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運命の恋よ祝福されたまえ④

 激しい後悔、失敗の記憶。  ラディが5歳の頃、俺が8歳になった日の出来事は、ジェドリグ・ミカフォニスの人生の指針をより強固なものにした。  風前の灯火だった男爵家に生まれた俺は公爵家嫡男のために生きよと命じられた。  急に言われて最初こそ反発はあったと思う。  だが、まだふにゃふにゃの赤子だったラディを見て、こんなにも愛らしい存在が弟になると歓喜した。  そして胸に誓った。  この子を俺の全力を賭して守り抜き、決して泣かせず笑顔でいさせて、未来の伴侶へと託せる男になろう──と。 □□□  解雇された家庭教師は言っていた。 『ジェドリグ様は脇役です』 『決して思い上がってはなりません』 『役割は分かっておられますね』 『お立場と身の程を弁えなければなりません』  彼女は何度も同じことを繰り返した。 『ジェドリグ様はラディル様の兄君になられていいご身分ではなかったのです』 『お兄様であってもあなたは目下の者』  こう答えると彼女は満足した。 『我が主、ラディル様にお仕えすること、陰よりお支えすることが私の一生の栄誉です。オメガであられるラディル様を害さず、過分な期待は一切持たず、公爵家ご子息様に忠誠を捧げます』  面倒な人だと感じていたが彼女の意見や道理に一定の理解はあった。  彼女がいないところでは兄と慕ってくれるラディルを可愛がれば問題なかったのだ。ラディは俺の弟で、従者になれば彼は悲しむ。だから一時の叱責には聞いたふりをすればよかった。  しかし彼女はアルファでありながらアルファ嫌いのオメガ至上主義。  俺が(いや)しい男爵家の生まれでありながらラディと兄弟同然でいるのが我慢ならず、遂にある日激昂して俺に手を上げた。  つい避けてしまったせいで彼女は余計に興奮し、俺をラットで従えようとした。  けれども(よわい)が50も離れているのに彼女のアルファとしての格は余りに低く、少年期である俺に全く効かない。ますます元家庭教師は怒り狂い、物を投げる始末だった。 『私をバカにして……! 生意気なアルファめ……!!』  騒動に気付いた者達が部屋に雪崩込み、俺は一目散に保護された。  面倒事を起こしたくなくて隠していたが、粘り強く質問されて口を割るしかなかった。  ご婦人の悪教育に執事イドゥーイタは唖然とし、俺に平身低頭で謝罪した。  あれからずっと居心地が悪い。  母上に抱きしめられて泣かれ、父上に何度も謝られ、ラディまで『兄さまを守ります!』と引っ付いてくる。  俺は家庭教師の発言は一理あると思っていたから周囲の反応に興醒めしていた。  鬱陶しいとすら思うほど温度差があった。  そして今、非常に憂鬱だ。  何故俺の誕生日パーティーなどが開かれるのだろう。  父上には何度も申し上げたのに敢行されてしまっている。  愛想を浮かべて(うやうや)しく挨拶をしてくる客人に1人1人礼を言いながら、早く終わってくれないかと満足げな父上の横で退屈だった。  やっと解放された俺は、社交の重要性と厄介さに辟易していた。  流石に疲れたし何か口にしたい。  給仕係をしているフットマンに尋ねた。 「ラディはどこだい?」 「お疲れのご様子でしたので椅子で休まれています。ご案内します」  連れ立って歩いていた時、ミカフォニス邸の広間が騒然とした。  アルファの威圧フェロモン、ラットが放たれたのだ。  屈辱やコンプレックスで禍々しい攻撃が、俺の可愛い弟に向けられている。  敵を排除すべく俺は走り出していた。 「我が弟への狼藉、貴様の命では(つぐな)いきれんぞ」  気付けば俺は太い腹の男を床に転がせ、いつの間にやら手にしていたデザートフォークを目に刺そうとしていた。  ぱくぱくと無様に動く口からする酒臭さが不愉快で、フォークで舌を押して呼吸を止めさせる。気道を足裏で圧迫するのも忘れない。  新しい家庭教師は俺に教えた。 