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君を心から愛している②
恋人に対して肉体的欲求はあれど、アルファとしての情動がない。異常なことでありながら、ジェドリグ・ミカフォニスとしては酷く正しい。
このままではシャルルとの埋まらない溝によって彼を喪ってしまう。
オメガ性を憎み、オメガとして愛されたいと強く望む恋人をこの腕に抱きたいのに、その砂色の髪を分けて項を噛むことをどうしても望めない。
己の生態が腹立たしく、待っていてくれるシャルルへの愛おしさを募らせていく。
「物憂げな溜息だ。恋人ちゃんのことかい?」
「今日は体調が悪いらしく、欠席していてね……心配だ」
そよ風が入り込む窓際の席、振り返ったエドワード・ラドヴィントは悲しげな目をした。オメガの事情に精通している彼は、今のシャルルの状態が悪化の一途を辿ること、俺の生育歴の理解から、ただ静かに頷くだけだった。
シャルルは発情期 の間隔が短い。昨日会った時には兆候は見受けられなかったが、俺を見上げるヴァイオレットの輝きは常に潤んでいる。
彼の中で恋をすることと性欲の境は無きに等しい。つまりオメガ性が俺の知る誰よりも強く、それを恥じて隠したい理性も大きかった。
アンバランスな心を宿した線の細い体躯からは、教えたことのない俺の好物の梨の香りがする。シャルルの肉体は俺に愛されるためにああも瑞々しく火照っている。
どうして俺はシャルルに本能的な欲情ができないのだろう。再び発情期 が訪れる日は来るのだろうか。
「人に話して思考が整理されることもある。心置きなく告げるといい。──それにしても君は思い詰めると顔までお父君にそっくりだね」
「やめてくれ」
強く遮断したら幼馴染みは満足気にする。反発明らかな人とのことで元気を出させようとするなど余りに幼稚だ。
俺は養父に非常に似ているらしい。母上にも昔から微笑ましく思われている。頑固なところも、古臭く厳しい言葉遣いも、オメガへの執着も、そっくりだと申される。
父上は俺と同じように親族のオメガの守護を務めた過去があり、彼への恋を実らせられず、ベータの妻を娶 った。義両親の仲は良好だが、母上がお寂しさを拭えないのはミカフォニスに住まいを移してすぐに分かった。
夜会で初恋のオメガと会った後の父上は酷いもので、表面上取り繕えているからこそ、そのフェロモンは悪辣悪臭だ。ああはなるまいと思っている人との類似性が年々疎 ましくなる。
これ以上友人に玩具にされては敵わん。
俺は致し方なく内情を吐露した。
「エドワード。お前は私をアルファらしいアルファと言うが、愛しいオメガの番になりたがらない者は欠陥品ではないのか?」
「本当に珍しい。酷く落ち込んでいる。可哀想に」
「エド」
「失礼。君の頭脳や身体能力、精神力、カリスマ性は、誰もが認めるアルファ・オブ・アルファだ。しかし情緒面では恐ろしくアルファではない生き物になってしまうね。人間味は充分なのだが」
「シャルルに触れたいのに、何かが俺を阻 んでいる気がしてならない。こうも狂おしく想っているのに、恋とは難しい……愛しているから守れない。遣る瀬ないよ」
逢いたくて、抱きしめたいのに届かない。
彼の微笑み、彼の涙、彼の恥じらいが幾らでも浮かぶのに、最後にはシャルル・ウェルクレーンの儚い横顔と後ろ姿が遠のいていく。
「あぁ、恐ろしい。美の彫刻から悩ましげな息吹がすると人は畏怖と劣情を覚えさせられてしまうね」
「気色悪いことを言うな、昏倒したいのか?」
「私は安堵してるよ? でもその熱烈な瞳で見つめられたら恋人ちゃんは身の危険を感じることだろう。今の君は凶悪だよ、ジェドー」
「面白がらないでくれ」
「ジェドリグ様……。あの……エドワード様の仰ってること、間違ってないというか……。もう少し、抑えて頂けませんか……?」
会話に入った隣席のクラスメイトは、顔を隠すように俯いてしまっている。
その居 た堪 れなさそうな物言いに困惑した。
「おやグレン、顔が真っ赤だ」
「ベータの私ですら不可抗力を感じてしまうのですから、恋人さんは大変でしょう……。私達はこれまで贋作 の太陽で満足していたのかと、まるで胸が掻 き毟 られる思いです。危ない方だなあ……」
常に笑みを絶やさないグレン・リスナーは、笑うことによって気を紛らわしている。
汗を掻いている級友にどう反応していいやら迷ってしまう。
どうした、俺は単に相談事を口にしていただけだろう。
