は最高の笑顔でステージに立ってた。本当にお前はすごいよ」
ライブの余韻から抜け出せていない蒼太は、昂っている気持ちを吐露するように藍を称えた。藍は嬉しそうに「当然だろ」とニヒルに笑う。
「俺は持ってる男だからな。どんなピンチでも結局は乗り越えちゃうんだ」
「ほんとにすげぇよ。でも、まさか笑えなくなった事をみんなに打ち明けるとは思わなかった」
「ん?…まぁ本当は言うつもりじゃなかったんだど、こうして俺がまた笑えたのはみんなのおかげだからさ、どうしても感謝の気持ちを伝えたかったんだ」
穏やかな藍の声色に、蒼太の頬が自然と上がる。藍の他人への感謝を怠らない律儀な姿勢は昔から変わることはなく、優しく思いやりのある藍のことが蒼太は人として尊敬する程だった。「そっか」と蒼太が相槌を打つと、二人の間に静寂が流れた。
「ねぇ藍、打ち上げとかは行かなくていいの…?せっかくライブが成功したんだからさ、俺なんかのところに来てる場合じゃないんじゃ」
「決着つけに来たんだよ」
話を切り出した蒼太に、まだ帰る意思はないと言うように藍は向き直った。決着という言葉に引っ掛かりを抱いた蒼太は、ごくりと唾液を飲み込んだ。藍は恐らく蒼太との今後の関係性について明確な答えを伝えに来た、言葉の通り決着をつけに来たのだろう。
「別に今日じゃなくても良かったのに、俺はいつでも待つからさ」
「お前が良くても俺が今じゃなきゃ嫌なんだよ。ちゃんと自分なりに答え出せたから」
胡座の姿勢から座り直した藍は、膝に両手を置き俯いてしまう。なかなか話を切り出そうとしない藍、二人の間に緊張した雰囲気が流れ出す。そして、蒼太の耳には二人分の鼓動の音だけが鳴り響いていた。
徐々に変化していく藍の鼓動に、蒼太の鼓動も次第に高まりを増していく。分かりやすく藍の耳が赤く色付き始めていることに気がついた蒼太は、ぶわっと自身の体温が上昇していく感覚に戸惑った。
「あ、藍…?」
「待て、何も言うな…分かってるから…っ」
口元を隠した藍は、耳だけではなく顔まで真っ赤になっている。藍の高まった鼓動の一音一音が、蒼太の興奮をさらに駆りたてていく。
藍は口元から手を離し、ふぅ、と短く息を吐くと意を決したように蒼太の瞳を真っ直ぐと見つめた。
「好きだ」
ドクン、と蒼太の心臓が有り得ないほど大きく跳ね上がった。たった三文字のその言葉は、蒼太をどうにかしてしまうような破壊力を持っていた。
「お前に告白されたあの時から、ずっと自分の気持ちについて考えてた。男を好きになるなんて有り得ない、そう思ってたのに…お前のことを考えるだけで今まで感じたことの無い感情に支配されるようだった。友情とは確実に違ってて、俺はお前に恋してたんだ」
今にも破裂しそうなほど藍の顔は真っ赤だった。そして藍以上に、蒼太の顔は逆上せたような熱で包まれていた。「おい人の告白を無視するなよ」という藍の文句に、蒼太は急いで口を開く。
「俺のことが好き…なのか…?」
「…っそうだって言ってんだろ…っていうかこの前お前自身が言ってたじゃねぇかっ!人の鼓動勝手に聞いて俺の気持ちに気づいてたのに今更そんなに驚くなよ…っ」
「だ、だって…っ俺はてっきり振られるもんだと思ってたから…」
「は…?」
藍は可愛らしくぱちくりと瞳を見開いた。
「決着をつけに来たって言ってたから…自然と振られるんだろうなって勝手に変換されてた」
「なんでそうなるんだよ…っ?!」
「だってさ…!お前にとって男を好きになるっていう壁は俺が考えられないぐらい大きなもので、笑えなくなった原因だって俺にあっただろ?だからやっぱり男と恋愛するのは無理なんだろうなって」
元々ノンケだった藍が男である蒼太と付き合う、これだけでもなかなかに難しい話だろう。それに藍には父親がゲイだという事実のせいで人生が一変してしまった過去もある。藍にとって男に恋愛的感情を抱くことは容易ではないのだ。
「本当に言ってるのか…?俺は男で…男と付き合うっていう事はお前が最も嫌悪してたことなんだろ?俺は一度お前と付き合ったらお前を離してやる保証なんて出来ないかもしれないんだぞ…?」
「っだぁー!!もう…っっ!!」