『アルファたる者強くお成りなさい』 『お兄様は弟を守るものです』 『ジェドリグ様はまだ幼い、しかし時には大人にも勇敢に立ち向かわなければなりません』 『あなた様はミカフォニス家に選ばれたのです、お強くお成りなさい』  その教えは俺に適していた。  自分の声に迫力を出すため、低く、高圧的に、読み物の中の騎士のように敵である中年男に反撃した。 「アルファとしての自覚が足りんな。幼き者への暴力も許し難いと言うのに、貴様は私への劣等感からオメガであるラディを傷付けた。彼を誰だと心得る、公爵家嫡子だ。貴様の浅はかな振る舞いによってご息女の未来に影響があったらどう責任を取るおつもりか」  挨拶の時から、この男が親子ほど年の離れた俺に敵意を持っていたのは気付いていた。  黙って帰ればいいものを、此奴(こやつ)はラディで憂さ晴らしをした。隣にオメガである夫人とご息女がいるにも関わらずだ。  許し難かった、オメガの家族は人一倍周囲に気を遣わねばならない。恨みを買い抑制剤が手に入らなくなれば、守るべき存在を窮地に追いやってしまう、ただならぬ悲劇を招くと習っている。  知らぬ訳がなかろうに度し難い。息の根を止めなければ気が済まなかった。  けれど俺は蒼白になって許しを請うオメガの夫人の姿に、己の失態と恥を悟るのだ。 「ジェドリグ様……!! 主人のラディル坊っちゃまへの(あやま)ち深くお詫び申し上げます! ですから、どうか、どうか、娘だけは……!!」  オメガは大事にされて(しか)るべき存在、他家の者でもオメガは等しく守られるべきと考えている。  しかし俺は衝動のまま愚かなアルファを屈服させ、その伴侶と息女を泣かせてしまった。  俺こそコントロールを失ったラットで周囲を巻き込んでいる。  俺も公爵家の養子だ、ジェドリグ・ミカフォニスの不況を買ったらご息女は危機に(ひん)してしまう。 「夫人、お立ちください」 「お願いします……お願いします……!」  フォークを即座に捨てて床に額を擦り付ける婦人に膝を突く。  婦人は当事者であるから、幼い俺よりも見目麗しいオメガの令嬢の行く末が分かるのだ。  先程の発言通り、伯爵家が公爵家に盾付けばレディーの未来が危ぶまれる。  遅れて、下衆のアルファも重い事態にやっと気付いたようだった。 「マリアンナ……あぁ……!!」  怯えてしゃくり上げている娘を抱きしめる男。  オメガを泣かせた、俺は自分が信じられない。  ラディを愛してる、ラディを守りたい、いつか俺はラディにも手を上げてしまうのだろうか。  自分を信じられない、俺は狂気だ。俺は弱い。  夫人に立ち上がってもらうことは適わず、悔やんでも悔やみきれないまま父上に頭を下げに行った。 「父上、私をミカフォニスから追放してください」 「何を言い出す、ジェド」 「公爵家主催のパーティーで客人に許されざる振る舞いをしました。ご来客の皆様の不安を煽り、父上の顔に泥を塗り、あまつさえ、庇護すべきオメガを泣かせております。私はミカフォニスには相応しくない。レディーの大切なお父上に謝罪をしたいのです。公爵家養子の身分を剥奪してください!」  謝罪を軽々しく口にしてはならないとミカフォニス家の大人や使用人に言われている。  ならば俺はミカフォニスから離れ、泣かせてしまった夫人とご息女に頭を垂れたい。 「お前の考えはよく分かった、ジェドリグ。アルファとしてお前は良き判断をしているよ。向こうでラディに付いていてあげなさい」  頷き、壁際の椅子で震えていたラディの元へ行けば目に涙を溜めた弟が飛び付いて来た。  弟が可愛い、彼を安心させたい、俺は気が気ではなかった。  ジェドリグはオメガを傷付ける者、この所業は赦されてはならない。  父上の動向に神経を張り巡らせ、沙汰を待つ。 「オメガの子を持つ家族は慎重にならねばなりません。親の悪評は子の将来に付いて回る……(いささ)か飲み過ぎのようですな」 「平にご容赦ください……娘だけは!!」 「その前に、我が息子に謝罪を」  余計なことを、と父上を睨みそうになってしまった。  ラディに敵を近寄らせる配慮のなさが癇に障ったが、謝罪なくして事は済まされないのも承知している。  