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俺には番は必要ない⑤
王都ログロンの外れにあるウェルクレーンの屋敷は、毎日の通学には距離がある場所のようだ。
しかも、途中道が悪くて大きく揺れる。
これでは気を失って安らかに眠る少年に付き添いがいるのも必至だ。
家の使用人が同乗しないのは明らかなる配慮だった。
特例中の特例でオメガ用の医療室に立ち入ることが許された俺は、放課後ベッドで眠るシャルルを迎えに行き、抱き上げ、こうして膝に横たえている。
ミカフォニス家には伝達がいっているが、いやはや、大騒ぎにならないといいのだがな。
「……ミカフォニス、様?」
「やあ、おはよう」
とろんとしている菫色に溶けたような男が映り込んでいる。
愉快だな、俺も相当茹だっている。
シャルルは夢見心地でじゃれるような仕草をしたが、この肉体が幻想ではないと把握したらしい。大慌てで下りようとしたが、生憎と君に振り切られるような柔な鍛え方はしていない。
「ここは君の家の馬車の中、俺は思い人を帰路に着かせる手伝いをしている。話の途中で気絶してしまったんだが、覚えているかい?」
「…………覚えております」
忘れられたとて刻み込めばいい話だが、余計な手間が省けて大変結構。
君のか細い声が聞けるのも気分がいい。
「ご冗談ではなく……本気なのですか?」
「もし冗談だと言ったら、俺は未来の義弟 に心底軽蔑され、我が愛する弟からの信頼が地に落ちる。俺は一生立ち直れない」
大層真面目に言い切ると、シャルルはふっと頬を緩めた。
彼は本当によく俺を見ていたらしい。
「これ以上になく説得力のあるお言葉です。でも……」
「でも? 言っていいんだよ」
「分かっているはずなのに、あなた様から弟君のお話を聞くと胸が切ない」
片想いを拗らせた愚かなオメガ、大方君の自認はこの辺りだろう。
俺の中に君が入り込んできたのはつい最近のこと、それまで影も形も存在しなかった。可哀想だとは思わない。俺は為すべきことをしていたまで、ラディ以外の特定のオメガを視界に入れる必要が発生しても厄介だった。
俺は弟のことで展望が見えた後で恋を知れたことに感謝しているが、君は真逆に、悪い方に捉えているだろうことも分かっているつもりだ。
「シャルル、大事な話を先にしよう。俺達は運命というものではない。俺は君を好いているが、特別なオメガが誰かと問われたらそれは君ではない」
「……分かっております」
「私とラディはね、アルファとオメガとして非常に相性がよかった。出会い方や育ち方が違っていれば番になっていたのは間違いない。だがね、我々は兄弟であり、我が愛は第二性を超越している」
後生大事に固執していたいだろう『ミカフォニス兄弟の絆』を砕いてやろう。俺に落ちて来い。落ちたくなくても追い詰めてやる。
君はオメガ保護官に言ったそうじゃないか、自分は既に気持ちの上では純潔ではないのだと──可哀想にね、君は、俺以外の者と番になるのが困難だ。
同意なしにオメガの貞操を略取することは許されざる罪だ。
君ほど番ではない、ろくに接点もないアルファに焦がれてしまう子は珍しいそうだよ。
憐れだが、一方で俺は大いなる充足感を味わっている。
「恋愛、友愛、家族愛、いずれも優劣はないはずだ。天秤に掛けること自体愚かだと俺は思う。人は多くの愛情を同時に持っていていいだろう」
「その通りです。でもオメガは違う。例えあなた様が愛してくださったとしても! 私は誰かに劣る愛情では満足できません……! 僕は……、僕のアルファに、1番に愛されたい」
「俺にはなれないと言うのだね?」
「なれないでしょう!? だって! だってあなた様にはラディル様しかいないのだから!!」