急に大声を上げた藍は、蒼太の右腕を強引に掴み自分の胸に押し当てた。突然の藍の行動に意味がわからないまま、蒼太は「あ、藍!?」と困惑の声を発する。
「お前俺の鼓動聞こえてんだろ?!こんなに馬鹿みたいにうるさく音立ててるのになんで今更お前と付き合うことにそんな不安になってんだよ?お前が好きだからこんな音立ててんだよっ!!分かれよなっ!!」
藍の胸に手を当てたことによって、より明確に藍の鼓動が蒼太に伝わってくる。ドクン、ドクン、と激しく脈打っているそれは、興奮したような昂りの感情を示していた。藍が自分の事を好いてくれている、この事実は前回会った時に気がついていたはずなのに、今の藍の鼓動に戸惑わない訳にはいかなった。ずっと蒼太にとって眩しすぎる存在だった藍が、蒼太に友情以上の感情を抱いており、その事実を受け入れたのだ。
「確かに男と恋愛するなんて無理だと思ったよ、だけどそれ以上に蒼太が好きだって気持ちが強かったんだ」
「本当に…俺でいいのか…?」
蒼太は恐る恐る藍の両手に触れた。しっとりとした藍の美しくすらっとしている手は、蒼太が思っている以上に熱を帯びていた。
「俺はこう見えて結構嫉妬深いし…本当にお前を手放せなくなるぞ…?」
「放すなよ、俺のこと」
するりと蒼太の手から抜けた藍の右手は、蒼太の手を包むようにゆっくりと重ねられた。
「一生手放せないぐらい、俺の事を愛せよ」
ぶわっとした熱に蒼太の身体は溶かされるようだった。伏し目がちな瞳を潤ませ、羞恥に耐えている目の前の愛おしすぎる男に、蒼太の理性はぷつりとちぎれる。蒼太はそのまま藍の薄い身体をソファに押し倒した。
「きゅ、急に何っ…?!」
「愛すよ、お前が嫌になるぐらい、たっぷり愛してやる」
真っ赤な耳に顔を近づけ、蒼太は囁いた。蒼太が顔を上げると、自身の顔を両手で覆っている藍の姿が目に入る。
「ねぇ藍、キスしたい」
「…っ、なんで急に積極的になってるんだよ…っ」
「手、退けてよ」
藍は蒼太に腕を掴まれ、そのまま抵抗せずに両手を下ろした。藍の顔はこれでもかという程赤くなっており、蒼太の興奮を高めるには十分過ぎた。
「藍…」
「ちょっと待…っ、んっ…」
藍の血色のいい唇に、蒼太は触れるだけのキスを落とした。唇を離すと、呆然と蒼太を見つめている瞳と目が合う。次第にわなわなと震え出した藍は「急にすんなよっ!!」と口元を隠した。
「可愛い、藍」
「…っ」
「急じゃなかったらいいの?キスしても」
ふわりとした藍の髪に蒼太は口づける。耳、瞼、頬、そして藍の右手をぎゅっと握り、手の甲にも唇を押し付けた。
「お前…マジで…っ」
「藍、キスしてもいい?」
蒼太の熱を帯びた瞳から逃れられない藍は、口元から手を避け「ん…」と睫毛を震わせた。肯定とも捉えられる藍の姿に、蒼太は許しを得た犬のように藍の唇に噛み付いた。
「ん…っふっ…んんっ」
最初はソフトなキスを繰り返していた蒼太だったが、次第に深く濃厚なキスに夢中になっていた。藍の薄い唇の隙間から舌をねじ込めば、びくりと藍の肩が反応する。そんな小さな反応ですら可愛らしくて、蒼太は藍の小ぶりな舌をなぞるように絡めとった。藍から「あっ…んん…っ」と熱っぽい吐息とともにくぐもった甘い声が漏れる。普段は低めで落ち着いている藍の声が、ここまで甘い声色に変化していることに、蒼太の下半身はずくりと疼いた。
「んっはぁ…藍…」
「っは…んぅ…」
薄らと開いた蒼太の瞳に、ぎゅっと瞳を力強く閉じている藍のなんとも愛らしい姿が映る。蒼太のキスに必死に耐えている藍は、まるで余裕などなかった。藍は驚くことにキスが下手だった。息継ぎの仕方も下手くそで、藍は苦しそうに必死に蒼太にしがみついている。なんでもソツなくこなす藍が実はキスが下手なんて、とんでもないギャップだな、と蒼太は優越感で満たされるようだった。
「…っ痛ったぁ…っ!」
「…っはぁ、なっげぇんだよ…っ!」
手の甲に走った急激な痛みに、蒼太は思わず声を上げた。蒼太のしつこいキスに痺れを切らした藍は、蒼太の手の甲をそこそこの力で抓ったようだった。
「酷いよ藍…」
「うるせぇ…っ、お前がしつこ過ぎんだよっ!」
