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君を心から愛している⑤
オメガもアルファも理性を持つ人間だ、斯くあるべきだ。
そう常々口にしていた言葉を、今日こそ撤回しなければなるまい。
ウェルクレーン家の敷地に入れば、確かに感じる恋人のフェロモン。
来て、来ないで、嬉しい、悔しい──シャルルの二律背反の感情が押し寄せ、一目散に駆け出したいのを堪 えている。
将来、この家の婿になる。
ミカフォニスから離籍してシャルル・ウェルクレーン次期伯爵の伴侶になることを決めた。
父上はまだ肯定も否定もせず話し合いの席に着いてくださらない。我が弟達との仲もお認めにはなっていない。
それがどうした、他者の意見など聞けるものか。
俺は今シャルルに会って、彼を抱きしめ、許しを乞い、結ばれたい。それしか考えられない。
だが人には体裁を整えたがる見栄がある。
俺を招いた恋人のお父君の姿に、貴公子然と取り繕った。
「ジェドリグ殿……!」
「ご無沙汰しております、ウェルクレーン伯爵」
「よく来てくださった! 息子を、息子を助けてやってくれ……!!」
恰幅のいい御仁がこうも血相を変えるほど、今のシャルルは苦しんでいる。
俺のせいで、俺のために、今彼は熱に浮かされている。
社交界で何度かお会いしていた館の主に案内をされる間、余裕を一定値保てていた。
しかし階段を登るに連れて強烈な誘惑と拒絶に襲われ、身体が傾 いでしまう。
「大丈夫かね?」
「抑制剤の、予備を、お持ちですか? 手持ちはすべて……使っております。今のままでは……!」
無様は見せられぬと頑強なる精神で床を踏みしめた。
駄目だこのままでは──シャルルを食い殺しかねない!!
涙する少年を組み敷き、抵抗する彼に乱暴を振るい、心から愛しているから項を噛みたいと告げられぬまま、彼の心に傷を負わせてしまう。
「あぁ……、それほどまでに息子を──。私はね、息子がどれほど貴殿に恋い焦がれているか知っておる。アルファの先輩のアドバイスだ、衝動も大切になさい」
「しかし……っ!」
「いい、いい──大丈夫だとも。さあ、行きなさい。我々のことはお気になさるな」
恋人の父親からも了承と後押しを受けてしまう。
背を向けて俺の体たらくを見ないでくださるお父君に一礼し、足早に進んだ。
どの部屋か教えられずとも恋人の居室は分かる。俺のフェロモンと共感して、来てくれるなと訴える天の邪鬼なオメガ。
扉に鍵も内側からの閂も、掛かってはいなかった。
「シャルル」
「来ないで……!! お願い……見ないで……っ!」
シーツに隠れる恋人の悲痛な叫びに立ち止まる。
シャルル、シャルル、君はオメガで俺はアルファだが、肉体よりも心を通い合わせたい。
複雑な恋心に縛られる恋人へと1歩ずつ近寄る。
フェロモンは情報伝達物質。君は俺が確かな足取りでいることに哀しんでいる。
不思議なものだが、恋人との距離がなくなっていけば興奮が鎮 まるのだ。俺の長年の教訓が律してくる。
「シャル、来たよ」
「ジェドリグ……さま……、なんで……っ、なんで発情期 じゃないんですか……!」
そうだよな、悔しいな、俺は先程まで君を蹂躙したかったんだよ。
それなのに君からの否定に心が窄 まり、泣かせた後悔に胸が締め付けられ、肉体の勢いに屈してはいけないと、ものの数秒で理性の男に切り換わってしまった。
発情期 に喘ぐオメガの君にとって、張り裂けんばかりの悲しみと屈辱だろう。
「俺はやはりアルファとして欠けているものがある。今の君を襲いたいという感情が湧いて来ない。君を愛してる気持ちが上回る」
「来て……ほしくなかった……」
「来ると信じてくれただろう? シャルル、すぐに駆け付けなかった恋人を許してくれ」
枕元に座って、汗に濡れる乱れた髪を撫でる。
こちらに背を向けているが完全に遮 れない。
難しい子だ、時間を空けると素直さが掻き消えてしまう。可愛がり甲斐があるから面倒な子は好きだが、そうも自分を責めてくれるな。
高潔な太陽たる俺を変えてしまったと後悔に蝕 まれてはならない。そんな男は元からいないよ。
