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私を超えていきなさい⑤
アーシュレー、君は我が国のオメガが首輪 をしていないことに驚いたと言っていたね。自衛の塗布剤だけでは心許ないのではないのかと心配していた。
心優しき少年よ、君に間に合ってほしいのだ。
「ジェドー、今すぐ口を閉ざすんだ」
「エドワード……?」
「君は今どれだけ残酷な話をしているか分かっていない。兄の立場で見聞きし物を言う君は恐ろしく狭窄 だ。オメガからの愛がなくても平気でいられる奇特なアルファ、私の友人。君は弟思いがゆえに惨 く鋭利な言葉を放ったよ。選ばれないと少年の心を切ってしまった」
違う、そんな意図はない。
だが俺は言い募る余り、理性で結ばれる俺とラディの愛情こそ本物であり、本能的に性交を求める運命の番の情動は劣っているかのように話してしまったのか。
全身を強張らせて悲しみに耐えようとする少年の、自分のオメガのために現実を呑み込もうとする姿は痛々しさがありながら高潔だった。驚嘆に値するラディへの想いがそこにはあった。
「アーシュレー、私の弟ラディル・ミカフォニスの運命は君だ」
「弟様は俺が好きな訳じゃない。運命だって言われたって! ……彼は、あなたを愛してるじゃないか。行かないでって言ってる! あなたに寄り添うフェロモンはあなただけを求めてる!」
「アーシュレー、妬心が君を苛むのなら、私達兄弟が運命だと思い違ってしまうなら、その手で壊してみせなさい」
立ち上がりアーシュレーの手を取った。
目を見開いて唖然とする顔は幼さが残るが、精悍さが日々際立つようだ。
敬虔な信者のように甲に口付ける。
「ラディルの兄として君が我が国に来てくれたことを心から感謝している。弟は君のネクタイを手にした日から焦がれ苦しんでも幸せそうなんだ。彼はアーシュレーがアルファに転化したことを神の悪戯と言うが、私は君こそ神だと信じているよ。私達兄弟の救世主」
「あなたに、あなたに言われたくない……! あなたこそ俺の神様だ! 人の気持ち滅茶苦茶にして! あんた……っ、自分がどんだけ相手の感情グチャグチャにすんのか分かってないだろ!!」
椅子を蹴倒すように立ち上がったアーシュレーは、激情の瞳で呼気を荒げ、強く俺の胸を殴った。
「本当に……、弟様とは何ともないんですね!? 俺には……っ、俺だけの番様がいる……!!」
「彼の唇の純潔も私は奪っていない」
「あなたは俺が知る中で最も怖いアルファだ。みんなあなたに夢中です。……弟様だって1度くらい」
「過去にあったとして君が覆せばいい話だ。自信がないか、サーフィ=ナフル・アーシュレー」
「ないです……!!」
堂々と宣言しないでほしいものだな。
俺達兄弟のタイムリミットは迫っている。
猶予は長くて来週末まで、次のヒートをラディは1人では超えられない。
感情を制御しきれなくなったのか俺のブレザーの襟を掴んでアーシュレーはしゃくり上げている。彼の望むアルファらしさはなかったが、弟の伴侶としては趣 深い。
「君の義理の兄になる男は弟狂いのアルファ・オブ・アルファだから苦労するね。大目に見てやってくれ。傲慢さこそアルファの典型例だ」
黙って見守っていたエドワード・ラドヴィントは、同意させるようにアーシュレーに語り掛けた。
涙を袖で乱暴に拭うと、懐っこい中型犬の笑顔に戻りながら、何故か誇らしげに少年は答える。
「この人、アルファらしいって言われたくないんですって」
「称賛ではなく罵倒だろう?」
「不満げにしているが、そう呼んで然 るべき人物なんだよ君は。ジェドー、人は君の行動に正しさを見い出そうとする。ジェドリグ・ミカフォニスの行いならば必ず理由があると斟酌 するんだ。こうも矛盾ばかりの男だというのにね。誰しもが君の強い光に魅了され、弄 ばれて狂ってしまう」
「俺は狂ってはないですけど……、太陽に焼かれた自覚はあります。あなたの愛嬌っていうのかな、完璧じゃないところは性質が悪い」
俺のミルクハニーラテちゃんは『兄様は可愛らしい方なんです』と褒めてくれるが、この俺に愛嬌などあるものか。
完璧でないのは当然だろう。
俺は人智を超えた神ではなく、己の限界を突破することに血道を上げる泥臭い人間なのだ。
金髪金目の容姿が人に与える印象も理解するが、太陽とは笑わせる。
