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後日談・我らの人生に幸多らんことを(前編)

 清々しい朝には不釣り合いな、恋人の腫れぼったい(まぶた)。  無垢な寝顔を見ているとシャルルのどの顔が好きなのかを考えてしまうな。  今見たいのは目覚めてからの恥じらいだ。  彼が新入生だった頃は今よりもずっと折れそうな身体で、道案内の最中絶えず(うつむ)いていた。今年の資料室での巡り合わせも、校舎裏の沈痛も、恋人になった日も、俺はシャルルを泣かせ続けている。  辛そうな涙はもう見たくないが、反抗的な意思の強い目で射抜かれるのは喜んで。ツンと歯向かわれるのも落ち込み気味に()ねられのも非常にいい。  シャルルは、こう、兎にも角にも俺のことが大好きであると全身全霊で訴えている。フェロモンは常に愛情表現素直な年下の恋人だ。  その小柄さや線の細さは3年生の中で一際目立ち、俺の金髪よりも落ち着いた色合いの艷やかなサンドベージュの髪を肩口で切り揃えているから、まるで生けるお人形だ。筋骨隆々ではないが学院内でも高身長の部類に入る俺と隣立つと、その体格差は一目瞭然。  彼は自身の発情期(ヒート)が多いために虚弱気味だった体質を『僕は弟君を真似している』と自嘲し自責した。実際に我が弟を見たことで『僕はラディル様の代用品』であると思い詰めていたとも打ち明けてくれた。  彼の第二性の苦しみはラディへの嫉妬も大きく、そこに容姿のコンプレックスも追加されたらしいが──。 「そんなに似てるか?」  ラディが蜂蜜なら、シャルルは砂糖を入れた紅茶、はたまた梨のコンポートぐらい違うぞ。どちらも愛らしい容姿ではあるが系統が全く異なっているし、そもそも、恋人と弟に感じる可愛らしさが同じであるはずがない。  だが周囲はそうは思わない、と言うより(かえ)って疑いを強くしている。  同級生に『小柄な子が好みなのですか?』と問われて、怒りや困惑を通り越して一瞬感情が失せてしまった。  そんな事実はまるでないが、外野からすれば弟に運命の番が現れて、似ている少年を傍に置くことで失恋を慰めている認識なのだ。3年4年生まで『あれ、まさか……?』になっているらしいから頭が痛い。  シャルルの両親も恐らくこの疑念を抱えているだろう。俺は過去の発言や態度や一貫している主義のせいで、悪魔の証明をしなければならない。 「お前が信じてくれるのが救いだね」  眠れる恋人の頭を浮かせ、白く細い首を肌触りのいい柔らかな生地で包み込む。  恋人への贈り物、ささやかな悪戯な仕掛けて、俺は彼が目覚める前にシャルルの親と対決をする。  どの屋敷でもオメガの部屋の構造は特殊だ。  使用人の出入りがなくとも食料や衣類が運び込めるように、居室側には厳重な鍵が付いている荷渡し用の小部屋が続いている。  その中継点に置かれる水や軽食などを取りながら、俺達は丸5日も籠もってしまった。シャルルの部屋には簡易の湯浴み場もあるから2人きりを満喫し過ぎた。  初めての蜜月にシャルルの両親から呼び出されなかったのは、彼らの大事な息子がヒートだったからである。本日は揃って登校するのだからお怒りの言葉も(まぬが)れん。  皺の取れたブレザーに青色のネクタイを締める。  その内このシャツも変わるのかと思えば面映いが、まずはそれよりシャルルの両親に挨拶だ。  貴族は礼節を重んじる。  特に上位貴族であるほど朝は(せわ)しなく過ごしてはならない。屋敷内の最高位の者が待つ家族専用の部屋に行き、頭を垂れ、下の者から朝食の席に着く。  俺は伯爵直々に招かれた客ではあるが、彼ら夫夫(ふうふ)の可愛い息子を奪った憎い男でもあるはずだ。  罵倒も叱責も覚悟していたから、居間に入ると大喜びで立ち上がったウェルクレーン伯爵に少々面食らってしまう。 「ジェドリグ殿! いい目覚めだったかな?」 「ええ、素晴らしい朝にございます。伯爵様におかれましても──」 「いい、いい、固い挨拶は抜きだ! 私の伴侶、シャルルのもう1人の父を紹介させてくれ」  シャルルは第一性が男性同士のアルファとオメガの子だ。  初めてお会いする細君──伯爵の番は、なるほど、やや肥えていらっしゃる御仁よりも遥かに容姿が息子と似通っている。 「この間は不在で会えず残念だった。初めまして、シャルルの父のウィンストンだ」 「お会いできて光栄です」  手を差し伸べられ握手をすると、将来シャルもこんな風に美しく(たお)やかになるのだろうと想像させる微笑で、俺を見上げている。 