瘡蓋 を剥がして傷口をほじくり返してすまないが、剥き出しの君の気持ちが嬉しいよ。
これは第二性の問題ではなく俺の人間性が悪いのだな。
本気で話し合うからには建前は不要だ。君が俺のせいで壊れたと言うならもっと壊して差し上げよう。
「まるで俺がラディに惚れているような言い草だ。君の目は節穴かな、シャルル・ウェルクレーン。君は俺とサーフィの何を見ていた。まさか俺が彼を無用に痛め付けていたとでも言うのか? このジェドリグ・ミカフォニスが家からの除籍を望む理由はただ1つ。弟夫夫 を愛しているからだ。そして君のことも愛している」
「取って付けたように言われる。僕を1番にできないなら求めないでください!!」
「1番になりたいか? 唯一が欲しいのだね?」
「欲しいですよ……! だってこんなの不公平じゃありませんか! 僕だけがあなたのことを好きでいる……!!」
人を気遣い周囲をよく見ている君の理性は、本来そのような身勝手な言葉を制してる。
だが肌が触れ合い、匂いを嗅げる、愛する男の腕の中にいる君の身体は熱が宿っている。馬車の揺れで図らずも顔が近付いても、君は大人しく、恍惚を隠せず居座っていた。
そうも感情と肉体の向きが違うと辛いだろう。解決してやるからな。抗議は受理しない。俺に目を付けられたことを来世で悔やむといい。
「そこまで言うなら、俺の愛を証明しようか」
「どうやって? 私が納得できるものをご提示いただけるんですか?」
「無論だ。屋敷に着いたらベッドに入れてくれ。共寝をしよう」
「なんてことを……!」
「なに、指1本触れはしないさ。狂おしいほど焦がれて飢えた獣のように成り果て発情期 になろうと、人であるジェドリグ・ミカフォニスが純粋な感情を胸に抱き続けていたいじらしい少年に惹かれたことを、君にじっくりと分からせてあげたい」
できるか否かなら俺はできるよ。たった1晩耐えきれずして何がアルファだ。
俺への恋情と性欲と崇拝が君を縛り付けて動けないなら、俺が鎖をすべて引き千切って過去を喰らい尽くしてやろう。
残るのは今の現実恋をする君だけだ。今し方の思いつきにしては名案だな。
「そんなの……狂ってしまう! 目の前にあなたがいるのに触れてももらえず、淫 らになれと仰るのですか!! 恥を晒せと!!」
「恥を掻くのはお互い様だ。血走った目をして君に狙いを定め、手を拱 いて生唾を何度も呑み込む俺は見物だろうよ。なあ、シャルル、君は俺を太陽だの汚したくないなどと大層買ってくれているが、そんなにお綺麗な男じゃない。君と性行為がしたいと話してるのは伝わっているね?」
ぶわりと香り立つフェロモンは、凄まじくいい匂いがするが、俺は俺である証明の第2幕として『お優しいアルファ様』を貫こう。
「君は幾らでもオメガらしく振る舞ってくれて構わない。俺もアルファ中のアルファたる精神性で君に誠意を示す。愛しているから手を出さないのは得意なのでね」
「他のオメガと比べないで……!! あなたは……っ、あなたの……、弟君への愛に──色欲はないのでしょう……?」
慟哭するシャルルの顔を上げさせ、至近距離で見つめ合わせた。
第二性に囚われている君は随分とねじれている。
守ってやりたい、救ってやりたい、大事にしてやりたいと、上から目線は疎 ましいだろうが慣れなさい。
俺は年下は甘やかす主義だ。
チェック──、そろそろ完全に仕留めてあげようね。
「君は君の欲情や恋情に正当性を持たせるためにオメガ性を使っているが、それが自身への自己嫌悪も生んでいる。まずは認めなさい。許されざる恋をしてしまったことも、オメガを不幸で不純で悍 ましい生き物だと思っていることも、オメガを慈しみたがるミカフォニス様には相応しくないと苦しんでいることも、オメガだからこそ望みを捨てきれなかったことも、全部認めるんだ」