「私に、恋をするなと言っているのかな?」
「──そうではなくて」
「フェロモンを流出させず、そうも人を惑わすなと言いたいのです。功罪 多きアルファ様」
冷酷な響きと共に更に介入して来たのは、以前より俺から距離を広く取っているクラスメイトのオメガだった。
滅多なことでは近寄らず、会話が成立したのは、弟達について忠言をしてくれた時以来。
「クラーク、君が珍しい」
「今のミカフォニス様は危険です。番がいる者でも靡 いてしまいます」
「冗談でも言わない方がいい、君のアルファが悲しむ」
2学年下の少年と番になっている彼は生真面目で、俺の返答に更に眉間をきつく寄せた。
「私のアルファが、傾倒しかねないのです」
「──すまなかったね」
アリステア・クラークはオメガと言えばと挙げられる華奢さはないが、嫉妬深さは随一だった。謝罪すべきか判断が難しいが言わざるを得まい。
不機嫌に睨んでくれるな、君の番を取ったりするはずがないだろう。
親切なグレンが欠席明けのクラークに近くの椅子を持って来る。怒りが緩和された級友、番うまでに様々な苦労を重ねたオメガは、俺を真正面に見据えて言い切った。
「ご忠告申し上げます。恋人さんと早く番ってください」
「アリー、そういうことは言わない方が……」
「賢明な君が口出しするんだ、重大な話なのだろう? 何が起きている?」
「シャルルさんは今、裏でオメガ達から太陽の君の暇潰しと言われています」
「──暇潰しだと?」
短く息を乱したクラークに怒気を抑えられなかったことを恥じ、「すまない、続けてくれ」と促した。
フェロモンを出さなかったからといって、クラスメイトにしていい威圧ではなかった。
人の機微によく気付くグレンに背中を叩かれ、気負ったクラークも頷いている。
「原因はあなた様に憧れるオメガからの嫉妬と恨みです。ミカフォニス家の絆を信じ裏切られた怒りが、ご兄弟を引き裂いたパートナーに向かっています」
「我が恋人と未来の義弟 が謂れなき中傷を受けているのだね? 私が近しいオメガのどちらとも番わないせいで──」
「私の優秀な友人、知っているだろう? 口さがない者はどこにでもいるよ」
庇護したいオメガとて、人間性に問題がある者はいるからな。
俺に一夜の温情を求める愚行が思い出されて不快感が強くなり、一度長く息を吐き出した。グレンとクラークは明らかな脅えの目をしていたが、エドワードが「ジェドー、怖い顔をしないでくれ」と俺を諌 めたことによって安堵を浮かべた。
よくないな、俺はやはり本質的に攻撃性が高い。
自省に固く目を閉じると、穏やかな吐息の笑いが耳に届く。俺の知る限り、クラークがこちらに向けて笑ったのは初めてである。
「ミカフォニス様はお優しい方です。理知的で聡明でいらっしゃいます。けれど、その思慮深さはオメガにいい作用を齎 しません。ご存知ですね?」
「ああ……。なあ、クラーク、君も番う前は随分と悩んでいた様子だったね。アドバイスが欲しい、ラットにならずとも番うべきなのかは私も考えているところだ。しかし歪 な契約にならないかを危惧している」
「そんなものありません。番えばいいだけの話です」
番契約によって生じる不利益はオメガばかりが受ける。
俺の本能的欲求が伴わないまま項を噛むことで、余計にシャルルを危険な目に遭わせないかを尋ねたら、即座に否定された。
「番えば必ずシャルルさんの体調は安定します。経験者が語るのですから間違いありません」
実に簡潔に述べてから、クラークはやや迷うようにして再度口を開いた。
「ミカフォニス様、あなた様はご自分のアルファ性に強い否定や拒絶、恐怖心を持っていませんか? 過去、大きな失敗をなさっているのでは? その嫌悪をオメガへの慈愛に歪めて、自己否定を免 れていらっしゃる。コンプレックスを表面上整えることによって、ご自身を守っておられるのではないでしょうか?」
予期せぬ痛烈な評価に、俺はただ数度ばかりまばたきをしていた。
やがて天が開けたような爽快感を味わい、万雷の拍手を勇敢なる友人に送りたくなった。
こうも鋭く指摘されれば、巧妙に隠されていた幼き日からの因縁染みた自戒の鎖を掴むこともできよう。
「違っていたら申し訳ありません。私の番は臆病な子で、少し似ている様子で、もしやと思い……」
「素晴らしいよクラーク、君は俺に天啓を授けた! あぁ──、俺は恐れていたのだな。やっと分かった──。討つべきは俺自身だったのだ。なんと情けない、見誤っていたぞ」