「シャルル、君の微笑みが好きだ。火照った頬に触れて、くちづけをして……酷く泣かせたいとも思う。しかし今手を出したら、俺が項を噛んだら、どうせヒートのせいだと言い出すだろう。今度こそオメガ性を呪ってしまう。自分の価値を肉体のみで測り、俺の恋を拒む」
俺のフェロモンで君の身体は疼 いているが、俺の言葉を聞こうとして、半分出ている小振りの頭が動いた。
「お前を愛してるんだ。シャルル・ウェルクレーン、俺の脆くて気丈で甘え下手な恋人。俺達の考えの違いは時に凄絶に相性が悪いね。でも、フェロモンは相違性が多いほど惹かれ合うそうだ。俺も自分と大きく異なる君に惹かれて恋をした。君が欲しいよ、心も身体もオメガ性も」
身体ごとこちらに振り向いてくれた恋人に、口数の多い男が泣きたくなるのだ。
もし今俺が君の立場なら、御託はいいから媾 えと引き込んでいることだろう。
俺の意図を汲もうと耐えるお前を、俺に譲ってしまうお前を、どうして大切にしてはいけない。
「俺は君の意思を確認してこの上なく丁寧に扱いたい。君は本能のまま性急に暴かれたい。全くと言って言いほど違う」
「あなたの愛は……、慈しみだから」
「恋は陸 でもないがね。優しくしていないと不安なんだ、君に恐れられてしまう」
「恐れる、なんて」
「ジェドリグ・ミカフォニスは非常に凶暴だ。理性が飛ぶとお前を壊しかねない。臆病で情けなく、今までそれが怖かった」
「あなたが……?」
「この俺がだ。背を向けられ、離れて行かれるのが怖いよ」
信じられないと目を瞠 るシャルルに、随分ご立派な評価をされているのだと苦笑してしまう。
上気する頬を撫で、その顔の横に手を突き、恋人が横たわる寝台に乗り上げた。
やはりお前は危うい子だね。
獣の宣言をする男にそんなに悦 ぶものではない。
「シャルル、恋人で獲物たるお前に、俺は優しいばかりではいられない。逃げたいなら今しかないよ」
「なんて、酷い人……矛盾してる」
「許してくれるかい?」
「この僕が、あなたを受け入れないはずないでしょう──?」
檻に閉じ込めてから促 す卑怯なアルファに、オメガは泣き笑いで腕を伸ばしてくれる。
シャルルの憧れの存在ではない俺も受け入れてくれる。太陽ではないただの男に彼は許可を与えた。
「あなたは僕に、酷いことはなさらない。信じてます。許します──、来て……」
項を噛む前ですら、この世にこうも幸せな瞬間があるのかと言葉にならない思いがあった。
何度も名を呼ばれ、お前の熱い息と涙と微笑みに焦がれ、俺を包み込む梨の香りに〝運命〟を感じた。
シャルル・ウェルクレーンとの繋がりは彼の恋心の導きによるものだ。
運命の番でない俺達は、運命の人に巡り逢った。
肌の上をくすぐったいものが往復している。
安らかに寝息を立てていた俺の番が、横で眠る男にすりすりと頬を寄せていたのだ。
「シャル──、起きてしまったのかい?」
「あっ、ジェイ様──すみません……」
君は理性を飛ばさないと甘ったるく求めてくれないし、俺に意識がない時でないとすり寄れないのか。
愛 いね、本当に。
その遠慮も躊躇いも全部剥がして溶かしてやったのにまだ足りないか、欲張りめ。
俺を起こした罰として完熟のフェロモンを放つ首筋に顔を埋めてやりたかったが、シャルルの体調を慮 る。
駄目だよ、今君に必要なのは休息だ。発情期が収まるまで無理をさせてしまった男は労 りたいのだ。
そっと抱き寄せて形のいい後頭部を撫でる。俺はシャルルの頭部を気に入っていた。
「明日から登校したいんだろう? 今晩はゆっくりとお休み」
「でも……」
「お眠り、いい子だから。俺を非道な男にさせないでくれ」
もしや俺を気遣っているのかな。
なに、俺のアルファ性が幾分君より強かっただけだ。
大丈夫だよ、君を抱きしめていると心地よく眠れる。
シャルルがとろとろと眠たくなるようなフェロモンを出すと、拗 ねたように文句を言われる。
「優し過ぎます、──僕の番様」
「如何にも。君だけの番だ。どこにも行かないから安心なさい」
「安心……だから……嫌」
「また今度な」
そう言って丸い額にキスをして目を閉じた。
暫 く隣の様子を窺っていたが、恋人が目を閉じる気配はない。
1度起きてしまったから睡眠時間が勿体ないと感じているのだろう。