血の気が失せて酔いも覚めている男は、ラディに()(つくば)るようにして謝罪した。 「ラディル様、此度の非礼、深くお詫び申し上げます! 私の一生を費やしても(あがな)えるものではございませんが、罰は必ず私が受けます。ですから、何卒、何卒、娘と妻だけは……!!」 「──ラディ、許すも許さないもお前が判断しなさい」  ミカフォニス家の宝物、大事に大事に育てられたラディは、大人に向けられた悪意と掌返しに震えている。俺の背中に隠れて今日の日に(あつら)えた衣装を濡らしていた。  背後から聞こえる「兄さま……ごめんなさい」という声に遣りきれない思いを抱く。  俺は誕生日会なんてどうでもいいんだ、お前が無事なら構わないのに優しい子だね。  頭を撫で、伯爵へと足を踏み出す。 「どうか、奥方とご息女のために正しきアルファでいてください──あなたは愛する人のご家族なのですから」 「ああ……! ジェドリグ様……!!」 「ジェドリグ様、主人を赦してくださるというのですか……!?」 「ラディルの驚きに私も過剰に反応してしまいました。私こそ、当家の大切な御客人に無礼を致しました。……マリアンナ嬢、恐ろしい思いをさせてしまったことをどうか許してほしい」  俺と同い年であるアッシュブロンドのレディーは、夫人に優しく前に出されて、母親を見上げ、俯いた。 「お酒を飲んだお父様、いつも何だか怖かった……もう、きっと、優しいお父様でいてくれます。ありがとう、ございました」  貴様は愚にも付かない卑劣漢だな低俗なアルファよ。  酒に現を抜かして庇護すべきオメガを怖がらせるアルファを、より強い言葉で糾弾したかったが、冷静さを欠かぬよう場を丸く収める選択をした。  ミカフォニスを名乗るからには俺は清く正しく強くあらねばならん。 「レディー、あなたには笑顔が似合う。私も怖いだろうに微笑み掛けてくれてありがとう」 「ジェドリグさま──」 「兄さま……っ!」 「ラディ、どうした?」  伯爵息女との会話を(さえぎ)るように腕を引いたラディは必死だった。  弟とレディーを交互に見つめ、小さな弟と手を繋ぐ。 「ラディ、疲れてしまったのだね。兄様とお部屋に戻ろうか」 「あのっ、ジェドリグさま……」 「残りの時間をどうか楽しんで。──失礼」  パーティー会場の外までラディを歩かせたが、ふらつく足取りと上昇していく体温、浅く苦しげになっていく呼吸に彼を背負った。 「ラディ、お医者様に診てもらおう。すまないねラディ、兄様の落ち度だ。ラットがお前に影響を及ぼさないはずがないのに……!」  敵の沈静化と客人の対応で弟への対応が後手に回るとは何たる無能。  使用人に指示を飛ばしながら彼の部屋へと急ぐ。  今はまだ、ラディにはヒートが訪れたことがない。しかし生まれてすぐにオメガと判明するほど弟の第二性の特徴は強い。 「兄さま……追放ってなんですか?」 「さあ──なんだったかな」 「いなくなったりしませんよね……?」 「お前を置いて兄様が消えるとでも? 私はいつでもお前と共にいるよ」 「どこにも行かないで──僕だけの兄さま」  たった一言で判明する真実に直面して、俺は動揺を隠すように明るい声を上げた。 「私はお前の兄様だからね、どこへも行かないよ」  俺のラットに誘引されたのか、俺の庇護行為に安心したのか、ラディのオメガ性が兄を異性と認識した。  その口ぶりは恐ろしかった。  ラディも混乱で泣いている。 「怖い……、嫌ですこれ……なに……? やだ、怖いです……!」 「大丈夫だ、俺は絶対にお前を傷付けない」  我々は兄弟なのに弟の第二性は俺を優良な番候補と認めてしまった。  オメガは子を生み育てるパートナーを厳しく査定する。  アルファである俺が、ラディに眠っていたオメガの本能を呼び起してしまった。  ジェドリグ・ミカフォニスの悔恨。  それは、ラディル・ミカフォニスがいずれ巡り逢う運命の番よりも先に、彼の雄に選ばれてしまったことだった。

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