俺の可愛いオメガを食い尽くしかねない凶暴性、俺の本質から、後天的に身に付けた自制心がシャルルを後ろに庇 っていたのだ。
気付いてしまった、知覚してしまった。俺はアルファだ、獰猛で獲物を必ず仕留めるアルファなのだ。
俺を恋い慕う少年。恐れ逃げ惑う蜜飴の瞳、涙を流してこちらに全てを差し出したがるか弱き肉体、火照った肌、愛くるしい度し難い香り。
極上の餌 を食い破りたい。
お前が俺を好きなばかりに、こうも食い尽くしたくなるのだ。
唖然としている級友達に微笑み掛ける。
俺はこんなにも胸が空く思いだが、クラスメイトを恐怖に陥 れるのは言語道断。
「すまないね、取り乱した。やっと自分を見つけられて浮かれてしまったよ」
「大丈夫、ですか、ジェドリグ様──?」
「心配無用だ、自分が何故逃げ回っていたのか漸 く理解できたのだからね。私は自分を信用してないんだ。箍 が外れると我を忘れる性質であるのに、事実から目を背けていた。私は過去ラット時に人を殺めようとした。シャルルをこの手で壊しかねないと恐怖していたのだな」
「ジェドー……、君が8歳の時の話だ、10年も前のことだよ」
「だがあの日我が身に刻まれた衝動こそ、今のジェドリグ・ミカフォニスを築いたのだ。俺は弱い、アルファに生まれた己を拒絶している」
「でも……っ! そうも苦しまれながらも上り詰めたのですから、不屈というか、やっぱり並大抵の人ではないんですよ!」
気遣い屋のグレンの言葉に不思議な思いで尋ね返した。
「苦しんでいる? 私が?」
「あっ──お強過ぎると、そうなるんですかね……?」
「お辛い経験を糧にご自身を高みに押し上げて、更にはオメガを守らんと邁進 なさっている。ミカフォニス様はご立派な方です」
「しかし一言言い添えるなら、ジェドーが思い込むほどオメガは弱くはなく、思い上がりも甚 だしい──だろう、アリス?」
「そうですね」
「ジェドーが彼に避けられていたのは、お優しいばかりに侮 っていたからだよ」
「ご反省頂けるなら辛辣になった甲斐がございます。オメガは弱くはありません」
複数のオメガと疑似恋愛──叶わぬ恋や将来の不安を嘆く者達を慰めるエドワードとは、クラークはそれなりに会話をしていた。
上の立場から物を言う俺は、不遜で愚かに映っていたのだ。
ありがたい教えだ、ラディもシャルルも心はああも凛としてしなやかであるのに、俺は長らく見落としていた。
「クラーク、君ならば教えてくれるだろうか。答えられるならば言ってくれ。君は番に項を噛まれた時、どんな感情を抱いた?」
「アリス、拒む権利が君にはある。閨 のことは人に話すものではない」
不躾極まりない問い掛けを牽制するエドワード、どうしようかと状況を見ているグレンに反して、クラークは頬を緩めた。
遠巻きに様子を窺っていたクラスメイトが席を立って行く。我がクラスは優秀な者しかいない。
先達は若輩の俺に朗 らかに告げた。
「オメガに生まれてよかったと思いました。こんなに幸せなことがあっていいのかと、更に愛おしいと感じました。本当に……、愛しいとしか──」
「恐れていた君の恋人は、どう感じていたのだろう?」
「秘めさせてください、私の大切な思い出です。それに、あなた様はご自身の番と知るべきです」
クラークは番とのみ揃いのシャツにはしていない。我々と同じく青色のネクタイを締めているが、三角の襟から少しばかり同色の生地が見えている。彼に最愛の者がいる印だ。
項に触れて話していたオメガは、ただ1人、彼の番を想い、宝物を包むように目を伏せた。
「アリステア・クラーク、君に永遠の感謝を。ありがとう」
「お役に立てて光栄です、ジェドリグ・ミカフォニス様」
握手を交わす俺達に、ベータの友人も喜びの息を吐いた。
「これでシャルルさんも一安心ですね! 長かったって言うのかな~!」
「廊下で堰 き止められている先生もだね。みんな見るんだ、時計の針はあんなにも進みが速い」
「あぁ──、もうこんな時間か。やってしまったね」
我々4人以外の生徒が外に出たのは、痺れを切らした教員が立ち入るのを防止するためだったのだ。
俺は良き友人達に恵まれた。ジェドリグ・ミカフォニスは良き人々との縁に恵まれている。
夏の空は澄み渡り、背の高い木々に繁った葉の香りを載せた風が心地よい。
今とても、シャルルに逢いたかった。
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