11 / 28

運命の恋よ祝福されたまえ①

 心が清く美しい者は、天がその者愛しさに早く呼び寄せるとは世の無情。  しかしそれが神の思し召しだろうと、俺から蜂蜜ちゃんを奪う者は赦さない。 「兄様……学校のお時間です」 「まだこうさせていておくれ」  ラディは(しばら)く微熱が続いていたが、昨日からは顔が蒼白く、儚く危うげだ。  幼い頃に大人の強烈な威嚇行為(ラット)を浴びて不安定になったオメガ性が、運命の番に避けられている事実(・・)によって、強い否定感を彼に与えている。  オメガは愛され守られる性だ、これまで俺の庇護で保てていたものも間に合わなくなっている。  手を握り枕元の定位置で寄り添いながら、タイムリミットを感じずにはいられない。  兄様は己の不始末を激しく後悔しているよ。 「ごめんなさい……」 「私はお前に謝罪されるのが何より悲しい。悲しくて悲しくて、兄様の涙で1階の天井が雨漏りしてしまうよ。辛い時こそ自分のことを考えなさい。元気になったら可愛い笑顔を見せておくれ」  俺は神についてよく口にするが、その実、国教でありミカフォニス家が信仰する神の敬虔な信者では全くなかった。  信じる者はその時々で決める。  今ラディを救ってくれるのは後輩であり弟子であるサーフィ=ナフル・アーシュレーだけだ。 「私の青空、ブルーサファイヤ。瞳が溶けてしまいそうだよ」  目尻をそっと拭うとラディは無理に笑おうとする。  いけないよ俺の最愛の太陽。  兄様はお前にそんな顔をさせたくはない。 「ラディ、番様に何か伝えたいことはないかな?」 「お手紙を書きましたよ……?」 「あぁ、兄様も早く渡したいんだがね、君の番様は今兄様への反抗期で忙しないんだ」 「反抗期……?」  従順かと思いきややはり彼もアルファ、俺への対抗心が凄まじい。  口説き文句の実習でも始めたら強制停止の他ないが、どうやら〝弟様の王子様〟になるべく燃えているようだ。 「私は未来の義弟(おとうと)を随分と悩ませてしまっているらしい。あれこれとアルファらしいアルファに固執しているんだ」 「番様は元ベータでいらっしゃるから強くそう思うのでしょうね。僕も覚えがあります。兄様と比べると自信を失くしちゃうんです」 「ラディ……!!」 「今僕が番様にできることはありますか──?」  最期のように言わないでおくれ、我が愛しの弟よ。  お前がアーシュレーに渡せるものも、アーシュレーがお前に差し出すものも、2人のありのままで充分多いのだから気に病まなくていい。  しかしラディ本人が自身の体調や限界を最も把握しているのは揺るがぬ事実。  今日アーシュレーを連れて来なければ休日に大きな悪化があるやもしれん。  求める未来のためなら私は喜んで邪道を選ぼう。 「お前のフェロモンを私に移しなさい。彼はラディのフェロモンに含まれる感情を受け取るのに特化している。私を郵便屋さんにしてお前の運命を求めてごらん」  ネクタイを引いて第2ボタンまで外した。  弟に覆い被さるようにして鼻先へと首筋を近付ける。 「お前の番を翻弄しなさい」 「どうやって……?」 「兄様のここに数秒顔を埋めればいい話だよ。その間中誰のことを考えてもいい」 「こうですか?」 「──上出来だよ、ラディ。兄様は必ずや我が未来の義弟を連行しよう」  凡百のアルファならいざ知らず、この俺に食って掛かる精神性の持ち主だからまず心配はいらない。  己のオメガを(もてあそ)ぶ敵を早く倒してもらおうか。 「これで来てくださいますか?」 「彼ならば、必ず」  襟元を直して頭を撫で、ラディの視線の彷徨(さまよ)いに唇をふにりと(つま)んだ。 「ラディ、お前が飲みたい栄養剤も抑制剤も兄様が隠しておいた。特効薬は番様だよ」 「……でも」 「お前の飾らぬ姿を見せなさい。お前のオメガ性の不安定さは彼が解決してくれる」  俺の言葉にラディは曖昧な表情をするばかりで、細くなってしまった指で俺の肩を押した。 「お待ちしていると、伝えてください」 「行って来るよ」  俺は周囲の評判通りのアルファ・オブ・アルファ、傲岸不遜で我が道を行く独善者。  過去を後悔して何になる、今を往かねば何ものも達せない。  弟を愛している、それが俺の揺るがぬ指針だ。 ▽▽▽  周囲からの異様な反応に、フェロモンとは何かと学問を探究した。  午前中の最終授業前にリンド・ゴールド男子学院に到着した俺は、平時と変わらずクラスメイト達と机を並べた。  終業のベルと共に強い暴力性のアルファの突進を感知すれば心が躍り、周囲とのトラブルにならないように教室を出る。 「何で……ッ!」 「いきなり掴み掛かってくるとはご挨拶だね、アーシュレー」 「弟様とは、兄弟だって!!」  すごいな君は、校舎の入り口から3年生の教室まで距離があったのにどうやって嗅ぎ取るんだろうか。  いやはやそれにしても大したフェロモンコントロールだよ、素晴らしい。