「夫に一途な私だが、壮麗で絢爛なアルファだね。年甲斐もなくときめいてしまう」 「金色の王子様だからなあ、彼は」  番の目の前で褒めるのもどうかと思ったが、伯爵は同意だと言わんばかりに何度も頷く。  俺は見誤っていたらしい、大歓迎を受けている。  椅子に座るよう(うなが)され、シャルルが来るまでお2人と話しをさせてもらうことにした。 「改めてご挨拶を。ご子息シャルルさんと番になりましたジェドリグ・ミカフォニスです。私の初恋を認めてもらい、彼の想いを頂戴しました。この上ない名誉と感じております」 「シャルルは……恋を叶えたのだね。ありがとう、ジェドリグ殿」 「シャルルは……やっと……」 「すまない、彼は少々涙脆くてね」 「シャルルさんからは長きに亘る〝試練〟についてお話を伺っています。彼が、私と私の弟ラディル・ミカフォニスの仲を誤解し苦しんでいたことも」  ラディの名を出した途端お2人は身を固くされる。やはりミカフォニス兄弟の通説を半ば信じておられる様子だ。 「ジェドリグさん……、まだ婚約もしていない段階で私達夫夫の希望を伝えるのは間違っているが……可能なら、弟君と距離を置いてほしい」 「他家の事情に口を挟むことが許されないのは分かっている! それでもどうか言わせてほしい! ジェドリグ殿と次期公爵子息の仲は今も華やかに取り立たされている。シャルルの父として心中穏やかではいられないのだ」  諸悪の根源がまだ、今も尚、ジェドリグ・ミカフォニスを息子と言って(はばか)らないために、俺の番のご家族が(うれ)いている。  (まま)ならん。 「私は今寄宿舎で生活を送っており、弟の庇護者登録も解除しています。我が弟ラディルは隣国からの留学生、サーフィ=ナフル・アーシュレーと正式に番契約を交わしました。お2人の耳には様々な噂が届いていると思いますが、どうかご子息の番になった私を信じて頂きたいのです」 「お認めになっていないのは、貴殿の父君だけかね? 母君もかい?」 「養母は弟ラディルの恋を祝福しております。運命の番に逢い、健康に学院に通えることを大変喜びました。サーフィ君には私と替わる形でミカフォニスの屋敷に住んでもらいましたが、非常に頑張ってくれていると聞いております。私が至らぬばかりに義弟(ぎてい)には苦労を掛けてしまい、心苦しい思いです」 「あぁ──、貴殿はよいお兄様なのだな」  恋人の両親にはこうも早く通じる。  おかしなことを言ったと謝罪されながら、何故父上はああも頑固なのだろうと腹立たしくなってしまう。  しかし今は義両親との面談の時、朝から暗い話を続けない。 「私はいいアルファでありたいと(たゆ)まぬ努力をしてきたつもりでしたが……、シャルルさんの良き恋人、良き伴侶になるには、まだ、及ばぬ点も多々あるかと存じます。お父様方に相談に乗って頂いてもよろしいでしょうか?」 「勿論だとも!」 「ありがとうございます。お恥ずかしい話……私の愛し方は、彼に不安を与えるばかりです。第二性、オメガのこと、アルファについてすらも不学で──、彼を安らかに包んでいたいと願うのです」  全く以てジェドリグ・ミカフォニスらしからぬ慎ましさで、しかしよく通るように話せば、ウィンストン氏の柳眉の懸念が少し和らぐ。 「殊勝な口振りだが事実はこうだ、シャルルに自分の愛で変われと言っている」 「歩み寄りも大事ですが、番のものになれることがオメガの(よろこ)びだと口説かれたもので──シャルルさんを私の色に染め上げて願いを叶えるのも、運命の恋人の役目かと」 「あぁ、いけない! シャルルが抜け出せないはずだ! 貴殿は途方もなく利己的なのに、その有り余る優しさと奉仕心で愛を捧げる生き物になったのだね」  アルファの伯爵が目を細めて喜ぶ一方、オメガの細君は眼差しに親の心配、同じ第二性を持つ者の物悲しさを(たた)えた。 「あなたは願望を刺激するアルファだ。その信念や高潔さにシャルルは夢を見てしまった。信じていいのかな? 息子を任せていいのだね?」 「今後一切泣かせないとはお約束致しません。必ず違えてしまうからです。私は愛しの番より褒めて頂きました言葉を胸に、彼の人生に幸多からんことをと生涯大事にして参ります。どうか若輩者の私達を温かく見守っていただき──いずれ(きた)る日には私のことも息子と呼んでください」 「シャルルは恐ろしい男を引き当てた」 「この強かさが誠にアルファらしい!」  