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兄様が見つけてやるからな④

 血色がよくなってきたアーシュレーは、不意に俺の首筋を険しい顔で見つめてきた。  俺は早々に目当ての人物を釣り上げたのだろうか。  こちらも見極める気持ちが逸らぬよう、彼の反応に注視する。 「先輩は、アルファなんですよね? アルファのフェロモンってこんなにも甘い匂いがするんですか?」  あぁ、ラディ、兄様は遂にお前の運命を見つけたようだ。  愛する弟の未来が懸っている、兄様は悪魔に魂を売っても構わない。  目の前の少年がオメガフェロモンの被害者だとして、彼が恋の虜となり愛の奴隷となり、故郷よりも愛する人を取るなら最良だとは思わないかい。  アーシュレーの保護も俺が一手に引き受ける。  彼の混乱や恐怖が落ち着いたら、このジェドリグ・ミカフォニス自ら弟の番様に花婿教育を施そうではないか。 「大自然の偉大さを感じるとはよく言われるよ」 「──、やっぱり……甘い……」  眼鏡を掛けないまま彼は淀みなく俺の項を嗅ぐべく密着してきた。眉間の皺が断層のようになっている。  ラディの花のように香るフェロモンよりも、それを濁らす自分以外のアルファへの攻撃性が窺える。  試しにラディのフェロモンを完全に俺のもので消してしまうと、アーシュレーは絶望に息を詰め、慌てて俺から身を離した。 「すみません……! 俺、なんてことを……」 「君はこれまでベータだった。オメガとアルファのフェロモンを感じ取ることはできず──君が我が校に留学して来たのはこの春、今月から。間違いないね?」  頷く少年にいよいよ照準を合わせる。  この手の勘は外れないのだ。  ラディの前回のヒートは約1ヶ月半前、彼がまだこの国に来てはいない時期だった。  急いては事を仕損ずる、ならば鷹揚に確実に駒を進めてみせよう。好機に確実にチェック・メイトだ。 「アーシュレー君。君の持ち物を1日借りることはできるだろうか? そのネクタイなんかはどうだろう」  外されて枕元に置かれていた緑のタイを示すと、彼は怪訝な顔をするが素直に従った。 「感謝するよ」  ブレザーのポケットが膨れるが、これを持ち帰ればすべてが分かる。  ちらりと置き時計の針も確認した。  午前中はまだ1時間授業があるが、彼の心労を鑑みれば休ませるべきだろう。  お喋りはまたいつでもできるのだ。 「昼休みまでここで休んでいなさい。午後からは検査機関に連れられ、第二性変更手続きに進むそうだよ。少しでも休んでおくように」 「先輩は、授業……」 「君が心配で、つい、サボってしまった」  さあどう出ると(たぶら)かしてみれば、アーシュレーは苦々しい表情を浮かべた。 「以前廊下ですれ違った時はオーラに圧倒されましたが──、本当に、すごい方なんですね。アルファですら安心感を覚えるって、あなたのフェロモンは特別だってみんなが言ってた。でも……思い知らされてしまう。あなたとは格が違うんだ」  悔しげな暗い瞳に歓びを覚えてしまっていると、アーシュレーにはとても言えない。  我が弟、春の女神の愛し子、花びらの砂糖菓子、清らかな湖畔の水面ちゃん。  ラディを巡って俺と争う気概がある少年に歓喜せずにはいられない。  大変結構、それでこそだ、もしやの番様。  君には俺を超えてもらわねばならん。 「私は我が愛しの弟を守るために誰もが敵わぬアルファになると決意した。褒めてもらえて嬉しいよ」  ラディがオメガである自分を否定する事件が起きてから、俺は彼のための努力を惜しまなかった。  ラディ、俺の太陽の導き手。ラディ、俺の月の眠り姫。  必ずや兄様はこの者をお前の元に連れて行く。 「弟様の番になる人は大変ですね。先輩と比べられてしまう」 「そんなことはない。何故なら私が立派なアルファに教育するからだ。その者の劣等感を煽りたくて力を付けたのではなく、彼が現れるまで代理で守っているに過ぎないのだよ」 「……番が現れたらどこかへ行ってしまうのですか?」 「いいや、どうしてそう思う?」 「あなたは──口が上手そうだ」  素晴らしいよアーシュレー!  君は無意識に俺の裏にいるラディを見つけ出し、彼の不安を突き止めている。  合格だ。  しかし恐ろしいな、アルファ性とはこうも覿面に人を変えてしまうのか。  アーシュレーは内向的で積極性に欠けると教員から評価されていた。  どこまで変わる、少年。  ラディに巡り逢えた瞬間の輝きが俺の楽しみになる。 「君は聞き上手なのだろうね。第3者に吹き込まれる前に私から言おう。ジェドリグ・ミカフォニスはただの養子だ。正当なる後継者の庇護を司るため3歳の時に公爵家の一員に迎えられた。だが私は長くあの屋敷にはいられない。余りにも近くにいると……」 「近くにいると?」 「兄弟で番わされてしまう」  怒気を含んだ短い呼気と、不快感が漏れる低い振動。  全く、俺も焦り、興奮しているな。  やっと見つけたんだ君を、我が弟の救世主。  俺が太陽? 笑わせるな、俺は光を受けて輝くガラス玉だ。長年に亘って研鑽を積んで磨き上げた、特上品のイミテーション。 「私が優秀であるばかりに当家にはそうした空気が蔓延している。しかし私も弟もそういった関係は望まない。彼を愛しているよ、けれどね、弟には恋情を一心に注いでくれるアルファと結ばれてほしい。我々人は本能に突き動かされながらも理性と思慕を持つ生き物なのだから」 「弟様を大切になさっているのですね」 「我が命よりも」 「やっぱり大変だ、あなたの弟様も、その番も!」  君もこれから大変な目に遭うだろうね。  一先ず今日はアルファ性の目覚めによって起きた身体の異変には言及せず、俺は目を輝かせている困った後輩を寝かし付けることに専念した。  何故そうもはしゃぐんだアーシュレー、俺は別に格好付けてはいない、兄とはそういうものだよ。

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