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俺には番は必要ない③

 彼が気になるのは、彼のオメガフェロモンが原因でないことは確かだった。  しかし、俺がオメガを尊ぶことに殊更執心している以上の理由があるかは分からない。 「待ちなさい、シャルル・ウェルクレーン」  移動教室中の彼と会えたのは、先週のヒートアクシデント以来初めてだ。  情報通の古馴染み曰く、彼のヒート回数は多く、不定期に数日間の欠席があるという。  留年にならないのはオメガの特例でもあり、彼が勤勉で優秀な成績を収めているからでもある。 「うん──顔色はいいな」  身を固くして立ち止まった彼に腰を屈めると、睨むように目線を交わらせてくる。 「私は弟君ではないのですから、不用意に顔を近付けないでください」  学院在籍中には出自に関わらず平等であるとは建前で、養子であるが公爵家の息子である俺には(かしこ)まる生徒が大半だ。  ウェルクレーンは伯爵家、それに下級生でもある。  生意気とも取られかねない強い拒絶を見せた彼は、怒りを露わに俺から顔を背けた。 「あなた様はオメガに媚を売るべきではないのです。そのアルファ性によってオメガの風紀を乱しているご自覚がないのですか? 無遠慮にも程があります!!」 「──悪かった」 「今後一切のご心配には及びません。失礼します」  思いの外消沈した謝罪を返してしまうと、彼は苦しみを隠すように走り去ってしまう。  集団の後方にいたサーフィが、俺を見て呆気に取られていたが、廊下を走る優等生を慌てて追い駆ける。 「シャルル! 師匠、えっと……シャルル! 待って!」  第二性とは何とも(わずら)わしいものだ。  人の心配をして何がいけない。  君を心配することの何が悪い。 ▽▽▽  可憐とも言える面立ちに反して言葉を荒げたシャルル・ウェルクレーンだが、彼が気の強さを掻き集めて必死に反論したのは分かっている。  去って行く姿の泣き出しそうな横顔は、俺にかつて少しの時間を2人で過ごしたオメガの後輩を思い出させた。  ここにいると思ったんだ。 「何で……」  俺は最近授業を抜けることが多いな。教科書から目が上滑りするより、君を見ていたかったんだよ。  校舎と校舎の狭間にある薄暗い小路にいる君は、後悔の念に襲われている。  俺がそんな顔をさせるのだな。  何とも言えず、嬉しくなるのは何故なのだろう。 「2年生の春の日だ、俺は道に迷った新入生を1人教室まで案内した。シャルル、君と初めて話したのも麗らかな陽気の午後だったね」  孤独に浸っていたいのだろうが、俺達は学生の身分であり、今本来なら授業を受けなければいけない訳だ。  上級生は不真面目な後輩を指導するのも役割の1つ。  まあ、俺も君と過ごす時間の方が有意義に感じられて仕方ないがね。 「わざわざ追って来たんですか?」 「我が義弟(ぎてい)は撒けたのに、何でお前がと不満そうだね」 「そこまで言ってませんよ……!」 「隣いいか?」 「──どうぞ」  外壁に凭れると背中が汚れるぞ、シャルル・ウェルクレーン。  俺より余程背が低く、2学年下であるラディとほぼ同じ背丈の少年と並ぶと、彼の痩身が余計に気になる。 「シャルル。君が飲んでいた抑制剤は我が国では取り扱いのない、個人輸入の強い薬物だ。心配するなとは(いささ)か難しい」 「不要です」 「無理だ」 「この身体はっ……、あなた様の弟君の真似をしているのです。周期を外れて何度もヒートになろうとする。あなたにだけは! (いたわ)ってほしくなどない……!」  君の身体に異常を起こさせてしまうほど、俺が好きか、シャルル。  たった1度会話しただけの上級生との過去をいじらしく抱え続けていた君は、資料室まで俺を追って来たのだろうね。  全く不快に思わないのが不思議なくらいだよ。  君には居眠り姿を見られても、起こしてくれればよかったのにと言いたい気分になってしまう。 「あなたなんて嫌いだ、僕を壊したあなたが憎い! ミカフォニス様にとって取るに足らない存在だと何度思い知ればいいんですか……!」  俺はオメガフェロモンに動じないアルファだ。  アルファ中のアルファと呼ばれながら、感知器官に欠陥がある。  すべては弟のための適応変化。俺の人生に今まで君はいなかった。 「何回あなたのオメガになりたいと──ッ! ……あ……違うんです、今のは……!」 「シャルル。俺は君の言葉を聞かなかったことにもできる、後輩の戯言(たわごと)と流すことも可能だ。だが──、叶うなら、君の本心を教えてくれ」  俺に〝運命〟がいるとするなら間違いなく我が弟ラディル・ミカフォニスだ。俺は彼のために生まれて来たと言っても過言ではない。  君は俺の運命の番ではないんだろう。アルファとして惹かれない。  けれど人として君を知りたいと望む。 「悲しかった……あなた様は動揺の1つしてくださらず、アルファとして清く正しくオメガの私を守ろうとしてくれた」  俺の行動は君のオメガとしての性、プライドを著しく傷付けた。  