授業に遅れて出るにしては時間も短く、図書室で時間を潰すことにした。
エドワードは興味津々に第二性転化の後輩にあれこれと聞いている。
「蜂蜜ちゃんのヒートの香りは長く秘匿にされていたんだよ。その点を君はどう解釈するかな?」
貴様が蜂蜜ちゃんと呼ぶな。
我が心の泉ラディを愛称で呼んでいいのは家族と将来家族になる者だけだ。
「弟様は……オメガ性を嫌い、恥じているのですか?」
「オメガに生まれたくなかったと、昔はよく泣いていた。ラディと相性のいいアルファを捜すには遠回りをしていた。それでも彼が隠したいものを私がばら撒くのは違う。1人抑制剤を飲んで耐える弟の移り香で、彼の番の誤解を招くのも避けたかった」
「アーシュレーはジェドーの方針転換初日で転化したんだから正に運命だね」
「弟様がお辛いのはあなたの負担になるのが心苦しいからでしょう。ジェドリグ様を愛してるから……」
焦げ茶色の瞳が悲壮な恋情で潤んでいる。
ラディ、兄様は、強くなってはいけなかったのかな。間違えてしまったよ。
「ジェドリグ様に託され、弟様と番になるのは……理想なんだろうけど、難しい。俺、いつ自信が持てるんだろう。先輩より優れたアルファにはなれそうもない。弟様に失望されるのが怖い」
「また同じ結論に至っている。ジェドー、君の人生の命題が若人を1人絶望に突き落としているよ。だから昔言ったんだ、皆が君のように屈強で打たれ強い訳ではないと」
「再び言ってくれるな」
儚く健気に番を待つラディを心配する両親の感情を思えば、今週末がリミットだ。
他国の富裕層、しかし爵位はない家の次男を婿に迎えるよりも、既に15年近く息子として育てている俺の方が愛着もあるはずだ。
ラディの両親はアルファとベータの夫婦であるから、今のラディの体調の悪さ、希求と祈りをアーシュレーのせいだと批難している。
首謀者は俺だというのに誰もが俺を責めることはない。
だからこそ俺は最良の一手で運命を証明するのだ。
「会うことを諦めてる訳じゃないんです。焦がれておかしくなりそうなのに、弟様に相応しくなれない自分が嫌だ」
「私が似合いだと思ってしまうか?」
「いいえ、それは……俺はまだ師匠の肌に馴染んでしまった弟様のフェロモンしか知りません。俺だけに向けられる恋の瞳を知りたいです。弟様の声も聞きたい」
砂糖を含んだ甘く滴る吐息に隠し立ては無用と判断する。
これも裏目に出たら実力行使をするまでだ。
「アーシュレー、私が引き伸ばせる猶予は来週末までだが、可能ならば今週末にミカフォニス家に来てほしい」
「そんなに、弟様の具合は悪いんですか?」
「ああ。君への恋しさゆえだろう、ヒートではないんだが毎日熱っぽく気怠げで伏せるようになってしまった。両親が非常に心配していてね、早急に手を打たねば君の評価の取り返しが付かない」
「俺って歓迎はされないですよね」
「私がする。ラディも大歓迎だ。アーシュレー、案じていても時は無常に過ぎてしまう。勇気を出してくれるなら私が必ず支えよう。どうか君の手を引く栄誉を与えてほしい」
「ね、こういうところが彼の卑怯なところだ」
エドワード、俺は卑怯ではない。
決して公明正大な男でもないが、恣意的に守りたい相手を決めているんだ。
やっと鞄から出せると手紙を取ろうとしたが、アーシュレーときたら大声を張る。
「俺は絶対! あなたを超える!! 弟様のために、絶対に勝つ!!!」
悔しげに捨て台詞を吐いて脱兎の如く逃げ出すのは敗者のすることだよ。
何なんだ一体と友人を見れば、やけにしたり顔で目を細めている。
「誑 し込みの技術までアルファの作法だと勘違いしてるね、彼」
「打算的になられたら困るな」
「かと言って君のように本心で語る無頓着な罪作りになられてもね」
お前もアーシュレーもどうして俺のことを無頓着と評価するんだ。
十二分に自分の容姿や能力や立場を有効利用しているだろう。何が不足だ。
「ジェドーが決定権を全譲渡できるのは運命の番だけかな」
「お前は人を貶 す才能に秀でてるな」
「巡り会えると思うよ?」
「来世に期待だ」
今は我が愛しの蜂蜜ちゃんと突拍子もない弟子のことで手一杯なんだ。
幸せだよ、とても。
出奔時期と目的地は早々に決めるとしよう。
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