はしゃいでくださるご両親は、俺が途中から声を張っていた理由もよくよくご存知だ。  一礼して辞した俺は、居間の外で真っ赤になっている恋人へと腰を屈めた。 「おはよう、シャルル。先に出てしまってすまなかったな。──よく、似合っている」  使われるかはさておきと用意していたフリルの装飾のチョーカー。生地との境の皮膚をくすぐると俯いてしまうので顎を上げさせる。たっぷりと潤んだ菫色の瞳は飴玉のように甘い。 「教育を受けているはずの君がナイトガウンを羽織った姿でここにいる。プレゼントを外せなかったか」 「これ……制服の下には着けられないではありませんか」 「そうだな……。別に薄手のレースの物も用意してあるから、ネクタイを締める前に俺が着けてあげよう」 「あ、あなた……なんて人……!」  ミカフォニスの屋敷から寮に持って行っていた、オメガの恋人のための噛み跡隠し。  こうも喜んでもらえるとデザイナーと相談してよかったと思える。手間を掛けさせたサーフィには後で礼を言おう。彼の言葉がなければ番になってすぐの登校日に贈り物は間に合わなかった。  扉を隔てた部屋の中にはシャルルの両親がいるが、恥ずかしくて泣き出しそうな恋人を腕に抱く。 「なあ、お前の涙が好きだと言ったら、お義父上方に叱られてしまうな?」 「控えた方が、誤解はないかと……。ジェイ様は僕の恥じらいが好きでいらっしゃる──」 「(こな)れてくるのも楽しみにしている」  やはり俺は恋人としても番としても(ろく)でもないな。  絶望や苦痛で涙する彼は見たくもない、シャルルに悲壮な顔をさせる自分を認めない。  だが、こうも予想通りの反応をされるともっと困らせてみたくなる。  シャルルの泣き顔がやけに可愛らしいのも問題であるが、俺の本質がこうだとしか言いようがない。  俺は実にアルファらしいアルファである。(えもの)を懇切丁寧に、丹念に、隅々まで愛でていたい。  朝日の清涼感を塗り替えてしまうようなフェロモンを放つシャルルは、恐らく今日も登校できない。 「ジェイ様……」  うっとりとしているシャルルは微熱気味になってきた。  ヒートの期間は本人の申告では長くとも3日、短い分回数が多いとのことだったが、今後は平均の5日間は確実にいくだろう。今回既に彼の通常を優に超えた。  番ができてヒートが悪化するのは本来ならばあり得ない。おかしくないか、大丈夫かこの子は。俺といることで延々と終わりが見えなくなるなら離れるのもやむを得んが、そうすると第二性が嘆いてしまう。  1度番を同時に見る専門医に診てもらった方がいいかもしれん。この俺といることでシャルルのヒートが重くなるのは度し難いぞ、何のための番のアルファだ。 「いい匂い──」  腕の中で喉を鳴らす猫のようにじゃれ付くシャルルは、肺いっぱいに俺のフェロモンを吸い込み、より一層幸福に彩られた香りを放つ。 「俺のフェロモンは大自然のようだそうだが、どう感じる?」 「前と、違うとだけ──。優しくて、甘い。僕だけのフェロモン……」 「シャル、学校行けるか?」 「無理です……。チョーカー、外したくない」 「そうか。では、ベッドに逆戻りだな」  君のお父上方に誓って、ここまで狙っていた訳ではないんだ。  俺の髪色と近しい、お前の肌に合う柔らかな黄色を(まと)わせたら驚いてくれるかと期待を膨らませただけで、恋人へのほんのささやかな出来心だった。  まさかこれほど効力があるとは、この子はこの先やっていけるのだろうかと不安で仕方がない。 「あなたは、行ってしまわれる?」 「お前の傍にいる。番だろう」 「お優しい──ほんとうにおやさしい。大好き」 「部屋まで待てシャルル。2人きりになるまで顔を埋めていなさい」  オメガとは、大変だな。  やはりシャルルは俺のことが好き過ぎるのではないだろうか。  必ずや肯定しそうな恋人を抱き上げて運ぶ間、冷静になった後のお前がまたもや慌てふためくのか、それとも怒ってしまうだろうかと考える。  俺に恋する余りに平時とはまるきり違う生き物になってしまっている恋人は、煮詰めた梨のシロップの如し。  なあ、お前をそうも魅了するフェロモンを至近距離で嗅いで大丈夫か? 俺の匂いは危険物質か何かか? お前の匂いの方が余程甘いだろう。  参ったな、人を閉じ込めていたいと思ったのは初めてだ。

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