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私を超えていきなさい④

 鬱々とした朝にジェドリグ・ミカフォニスらしく登校するのは疲れるものだ。  それなりに長い時間馬車に乗り、華やかな仮面を纏ったまま席に着いたが、前に座る男には隠せない。 「今朝の君には自己否定が紛れ込んでいるね。ラディルちゃんの体調が(かんば)しくないのかい?」 「俺のせいで悪化させてしまった」  俺が感知しない何かをラディとアーシュレーは送り合っている。  昨夜帰宅するとラディは俺に(しき)りに謝って熱を出し、どこにも行かないでとさめざめ泣いた。  愛する弟、守りたい弟。  俺はね、ラディ、お前のためなら魔物でも罪人でも喜んでなろう。しかし兄様はお前を愛しているから正統に力を得ることにしたんだよ。  でも兄様は強くなり過ぎた。  昨日はとうとう母上からも番捜しをしなくていい、時が来たと言われたんだ。ミカフォニス家の後継になってほしいと懇願されてしまった。  この世で最も尊い宝物、フルーツたっぷりのオムレットちゃん。  俺はお前を愛している。 「君がそこまで落ち込むのを見たのは初めてかもしれない。なあジェドー、番に会いに来てもらえないオメガは衰弱していくんだ。君が注げない愛情ならば急ぐべきだろう」 「……分かっている」  俺が弟と番になる訳がない、結婚など望んでいない。  放課後アーシュレーを拉致するかと決めあぐねていたら、廊下から大音量で名を叫ばれた。 「ジェドリグ・ミカフォニス様にお取り次ぎください!!」  我が弟子よ、またアルファフェロモンで事故を起こしそうになっているぞ。  会話を切り上げて応対に向かう。  下手なことを言わないように横の男に視線を送ると肩を(すく)める。 「アーシュレー、どうした?」 「昨日の非礼を詫びに……!!」  塞がれた後方のドアをさり気なくアルファ達が囲み、前方からオメガが退室して行く。  俺の弟子だというのに周りが見えていないね少年、今日は珍しく師匠も不甲斐ないから許してあげよう。  教壇の横に置かれる柱時計の針は、教師入室まで(わず)かばかりの時刻だった。  ここでアーシュレーを返せば何が起きるか、監督不行届は為出かさない。  俺はラディの手紙の入った鞄を持ちに戻り、エドワードに合図する。腐れ縁、一応幼馴染みという関係だ。彼とはアイコンタクトで大抵通じる。 「アーシュレー、場所を変えるから付いて来なさい」 「何で、この人も……?」 「いたらいたで役に立つ男だよ。なあ?」 「ご期待に添えればいいんだけれどね」  これから話すのはアルファとオメガの巡り合わせ、運命の番についてだ。  俺は学友からすると『常識が通用しないおかしなアルファ』なので、まだ俺よりも一般的な感性が分かる友人がいた方がいい気がしたまでのこと。  俺の直感はこういった時決して外れない。  不貞腐れ気味の後輩と愉快そうな学友を伴って閑散としている図書室の一角に来る。  授業中に見回りをする事務員はここには来ないのだ。  さて、時間を掛けて弟の番様を説得するとしよう。 「昨日は……っ」 「アーシュレー、君が抱くアルファとオメガの番について、特に運命の番という結び付きについて率直な意見を聞かせてくれないか? どう感じている?」  これまで彼にはアルファの平均的価値観や行動を教え、生殖活動に関しても話してきている。オメガとの関係の話題になると黙りがちになる点を羞恥と捉えて追求しなかったが、今にしてみれば彼が求めるオメガへの〝叶わぬ恋〟が口を閉ざさせていたのだろう。  可哀想なことをしてしまった。  運命は、君だよ。 「人としての尊厳を捻じ曲げるものです。俺、運命の番なんて信じたくありません!!」 「ジェドー! 君の特殊な生態によって少年に混乱が生じているじゃないか」 「茶々を入れないでくれエド──。一度も憧れを持ったことはないかな?」 「ベータの頃ならありましたけど、今は、全然……。運命の番ってなんか胡散臭いじゃないですか。もし愛し合う夫婦がいて、運命の番が現れたら伴侶や家族を捨てるんですか? 本能ってそんなに偉いんですか? てかフェロモンって何なんだよ……っ!」 