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俺には番は必要ない④

 3歳年が離れた我が愛しの弟は、無意識に俺と(わず)かに身体的距離を取るようになった。  不仲になった訳ではない。防衛本能のようなものが働いているのだと推測される。  兄弟でも庇護者でもアルファというだけで避けられてしまい、兄様は寂しいよ。  しかし家の中でばかり過ごしていたラディの世界が広がったと思えば非常に喜ばしい。彼の前途を祝す思いが遥かに強かった。  夜遅くに蜂蜜ちゃんが俺の居室を訪れるのは意外だった。  この兄とは違ってラディはオメガの本能も強いだろうに、薄い羽織物と寝衣だけを纏っている。  具合が悪いのかと心配になってしまうぞ、俺の可愛いレモンパイ。 「兄様」 「どうしたラディ、兄様にお話しかい?」 「えぇ、今、いいですか?」 「勿論だとも」  お前が変わろうとも婿を取ろうとも我が愛は不滅であり不変であったはずだ。  そうであって(しか)るべきジェドリグ・ミカフォニスを襲うのは、著しく嫌な予感だった。  警鐘が鳴るようだ。  父上の強引な睡眠薬服薬命令は母上とラディの前で断りを入れて解消したが、ざわめきがむざむざと広がっていく。  運命の番についての論説を読んでいた俺は、本を閉じ、弟を長椅子にエスコートする。  正面に着こうとして、(かす)かに迷い、隣に座った。  サーフィに気を遣って以前と違う位置を選ぼうとした訳ではない、俺はラディに違和感がある。 「やっぱり──、兄様、フェロモンが変わってきてます」 「というと?」 「僕を拒んでいる、と言うより──『違うな』って分けた感じです」 「私が? お前を拒む?」  何たることだ、俺のサンライトパール。  兄様はお前のためなら何でもするよ、そうだ、これまではそうだったのに処理を行う思考回路が改変されたかのようだ。  残念ながらサーフィへの罪悪感ではまるでない。  弟の言葉通り『違う』というのが適切なように、ラディへの認識方法が変わってしまったのだ。  俺は弟を〝そのように〟見ていたのか?  父上は俺の感情を分かっておられたのか?  他のアルファに取られて、初めて自覚したとでもいうのか?  一瞬混乱してバカバカしいと一蹴する。  俺はラディを心から愛している。愛しているからお前が愛する者と結ばれてほしい。送り出すことに痛みはない。  ならば何だという。  砂色の髪の少年が眼裏を(よぎ)る。足を組み替えた。 「この人だと思うオメガの方に出会ったのではありませんか?」 「兄様の最優先事項はお前だった、何故お前を(しりぞ)ける」 「僕がオメガで、兄様がアルファだから」  第二性によって我らの兄弟愛が(さえぎ)られるのは屈辱的だな。  しかし、この俺がアルファとして弟を守るとは言い難くなっているのも事実。  何故ならば、ラディには番となるアルファがいて、俺にも泣き顔しか思い出せないオメガがいる。 「ラディ、兄様はな、間違えてしまった。衝動を抑えきれなかったのだ。恥ずかしいよ、サーフィにはあれほど強く言っていたのにね」 「それを嬉しいと思うのがオメガなのですよ」 「いや……喜びを覚えてしまうから、彼は苦しいのだろう」  俺の情動に対して目を潤ませていた彼はオメガ性を憎んでいた。  シャルル・ウェルクレーンという少年に惹かれたのではなく、第二性に惹き付けられたと決め付けるジェドリグ・ミカフォニスに絶望していた。  彼が俺を慕い、求めているのは間違いがないが、彼は言葉で否定しながらオメガとしても求愛されたい。  その複雑な精神性は俺とラディの関係を〝あるもの〟として平静を保っていた点が大きいのだろう。現実が想定と異なり、彼の都合のいいように転がっていったために乱れてしまった。  並み居るアルファへの恋情ならば、素直に失恋で片付いたのか、受け入れたのだろう。  俺が周回遅れで第二性に目覚めたことによって彼は溺れる。  ラディ以外のオメガは全員平等だった男、その特別になりたくない少年は、恋心に締め付けられて深みに嵌まる。  助けたいと思った相手に手を伸ばすのすら拒まれるのは、斯様に辛いものなのか。 「昔父様から聞いた言葉を思い出します。アルファはオメガに許されたい生き物なのだそうですよ。兄様は僕に許す許されなくても兄様らしくいられるけれど、その方に認めてもらいたいのですね。僕に弱音を言ってしまうくらい」  ラディは泣き笑いを浮かべて一滴頬を濡らした。 「僕達、やっと兄弟になれました」 「何を言う。これまでも兄弟だっただろう」  弟の辛苦を察せぬ愚かな兄ですまなかった。  俺にも愛する者がいなければ、彼にのみ捧げる守護意識やプライドが在り続ければ、父上も兄弟で(まぐわ)わせることを諦められない。