「いやだ……」
「ならば、シャルルがオメガに生まれてくれた感謝を伝えるから、よく聞くんだよ。これまでの君の痛みはすべて俺を振り向かせるために存在した。俺に恋を教えてくれた。幸福を届けてくれた。まんまと君に引っ掛かってしまったが──、悔しいか?」
「──いいえ」
「君にヒートが来るのは俺に愛される準備だよ。君のフェロモンの匂い、梨の香りがするんだ。俺の好物になるために育ってくれたんだね」
首筋に鼻を埋めると仔猫のように鳴く。
悪戯心に指を食ませるとぎゅっと目を瞑 って、小さな音を立てて吸った。
喘ぐように離れて顔を背けた彼の瞳はしとどに濡れている。
「やはり君の泣き顔はいいね、いい子だ、シャル──君のヒートの回数が多いのは俺の子を産むためなのだから悪く思ってはいけないよ。ヒートを重ねたオメガほど妊娠率が高い。ああ、勿論、子育ては学院を卒業してからだが、子供は何人欲しいかな?」
「もう……何も言わないで……」
「君に提示される選択肢は2つのみ。隠せもしない恋心のせいで俺に散々甚振 られるか、伴侶としてこの上なく愛されるかのどちらかだ。答えを決めきれないなら──、まだ俺に神様であってほしいなら、ベッドに行こうな。俺の愛を堪能させてあげよう。弥 が上 にも君は焦がれて狂ってしまうだろう。早く俺に恋の許可を下しなさい。でなければ死ぬほど幸せで辛い目に遭うぞ」
額を合わせれば君は愛されたくて堪らなくなる。
車輪が跳ねると同時にキスができるのは、君にとって都合がいいね。
俺は言葉も行動も惜しまんぞ、あらん限りの術を駆使して必ず君を落とす。
「許さなくてもあなたは──僕を求めずにはいられない。絶対に僕を手に入れる」
「如何にも」
「あなたって……恐ろしい人だ。ベッドで2人きりになったって絶対触れてくれないって分かります。それなら認めた方がいい。そんな酷い目に遭わせないで……僕が好きなら泣かせないで──」
シャルル、君はよくぞそこまで言葉を的確に間違えられるものだな。
それが君の甘え方か? それともオメガの本能、或いは策略。
どれでもいい、君がやっと許してくれたのだからな。
腕を回して唇をせがむ少年は全身で喜びを訴えている。
「キスが好きか?」
「あなたが好き──ミカフォニス様、ずっと好きでおりました」
その艶めきながらも清廉な微笑みを見たら、誰しもが恋の矢を刺されてしまう。
君に惹かれる者共を全員倒してこそシャルルのアルファだね、腕が鳴るよ。
「あ……っ、どうして、項」
「何故だろうね?」
「もどかしいから嫌です……!」
髪を掻き上げて薄い皮膚にくちづけを落とすと、シャルルは首を振って嫌々とする。
番になった際の噛み痕は一生ものだからな、角度に気を付けなければならないだろう。
なだらかな肌に安心し、傷を付けたくない思いが上回るのはアルファとしてどうかと思うがな。
それにしてもこの子は随分いじめやすい。
「俺の不満を当ててみなさい」
「不満? あっ──えっと、何でしょう──? 分からない……!」
「俺達は恋人ではないのかな?」
狭量だと笑ってくれるなよ、俺は君に関しては実に大した感性の持ち主だからな。
痕が付かないように首筋や耳裏も触れていく。小ぶりの耳殻へと流し込むのは願望だ。
「将来君の家に婿入りもする。早い内に慣れなさい」
「あ……っ、い、言えません……! ミカフォニスさま……っ」
「頑張ってくれよ? 俺は非常に期待している」
残りの道のり大凡 3分の間に、俺はシャルルから無事『ジェドリグ様』を引き出した。
その代わり、同席させてもらった夕餉では、1度たりとも目を合わせてはもらえなかった。
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