周囲を巻き込まない配慮、俺だけを殺すと言わんばかりの迫力、流石我が弟子。  振り上げた拳を止められてもギラギラと獣の如く凶暴性を止めない気性を俺は買っている。  だが放出が早過ぎたね、最上級生のフロアであったことを感謝したまえ。ここが1年生の階だったら今度は事件現場だ。  よくぞ抑えている、サーフィ=ナフル・アーシュレー。 「決闘してください! 我慢ならない!! あなたを恨んでしまう前にぶちのめす!!!」  血気盛んで大変結構。ラディは何を仕込んだのだろうか興味が尽きない。  俺は腕を捻って床に転がした。  一度鎮静化させるが衝動は失ってくれるなよ、我々以外に被害を出さないことが大前提だ。 「鍛錬場に着くまで自制なさい」 「…………はい」 「あぁ、いいところに来たねダライアス。君の庭を借りてもいいかな?」 「他に使える場所もないのに聞かないでくれ」  王家直属の騎士の家系に生まれたダライアス・ルッシ、揺るがなき武力を誇るベータの彼は以前世話になった屋外鍛錬場の管理生徒だ。  うんざりだと言わんばかりに顔を顰められて肩を(すく)める。  フェロモンは感じ取れずとも俺がアーシュレーに行っている扇動行為は大方分かっているのだろう。ダライアスは無骨な風貌に反してロマンチストだから、運命の番関連で圧倒的にアーシュレーの味方だ。  素直な後輩は可愛いよな、勿論俺もだとも。  アルファのフェロモンはオメガには凶器だと教えた甲斐あって、2人きりになろうとアーシュレーは大人しく俺に着いてきた。  ブレザーを放り投げてネクタイを抜くと彼の形相が極悪になる。握り込んだ拳から血が滴りそうだ。 「弟様は、ご無事ですか」 「答えを知りたくば私を(ひざまず)かせることだな」  生憎と手袋はないが両者の上着が風に吹かれれば開始の合図。  無闇矢鱈に突っ込んで来たアーシュレーは無策も無策、かと思いきや俺にいなされた途端に勢いを落とした。  俺が幾ら手加減をしたところで我々の力量差では五分にもならない。  拳を(かす)めることもできないと判じて打って変わって下手に出るべきと転じられるところも、俺が気に入る素質の1つだ。 「俺は……ッ、弟様がご無事なら、あなたに勝てなくたって構わない……! あなたは番様の兄上だと信じてる!」 「番にならなくても構わないと口にするならば八つ裂きにしたところだ」 「まだ未熟者で申し訳ありませんッ! 番様に会うまで死ねません!!」 「バカを言わず、白髪のお祖父様になるまで頑健でいることだな」 『まだ』と強調するところが君らしい。  話は纏まった、プライドよりもラディを案じた君に私は大いなる感謝を示そう。 「腕を引くんだ」 「は?」  「早くしたまえ、1分経つぞ」  俺の意図を理解した時のアーシュレーと言ったら!  不承不承で反発心を抑え込んで俺の膝を地面に突かせ、自分もスラックスが汚れるのも構わず座り込んだ。  文句をグッと飲み込んで深呼吸をし、眉根を寄せながらも目尻を垂れさせる。幼く、泣き出しそうな顔だ。 「俺の番様は優しい方だ。俺を心配して無理をしないでと言ってくれる」 「ラディは遠慮がちな子だからね」 「誤解ですってのも訴えてますよ」 「匂いを付けろと命じたのは私なのでな」 「本日お屋敷に行かせてもらいます」 「よく言ってくれた」  宣言してからどっと緊張してきたのだろう、アーシュレーは顔を(おお)って(うな)ってから背後に倒れ込んだ。 「期待してたのと違ったらどうしよう……!」 「惚れさせる努力をするまでだろう」 「あんたはいっつもそうやって軽々しく言ってのける! みんな師匠みたいだったら苦労しませんって!!」 「私も苦労の幾ばくはあるよ」 「あんたの場合は自分で作り出して──……俺、ジェドリグ様に(おと)るアルファだとしても、番様にとって2番目にいい男でいたい」 「君にとって、俺は目障りかな?」 「はぁあぁあ? ふっざけんなよ、いつか勝つって言ってます!!」  ベータだった頃の面影はすっかり鳴りを潜め、抑圧されずに育てばこうなったのであろう溌剌とした笑顔でアーシュレーは跳ね起きた。 「師匠に鍛えてもらってるから俺は毎日賢くなってるし強くなってる。でも俺があなたを超えたって、弟様の大切なお兄さんはジェドリグ・ミカフォニス様だけですよ」  ダークブラウンに一閃金が輝く双眸が俺を鋭く射抜いた。  分かっているよ、そんなことはね。当然だろう兄様なのだから。  しかし俺にも長年の信念というものがある。それを崩せるかは君次第だ。 「早退するも良し、放課後まで耐えるも良し。さてアーシュレー、どうしようか?」 「俺は今から寮に走って着替えて来ます。んで、授業全部受けてから番様に会いに行きます」 「君は(ことごと)く我が弟に相応しい」 「そうですか? ──だといいです」  はにかむ少年に俺は大層満足している。  アーシュレー、きっと今日の放課後には自ら頭を下げに来たのだろう君を誇りに思うよ。

ともだちにシェアしよう!