サーフィは認められず、歪んだ関係が続行された。 「泣いてごめんなさい。兄様、難しい顔をなさっています。もっと僕がお話を聞きますよ」 「私はこれから、何を正しいと思えばいいのだろうか?」  俺とお前がアルファでありオメガであるならば、兄様は弟を慈しむことすら許されないのか?  第二性は家族の繋がりすらも凌駕するのか?  弟を愛することと番を持ちたいと思う感情が両立しないなら、俺は番の存在を容認できない。あの少年を遠ざける他あるまい。  俺が俺であるには弟が必要だった。これからもこの子は大切だ。  きっとシャルルは俺がラディを〝愛している〟ことでも傷を負う。 「兄様、兄様なら絶対にどんな願いも叶えます。相手の方もきっと大丈夫。だってあなたはジェドリグ・ミカフォニス様なんですから。大好きですよ、兄様」 「ああ、俺も愛してるよラディ」 「あ……、サフィー様にはこのことはどうか言わないで。お気になさってしまうから……僕はいつも悲しませてしまう」  ラディが入学してから俺とサーフィの特訓は終了した。  彼の愛する年下の番の前で大人げなく()したりできるものか。俺にもそのくらいの分別はあるさ。  弟の恋人には強く(たくま)しい最上級のアルファになってほしかったが、サーフィ=ナフル・アーシュレーは俺より頭脳が劣っていても腕っ節が弱くてもフェロモンに鈍くても、ラディを大事にしてくれる。  兄としてこれほど嬉しいことはない。 「ラディ、兄様とのみ共有するものは極力ない方がいい。(かえ)って彼を不安に(おちい)らせる。傷付けてもいい、お前が癒やせばいいのだからな」 「前と、込められている感情が違うように思います」 「兄様も悩める男だったという訳さ」  俺は弟と同じ馬車で帰り、彼は必ず見送りに来る。  彼のアルファ性は高まり続け、(すなわ)ち、番の横を独占する男への焦りで埋め尽くされていく。  サーフィも理性では分かっている。しかし第二性と、俺達が共にあった15年間が恐れを抱かせてしまうのだ。  弟の小さな手が俺の手首を握って、離れた。 「兄様! 僕ちょっと寂しいですけど、それ以上に嬉しいです」 「兄様もだよ。サーフィと仲よくなさい」 「はい! 兄様も、番様とお幸せになってくださいね」 「ありがとうラディ。お前も大人になったね。でももういい子は寝る時間だ、部屋に戻りなさい」  (ようや)く我々は、背中を向け合っても安心できるのだな。 ▽▽▽  俺は即断即決だ、悩む時間を極力排して行動に移したい。  そんな俺だからアルファらしいと呼ばれるのだ、アルファは基本我儘だからな。  週末を挟んだことによって欠席せずに彼が登校できたと聞き、俺の辞書に停止の文字はなかった。  幾度か足を運んだ3年生の教室。  休み時間は開放される扉をノックすると、最前列最端の席にいた生徒がパッと顔を明るくした。 「ジェドリグ様! アーシュレーですね、(しば)しお待ちを」 「シャルル・ウェルクレーンは──いるようだ。失礼するよ」  教室を横切って彼の前に堂々と立ちはだかる。やはりシャルルは睫毛が長い。 「驚いたか?」 「……()(まと)わないでください」 「俺に近寄られるのは不快か」 「えぇ……」  憎まれ口を叩きながら、吐いてしまった言葉を悔やむ不器用な少年。  瞳が潤んでいる。俺がたった1人の尻を追い駆けているのが嬉しいか。まあそうだろうな、素直な子は好きだぞ。  立ち姿勢からの見下ろす角度では、俯かれると旋毛しか見えない。頭蓋が小さく瞳が大きな少年の、その菫色が潤んでいないか確かめたい。 「オメガの我が弟曰く、俺は誰の許可がなくともジェドリグ・ミカフォニスでいられるそうだ。傲慢な男なのでね、その通りだろう」  机に手を突くと肩を跳ねさせ、顎を上げると唇が僅かに開かれた。  俺が『見ろ』と願えば君は見つめる他あるまい。  全く気の毒だが、眉間に力を入れて歓喜や困惑や恐れを撥ね除けたい気丈さが俺は気に入っている。 「そんな俺にも例外がある。シャルル・ウェルクレーン、俺は君に許しを乞いたい」 「許し……? 何を許せと?」 「君に恋をすることだ」  大丈夫か、目が零れ落ちてしまうぞ。  わなわなと震えているのが()いな、君は。憐れな少年の頬が期待で燃えている。 「俺は初恋らしきものを覚えたばかりの身。1つ大きな不安がある」 「何でしょう──?」 「君の涙を見ていたいのだ。この感覚は果たして正しいのかな? 正常なアルファなら笑った顔を見たいのではないだろうか。それとも恋とはこういうものか?」 「まだ、あなたに、笑い掛けたことがなかったかも……」  俺が見ているシャルルの表情は総じて反抗気味だったり落ち込んでいた。  無邪気に年相応に笑顔を浮かべているところは目の当たりにしたことがない。  さて、俺は君の笑顔を見たいのだろうか。  