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 俺が食器を洗うあいだ、あみさんは窓の外を見ていた。狭いベランダ。けど、ここは特別だ。あみさんのお気に入りスポット。特に、今の季節は。  食器を全部洗い終わって、あみさんの隣に並んだ。サンダルが素足にぺたぺたする。凭れる手すりはひんやりする。雨はまだ降っている。屋根に当たって、ばらばら、音がする。 「……雨だね」  あみさんが頷く。 「雨だな……」  だるそうではあるけど、残念そうではない感じ。あみさんは目の前を見上げながら、つぶやく。 「雨に濡れると、幹と花の色が、いっそう鮮やかに見える。あたりがみんな、灰色だからかもしれない」 「うん」 「晴れの日もいいけど、雨の日も悪くないなって」 「うん……」 「こういう葉桜になった感じも、俺けっこうすき。濡れた緑色は艶やかでまぶしい」  俺は、なんだかそわそわして、サンダルのつま先を捏ねながら、頷く。あみさんの、そういうところ、俺は好きだなって思う。だいじにしたい。影の写真ばかり撮るひと。俺もあみさんにならって、目の前のそれを見上げる。  さくらの樹。  アパートの敷地内にある。二階の角部屋、このベランダと、目が合うみたいにしてある高さの、さくらの樹だ。  せまくて、ぼろくて、隙間風もあるこのアパートに、あみさんが住み続ける理由のひとつ。家にいながらこの季節、特等席でお花見ができるところ。  前回来たときは八分咲きで、ほんとにきれいだった。いちめんさくら色で溢れていた。今は、けっこう葉桜。雨粒の重さで花びらが散っていく。 「いいよね、ここ」  あみさんは返事の代わりにビールを啜った。雨にさくらにビール。お花見。  その横顔を見ながら俺は、麻婆餡かけチャーハン美味かったな、って、思う。さらにはケーキ。チーズケーキ。俺が好きなのを覚えててくれた。二個入りのを一個ずつ食べた。おいしかったなあ。うれしかった。あみさんに、祝ってもらえたこと。 (あみさんのお陰なんだ。あみさんに出会えて、だからこうして一年、過ごせたんだよ) 「……ゆう?」  あみさんが俺を見て、俺は、あみさんの顔ばかりみていたことに気づく。俺は花見がへたくそだ。花より団子。風流よりも実利。外見より実質。さくらよりも、あみさん。さくらはきれいで、でもそれよりも、俺はこの人が……。  急に恥ずかしくなって、目を逸らす。手すりに、濡れた花びらがいちまい張り付いている。ほのかなピンク色。――ふいに左肩が温かくなった。あみさんの肩が、くっついている。体温が伝わる。俺のパーカーと、あみさんのスウェット越し。  顔を上げる。あみさんの目が、俺を映している。それが、潤んで鮮やかにみえるのは、あたりがぜんぶくすんでいるからだろうか。 「ゆう」  濡れたくちびるが俺を呼ぶ。瞳が、なにかを迷うように揺れる。なに、と俺は聞く。あみさんにしか聞こえない声で。 「……なあ……ゆう」 「うん」  あみさんの手のなかで、缶がぺこ、って鳴った。ぺこ。かこ。雨がじとじと、びちゃびちゃ降ってる。俺の目がふと、あみさんの向こう、反対側の部屋の明かりを確認した。暗い。あみさんを除くと唯一らしい住民は、忙しいのか、いつもいない。俺の目がそれを確認したことを知って、目の前のくちびるが緩んだ。そのままのかたちで、俺にくっついた。  水っぽくて、苦い。ビールの味。つづけていくと、あみさんの体温になる。 「――――ゆう」  キスを終えたあみさんの声は、じとじとだった。ほとんど吐息で、熱いんだ。 「……明日、早いか?」 「……あみさんこそ、明日も早いでしょ?」 「早いけど」  俺のくちびるばかりみてる。 「いい」  また、キスになる。さっきよりも深く絡んで、角度も変えて。ふたりでたべたチーズケーキ。俺もあみさんも、息がどんどん、早くなって。俺はあみさんの腰に腕を回す。あみさんは、俺の唾液を啜った。ビールよりも美味そうに。頭のおくが痺れる。くちが、離れる。はあはあ、息しながら、俺は。 「……えっち、したい。あみさん……いい?」  がまんできなくなったのは俺だった。 「抱いて良い?」 「……うん」  くちびるを唾液の糸でつなげながら、あみさんは頷いた。揺れて、切れて落ちた。 「あ……けど」 「うん?」 「きょうはもう、勃たないと思う」 「じゃあ、記録はノーカンってことで」  あみさんは、ほっとしたように目を閉じて、その長い腕で俺を抱き寄せた。  このアパートのいいところ。もう一つは、ここは角部屋で、隣も、上も下も、部屋が空いていること。

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