整っていない呼吸で藍は蒼太に反論した。「ごめんね藍」と蒼太が藍の唇を優しく撫で上げ唾液を拭うと、まるで猫のごとくバシッと勢いよく手を払われる。それでも藍の鼓動を聞くに、ただの照れ隠しなのだろうと分かってしまった蒼太は、再び藍に触れようと手を伸ばそうとしハッとした。
「あ、藍、今からでもいいから打ち上げ参加して来なよ?ほら、やっぱり主役が居ないんじゃ盛り上がりに欠けるだろうし」
蒼太は藍の上から退くと、ソファに座り直した。
「え?なんだよ急に」
藍も起き上がり、戸惑ったように蒼太へと視線を送った。蒼太はそんな藍の姿をなるべく視界へ入れないようにと、少し俯き気味に口を開く。
「俺との話の決着も着いたんだし、ほら、俺だけがお前を独り占めするわけにはいかないだろ?」
蒼太が立ち上がろうと腰をあげると「待てよ」と藍に腕を掴まれる。
「お前、このまま俺を帰すのか…?」
「えっ…?」
藍の烈上に孕んだ瞳に、蒼太の腰はすとんと落ちる。
「こんな状態にしておいて、お前は俺を帰すのか?」
「ちょっと待ってよ藍…っお前は自分が何を言ってるのか分かってるのか…?」
「ガキ扱いすんなよ、ヘタレ」
未だに蒼太の腕を離そうとしない藍に、蒼太の理性がぐらりと揺れた。蒼太は慌てて頭を振り「駄目、駄目だよ藍」と藍から視線を逸らす。
「何が駄目なんだよ」
「だって…やばいんだ…今にも理性がめちゃくちゃになりそうで…お前の匂いや鼓動を感じただけで破裂しそう…」
蒼太は己の反応している自身の存在に、今すぐこの場から離れなければならないと自分に警告した。やばい、語彙力などなくなってしまうほど、今の状況は蒼太にとってやばかった。今すぐにでも藍の滑らかな肌に触れたい、藍の身体の隅々まで舐め尽くしたい、そして藍のナカに深く入り込みたい。不純すぎる願望に頭を埋め尽くされそうな蒼太は、限りなく少ない理性の中で必死に藍に訴えた。しかし、藍が蒼太を離すことはなかった。
「そんなの見ればわかるよ、今のお前は発情した犬みてぇ」
藍の言う通りだな、と今の自分の姿に笑いたくなった蒼太は「そうだよ、俺は今すごく発情してんだ。だから早くその手を離して」と口にした。
「…好きにすればいいだろ…」
「えっ…?」
藍の言葉に、蒼太は耳を疑う。他人よりも優れた聴覚を持っている自分が聞き間違えなどするはずない、そう思っているはずなのに藍のその一言が衝撃的すぎて自分の耳を疑う以外の選択肢がなかった。
「だから…お前がしたいようにすればいいだろ…っ」
「いやいやっダメに決まってんだろ!?まだお互いの気持ちだって知ったばっかなのにそんな事出来ないよ…っ俺はお前を大切にしたいんだっ…」
その先に進むにはまだ早いという、蒼太の考えだった。しかし、蒼太の言葉にムッと唇を突き上げた藍は「ほんとヘタレ野郎」と呟くと、蒼太の胸ぐらをつかみ勢いよくキスをした。
「…っん、おい、このまま俺の事帰したら今日からお前のあだ名はヘタレ野郎だからな」
唇を離した藍は、悪戯好きな子供のような無邪気な笑顔を見せた。蒼太は頭を抱え、深く息を吐く。
「お前は…なんでそんなに強気なんだよ…」
キスだけであんなにとろとろになっていたというのに、本当にこの男は何なんだ…と蒼太の頭は痛くなる。
「蒼太、お前は俺をどうしたいんだ?言ってみろよ」
藍に嘘などつけるはずもなかった蒼太は「…藍を抱きたいです…」と遂には口に出してしまった。
「最初から素直にそう言えよな」
藍は蒼太の頭に手を添え、自分の方へと引き寄せるようにそのまま身体を倒した。再び藍を押し倒すような体勢になった蒼太は、藍の頬にそっと触れる。
「好き、好きだよ藍」
息を吐くように、蒼太は好きだという言葉を口にする。いくら口に出しても足りない程、藍を愛おしむ気持ちは増すばかりだった。
自然と二人の唇が重なり合う。次第に深まりを増していくキスは、どろどろとお互いを溶かすような甘ったるさがあった。
「っはぁ…くるし…っ」
深い口付けによって藍の呼吸は乱れていく。唇を離した蒼太は、キス一つで蕩けてしまっている恋人に「藍…ベッド行こっか」と囁いた。
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