そして君は、肉体の情動と心の在り方が同じであるから、平然としていた俺に胸を痛めている。 「薄汚い僕は……! 誘われてくださらないことに傷付いた! オメガ性なんて穢らわしいだけです! ただ恋い慕うことさえ許してくれない……!」  君はオメガに生まれたことを恥じている。  俺を求めてしまうことに抗いたい。  恋とはそんなにも苦しいものなのか?  今君に触れたら壊してしまいそうだ。 「私などに揺らがない、美しいあなた様だから憧れております。ジェドリグ・ミカフォニス様、決して手の届かない黄金の太陽の君。私などの思慕であなた様を(おとし)めたくない。もう2度と話し掛けないでください」  信奉者は苦手なんだよ、同じ学び舎の生徒だ、対等であるべきと思わないかい。  君は俺から離れて行くのか、シャルル・ウェルクレーン。 「許し難いな」  その不快感は言葉では到底言い表せない。  息を呑んだシャルルは、蹈鞴(たたら)を踏んで怯えた目になる。  膜を張る菫色の瞳、涙を浮かべるオメガ、庇護すべき存在。  彼らには全員守られていてほしいというのに、何故俺は今、この少年に全身を熱くさせ、被捕食者の恐れに悦びを見出している。 「ミカフォニス様……?」 「……ッ、逃げろ、シャルル・ウェルクレーン……!」  これがアルファの本能的欲情。  逃げる者を追わないと気が済まない捕食者の性、獣の習性。  息が上がる、喉が渇く。自分が自分でなくなる感覚は恐ろしいものがある。 「何故……! どうして……!!」 「何故だろうな……俺は今まで、1度たりとも、情動に駆られたことはなかったぞ」  君がオメガであることを恨むなら、その分俺が──俺に、何ができる。 「シャルル……、俺が抑制剤を打つのと、唇を奪われるのと、どちらがいい」 「どこですか、抑制剤」 「君と同じ場所だな」  迷わず介抱しようとする君はバカなのか。  逃げたまえよ、愚か者め。  もたつく指でボタンを外し、信じられない目をして呼吸の浅いジェドリグ・ミカフォニスと息を混じり合わせるオメガ。  注射針のカバーを外した少年は、選ばれた優越と否定したい理性の相反した光を(たた)えている。その双眸は美しかった。 「狂おしいな──手を添えてくれ」 「申し訳ありません……」 「何故君が謝る」  薬剤が投与されればものの数分で興奮は引く。  そうだといいのだが、俺はこれまで衝動未経験のイレギュラーだ。  手繰り寄せる自制心で噛み付かないが、シャルルを閉じ込めてしまいたい欲求には抗えなかった。 「ミカフォニス様! お離しください……!!」 「君の理想と異なる、野蛮な男ですまんな。薬が効くまで、こうさせてくれ。大丈夫だ、項を噛んだりしない」  シャルルの首筋に鼻を埋めて匂いを嗅ぐと全身を巡る、渇望と安心。  君の匂いは度し難い。 「俺が、泣くほど嫌か、シャルル」 「残酷なアルファ様……私が涙する理由がお分かりになりませんか?」  鮮明で苛烈だった視界が霞がかっていき、名残惜しく距離を空けるとオメガの少年は打ちひしがれたように睫毛を伏せた。  頬を辿るものは清らかで、濡れた唇は自虐的に笑おうとして震えていた。 「俺に理性があると、君は苦しむのか」 「果てなく愛し求められたい。それがオメガの醜い欲望です」 「俺と君は、相性が悪そうだ」 「ええ……酷く釣り合わない」  違うんだよシャルル。俺は君自身に惹かれているのだろう。  しかし我々の落差は激しい。  俺のこの『傷付けてはならない』という感情に対して、君は『暴かれたい』のだろう。  第二性に翻弄されるのは途轍もなく不愉快だが、こうも思う。  たった1人のアルファに囚われる君が、可哀想で可愛くてならない。  狡猾に立ち回るのにも慣れていたはずのこの俺が、アルファの性を言い訳にオメガに覆い被さる。彼の滑らかな項の感触は俺を酷く満足させた。 「オメガは唾液も甘いのだね」 「知りません、そんなこと……。おやめください……! 僕に……キスなんて、しないで……っ!」  俺に囲われ逃げ場のない少年の憐れな願いを聞けもせず、目の端から絶え間なく零れる水滴に喜ぶ。  シャルル、アルファとは(けだもの)だったんだな。オメガよりもきっと酷いぞ。  弱者を甚振(いたぶ)ることに快感を覚えるのを、通常のアルファは自戒できるのだろうか。  許されざることだ、君の咥内は君の体温よりも熱い。  汚してしまった口元を拭い、髪を耳に掛けて目尻にくちづけると、薄らと開かれる柔らかな粘膜。  俺達はやっと、惹かれ合うように唇を重ねた。 「この感情を、君は何と呼ぶ」 「恋と呼びたいところですけれど、あなた様のそれは同情です。──お優しいアルファ様、どうか、お忘れください」  憐憫は確実に存在していた。  この少年は〝運命〟よあれと乞い、俺は叶えることができない。彼が運命であってほしいと焦ることもない。  地に転げ落ちた抑制剤の注射器を拾う。  自分がただのアルファだと自覚すれば、泣きじゃくるオメガを慰めることすら許されないのだと知った。

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