まばたきが多くなる少年を探るように見つめる。自分に失望しそうだよ、そういった願望が湧いてこない。 「困ったな、君は泣かせたい。君の涙が欲しい」 「まだ……充分ではないのですか?」 「足りないな。君の泣き顔だけは異様に可愛く映る。この俺がだぞ。オメガを守り尊ぶためにアルファたるアルファを目指していたはずなんだが──どうしてくれる」  外野は固唾を呑んで見守っていた。  俺はこれからシャルルの言質を取るから証人になってもらおう、気のいい彼のクラスメイト達よ。  シャルルが俺に惚れているのは周知の事実なのだろう、心配より野次馬根性より祝福が色濃い。  流石に3年生にもなれば俺とラディの仲を勘繰る者は学院にはいないさ、留学生である未来の義弟以外はね。  視線は送らず気配を辿る。師匠と友人のラブシーンに喜んでいるようで何よりだ。 「君はこれを恋愛感情ではないと否定したな。アルファだからオメガの君に惹かれている部分も当然あるだろうが……どうか拒んでくれるなよ。君の思慕が俺を動かしている」 「私の……? 何故!?」 「分からないふりか?」 「いえ──だって……」 「サーフィ」 「はい!?」  頬を撫でて束の間距離を取ると泣きそうに顔を歪めている。  (たま)らないな、君は、よくないぞ。  この際俺の下心はあからさまな方が都合がいい。  急に会話に引き摺り込まれた可哀想な義弟(おとうと)を利用して、シャルルを俺のペースに巻き込んでいこう。 「君はラディのどんな表情を好ましく感じる?」 「…………照れてる顔、とか、うっとりしてる顔とか、ですかね。あんたも知らないやつ!!」 「総じて可愛らしく浮かれてしまう様子か」 「こっ……恋をしてる顔は可愛いんですよ!! 自分だけ見てくれたら最高です! 好きになると思いますよやっぱり!! なあシャルル!? お前ジェドリグ様のことあんなに格好いいって言ってたもんな! よかったじゃん──!!」  おいおい、背後から撃ってはいけないよ、応援のつもりだろうがシャルルの顔が真っ赤になってしまう。  サーフィの迂闊さが今度こそいい結果を招くだろう。  流石我が義弟。素晴らしい助力だよ。 「──シャルル」 「はい!!」 「俺は君に惹かれ、斯くあるべきという規範から逸脱してしまった。好きな子をいじめたい時期というのが男には往々にしてあるそうでね。俺は今その状態だ」 「ひ……っ、あ、あの!」 「すまないね、君に優しくできるまで少しの間待っていてくれ」  逃げられると思わない方がいいぞ、シャルル・ウェルクレーン。  君が羞恥に(まく)し立てられて慌てふためく度に目の前の男は図に乗るんだ。  教室の外で教師が入るに入れず待機しているが、これまで俺は学院一優秀な成績を収め続けていたんだ、多少のやんちゃは許されて然るべきだろう。  今日の日のために俺の優等生生活があったのだと思うと面白いものだな。 「好意を受けて君を意識をし、眼差しを向けられる歓びを知った。シャルル、恋をするなら君とがいい。俺に君の愛し方を教えてほしい」 「同情ではないのですか……?」 「同情から始まってもいいと思わないか? ……駄目だろうか」 「駄目って……訳では……」  君はそこに拘泥(こうでい)するのだな。俺がアルファの熱から冷めて離れて行くのが怖いのだろう。からかわれていると思っているのかもしれん。  恐るるに足らないよシャルル。掌中(しょうちゅう)(たま)として可愛がってあげよう。  林檎の如き頬を包み込むと喉が小さく上下した。  すると魔が差すように俺の余裕の色調が鮮烈になる。  不思議な心地がした。これは支配願望の達成感に近そうだ。  滑らかな感触の肌に触れていると危うさまで覚える。早くこの子を泣かせたい。 「俺は君に恋い慕われてただの男に成り下がってしまった。君も俺を存分に憐れみ、可哀想に思ってくれたまえ」 「そんな……っ、できません!」 「するといい。さすれば君の恋は報われる。シャルル、俺は君からの愛を得たい。与えてくれ。君はジェドリグ・ミカフォニスに求められたら拒めないだろう? 俺は惜しみなく愛を(ささや)き、嫌というほど情を注いでいきたい。俺の初恋も認めてほしいのだ」  最後にどう仕留めようかと公衆の面前で告白しようとすれば、1歩手前でシャルルは限界を超えた。 「シャルル? おい、シャルル?」  かくりと俺の方へ倒れ込む身体を支える。  目を閉じている少年は項まで赤くなっていた。 「気絶してしまったか。可愛いものだな」 「あんたはホンットにもう……ッ!! 厄災かよ!!」  サーフィの耐えきれないとばかりの叫びが教室中に響き渡る。  腕の中の少年は淑やかに微笑んだようだった。

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