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君を心から愛している③

 寄宿舎に入れば登下校の時間は数分で済む。  一昨日のアルファ性の再認識からというもの、俺は清々しさと番にと狙いを定めた者への想いが(みなぎ)り、すこぶる絶好調だ。  まあそのせいか、寮内では全学年ほぼ全員から距離を取られているがな。特段問題はないと言えど、そこまでかと自身の獣性に引いてしまう。  昨夜遅くウェルクレーン家の使いが早駆けの馬で翌日登校の旨伝えに来た、(すなわ)ち本日である。  俺は馬車の停車場で彼を待っている──のだが、登校して来るオメガ達が皆一様に逃げるようにして足早で去って行くのを見るに、ここに立っていていいのか迷ってくるな。  当たり前にフェロモンは出していないが、そそくさと赤ら顔で走る子達を見ると思案してしまう。  今の俺はそこまで危険人物なのか。ここまで来ると動揺する方にも問題があると(いぶか)しんでしまうが、どうだろう。 「あぁ──、来たな」  ウェルクレーン家の紋章が描かれた馬車が到着し、俺は高揚感、狩りの前の興奮を覚えた。  いかんな、己の実態に腹落ちしてからというもの、シャルルを想うと否応なしに(たか)ぶってしまう。  大丈夫だよ、安心なさい、頭から丸齧りにするなんて勿体ないことはしないからね。 「シャルル、おはよう」  今朝も可憐な恋人に挨拶をすると、随分と緊張、いや、萎縮していた彼のフェロモンが一気に花開いた。  ステップから足を滑らせた彼を抱き留めると、譫言(うわごと)のように俺の名を呼ぶ。 「シャルル……!!」 「ジェド、リグ、さま……」  泣き出しそうな目をして熱い呼吸を繰り返す。  真っ赤に熟れた果実のような色をした首筋や額には、汗の粒が浮いていた。  立っていられない身体を支えながら、地に(ひざまず)き、謝罪し続ける恋人を落ち着かせる。  強烈な発情期(ヒート)が到来してしまった。まだ俺はシャルルに自身の変遷(へんせん)を告げられていない。 「シャル、抑制剤を飲もう」  涙ながらに頷く彼の上着のボタンを開けるが、恐慌状態に(おちい)っている彼ははくはくと唇を動かしていて、とても錠剤を噛み砕ける様子ではなかった。  俺も正常な判断ができたか怪しい。  舌に苦い薬剤を口に含み、シャルルの咥内へと流し込む。目を見開いて驚愕している彼の後頭部を固定し、やがて()せ返るフェロモンを発しながら俺の首へと腕を回すオメガと、交わるようにキスをした。 「恋人になるとこうも違うようだ」 「あなた……、発情期(ラット)に……」  歓喜と否定の両極端の感情を載せた瞳から、幾筋も涙が流れていく。  本当に君はよく泣くな。  色香に()てられ、このジェドリグ・ミカフォニスがアルファの発情期に(かか)ってしまう。  俺は恋人を隠すように抱え直して声を張り上げた。 「すまないが、(しば)し視界に入れないでほしい! この子を見ないでくれ」  騒然としていた乗降場は水を打ったように静まり返り、逸早く我に返った4年生の番持ちのオメガと、他校に番のいるアルファが大声で叫んだ。 「オメガの生徒は至急避難してください! ベータも、アルファも! 距離を取って! 離れて!! 大変危険です、逃げなさい!!!」 「そこの茶色の髪の3年生のベータ! 隣の黒髪も! 馬車が入らないように動きを止めろ!! 速く!!!」  避難誘導が始まる中、シャルルは雫を頬に伝わせ辛そうながらも微笑んだ。 「ジェドリグさま、酷い言われよう……」 「お前のヒートへの応急処置をするだけなんだが──俺は害獣か?」 「あなたのフェロモン、すべてを投げ出したくなるくらい……いい匂い…………あぶない」  今のお前の方が危ないよ、シャル。  俺以外に誘われる男がいたら、全員川岸に招いて叩き落としてくれような。 「物騒な、お顔──すてきです」 「シャル、薬が効いていないのか? 俺が抑制剤を打つのは悲しいよな?」 「ぜったいに……、いや」 「しかし俺とお前は今現在周囲に被害を出している。いいか、気を失え。俺だけを感じて失神しなさい」  菫色の(とろ)けた双眸と濃密な梨の香りで誘惑するように、シャルルは俺の脚に(またが)って目を閉じる。  濡れた睫毛の扇情的なことと言ったらなかった。腰を引き寄せ反射で跳ねる痩躯を囲い込み、決して逃さないように項を覆う。  瑞々しい唇を抉じ開けて湿った息と唾液を飲む。シャルルは俺を夢中にさせるために全身が甘い。 「んン──ぅ、あ……っ……ジェド……」  形のいい眉を困らせて、大型獣に支配された哀れな小動物が鳴いている。漏れる声を(むさぼ)り食らうと、全身を小刻みに震わせながら懸命に舌を動かそうとする。  (もつ)れる舌と上下する薄い胸。噛めない代わりに清らかなその肌、シャルルが誰にも許していない項に爪を立てた。 「ッ──、……っ……」  シャルルは貫かれたように張り詰めた後、陶然と目を閉じた。目尻の蜜のような雫が零れる前に優しくくちづけを落とすと、彼は幸せそうにすうすうと寝息を立て始める。  脱力した身体を(もた)れさせながら、懐の注射器を取り出して抑制剤を投与する。完璧な避難警告で周囲に生徒はいない。  数人、十数人には影響が出てしまっただろう。  しかし俺の胸にあるのは華やかな歓喜に満ちた達成感だった。 「ミ、ミカフォニス君……、もう……いいかな?」 「あぁ、申し訳ありません、今シャルルを担架に乗せます」  駆け付けたオメガ保護官は、その性質上ベータ又は番のいるオメガのみが選ばれるが、どうやら今日のベータの担当官は気圧されて近寄れなかったようだ。  その後ろの教職員にはアルファもいたが、俺が恋人を抱きかかえて近寄ると、揃って大仰にたじろいでいる。 「こんなの公害です……!! なんて恐ろしい……!!」  俺のフェロモンは、恍惚と死の恐怖が表裏一体のようだ。  隔離室に自ら向かうと宣言したが、道中、俺は手首の匂いを確認することになってしまった。  大自然の偉大さを感じられるとは何だったのか。シャルルの残り香で胸が苦しいだけではないか。  恋人にいい香りだと言ってもらえるだけ、まだ救いがあるというものである。

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