「うーん、第二性転化の壁に行き詰まってるねえ。フェロモンは体臭かな?」  混ぜっ返すエドワードが同席するなら直接的な事実から投げればよかったな。  最近慎重さに気を取られて失敗続きだというのに学ばない。  俺は弟以外と運命の番を論ずるのは得意ではないのだ、何故ならば俺自身が自分に番がいてほしいと感じたことがなく、主張が不明瞭だからである。  その点を突かれたら厄介になる、骨が折れるだろう。  アーシュレー、俺は引き摺ってでも君をミカフォニスの屋敷に連れて行く。君を昏倒させて誘拐犯になってもだ。  そうだった、私はこの少年に然程の情を掛けなくてもいい。成すべきは我が弟の伴侶をラディに引き合わせることのみ。最良な出会いでなくても良き交流は得られるものだ。   「フェロモンの働きや特徴は次の機会にして、本題に入ろう。私と弟は非常に相性がいいとされる。それこそ、運命に少し不足している程度には」 「……やっぱり、特別な関係なんですか?」 「少なくとも私は彼を運命の存在だと感じているよ、弟としてね。──幼少期のとある出来事、私が別格のアルファになると決めた忌むべき日から、弟のオメガフェロモンは不安定になってしまっている。その揺らぎが彼の体調に直結しているんだ」 「身の危険を感じる事件が弟様に起きてしまったのですね」  姿のない者への憎悪が(ほとばし)る少年に、俺は真実という追討ちを掛けなければならなかった。 「私達兄弟は、我が弟ラディル・ミカフォニスに命の危機が訪れた暁には番うと決めている。彼は公爵家嫡子。彼は次期公爵の義務を負うべきと考え、私も承諾した」 「兄弟だから……できないって……!!」 「恋情がなくても契ることは可能だ。性行為をして項を噛むこともね」  牙をこちらに向けたなアーシュレー。  標的を定めた顔をしているよ。いいね、君の大事なオメガを食らう敵だと認識しなさい。  俺はいつまでも君の師匠に甘んじるつもりはない。 「昔弟に聞かれたことがあった。運命の番が現れた時、好きな人ができた時、もしも私達が夫夫であるならばどうすればいいだろうかと。当然こう答えたよ、お前の恋を優先しなさいとね」 「……そんなの無理に決まってる」 「あぁ、番になったら手遅れだ。弟は不義は犯さない、1度私と番ったなら例え運命の番が現れようとも私との関係を選ぶと言った。自由恋愛ができないのは貴族に生まれた彼の宿命だ。……だが、兄との性的接触によって延命される弟の人生は、果たして幸福と呼べるのだろうか?」  君を傷付け、アルファとして育ち始めの誇りと驕りを砕いてしまったら、ラディが危惧するようにいなくなってしまうだろうか。  俺がこの話をする理由を洞察してほしいと期待するのは甘え過ぎなのか。しかし分かってくれ、我々の情は君が疑っているものではない。 「私が彼に尽くし、彼の未来を案じているのは、我が弟ラディルを心から愛しているからだ。フェロモンの相性からして恐らく私達は身体の相性もいい。しかし私達は本能によって交わることを忌避している。アルファとオメガは快楽が付随する衝動からは逃れられない、繁殖して子孫を残すことを神によって定められている。しかし理性によって構築された本能も同等に有している。私達は兄弟だよ」  ラディには昔から『お前の王子様かお姫様はお前を1番に愛してくれる人だよ』と繰り返し言い聞かせてきた。  理屈で言ったら俺も適用されるだろう。  しかしラディにはお伽噺にも似た恋をしてほしい。あの子は夢見がちな子だから兄様が夫を兼ねてはいけない。そうなれば彼はとても大切なものを失ってしまう。 「遅くなったが君の質問に答えよう。伴侶を持つ者が運命の番に出会って既存の関係が損なわれるかはケースバイケース。人には理性があることも、本能に勝る愛情や恋情があることも忘れないでほしい」 「……あなたも弟様も、番った後は例え運命の番に出会ったって、その人を選ばない」 「そうなるだろう。歯痒いがな」  だから一刻も早く俺の弟と番いなさい。  兄様は余り具体的な想像はしたくないんだがね、ラディの項に番の噛み痕があることへの安堵を知りたい。  どうか2人で末永く愛し合ってくれ。

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