夜を忘れる睦 み合いを2日ほど超え、昨日はベッドから動けなくなってしまったシャルルの専属の召使いをしていた。
それが君を悩ませた、俺を満足させられているのか不安なのだな。
そうまで愛してくれて嬉しいが、俺はアルファの中でもかなり頑丈な部類なんだ。君はオメガの中でもかなり華奢で、比較すると体力がなさ過ぎる。
元々誰かの世話を焼くのが好ましい性分だ、羞恥が灯った恋人が相手なら楽しんだに決まっているだろう。
君が我が弟達の文通が羨ましいと言うからラブレターも書いたぞ。ここまで俺にさせておいて怖がるとは、困った子だね、愛おしい。
「シャールー、寝なさい」
「だって……」
「君は本当にいけない子だ。寝付くまでベッドの外に行った方がいいかい?」
「嫌です……」
そう悲しげに言ってくれるな、いじめている気分になってしまう。
俺のシャルルに対しての感情は実に忙しない。意地悪をしたくなったり追い詰めたくなったり盛大に甘やかしたくなったり、恋とはげにも恐ろしきである。
「ジェイ様、わざとその口調をなさってますよね。『君』と呼ばれるのは寂しいです」
「わざとではないよ、君が可愛いからこうなっている」
「でも『お前』がいい、飾り気がない方がいい……」
「愛しい番の望む通りにしよう。お前は本当に可愛いな」
こんなに可愛さを垂れ流して大丈夫なのか?
明日からこの子は学院に通うんだぞ。危なくはないか? まだネックコルセットも揃いのシャツも贈れていないのに復帰させていいのだろうか。
窪 みができた項に指を伸ばすと、シャルルは恍惚とした吐息を漏らして一層脚を絡ませてくる。
「僕……小さな頃からあなたに憧れてました。金の御髪 に金の瞳の、太陽の化身──オメガが熱望してやまない、残酷な王子様」
やっと会話らしい会話ができるようになった後、俺はシャルルに初恋を聞かせた。彼の真っ直ぐな菫色に惹かれたと伝えれば『僕はもっと前からです』とだけ、俺に柔らかに微笑んだ。
その話、俺を誘うために始めたな。
シャルルの生みの父は俺の8歳の誕生会で粗相をしたあのアルファと兄弟だ。それこそ、彼が7歳の頃から俺に憧れていてもおかしくはない。
「学院に入る前、遠目にあなたを見たことがあります。この人だけは絶対に駄目だって──諦めようとしていたのに……太陽自ら手を差し伸べてきたんです。お分かりですか? その時の僕の気持ち」
「当時の感情は推測することしかできないが、今現在のお前と、未来の伴侶については、分かりたいと望んでいる」
シャルル、お前は俺だけには労られたくないと言ったね。お前は俺に強引にされたい。実際、その方がお前の身体は喜んでいた。
しかしお前は俺に慈しまれて大事にされることも嬉しがってくれる。
本当に弱ってしまうよ、早く俺に染まっておくれ。俺の愛し方に慣れてほしいものだ。
「あなたの特別になるのは怖い……片想いが長過ぎました」
「シャルル──、お前に1つ頼みごとをしよう。俺を惚れさせた責任を取ってくれ」
「どうやって……?」
「ただ傍にいてくれればいい。俺は一生を賭してお前の寂しい気持ちを埋めていく。なに、2人でいる時間が長くなれば10年など誤差だ」
「酷い」
怒ったふりをするお前に俺は型なしだ。
また蕩 かしてやりたくなってしまう。壊しはしないが朝になってしまうだろう。
「ねえ、ジェイ様。あなたはオメガ泣かせを返上したいと言ったけれど、絶対に無理です。これからも沢山の人があなたに恋をする。──僕だけは、あなたの腕の中でずっと泣かせて」
「シャル……、本当に悪い子だ」
「こんな番でお困りですか?」
「己の力量不足を思い知っている。いいだろう、シャルル・ウェルクレーン。俺の愛を思い知らせてやる」
愛する者にここまで言わせて枕と友人になるのは男が廃 る。
傲慢で不遜なアルファの中のアルファは番に夢中だ。
お前は本当に俺が好きだね。またもどかしくて凄惨な幸福に浸らせてやろうな。
なんで、と再び尋ねられたらこう答えよう。
何故ならば、俺がジェドリグ・ミカフォニスであり、お前を愛しているからだ。
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