27 / 28

後日談・我らの人生に幸多らんことを(中編)

 オメガの中には番に付けられた噛み痕み見せびらかしたい者もいるが、俺の恋人は違う。  将来の伴侶たるこの俺が2人の秘め事にしたい想いを、愛しい人が汲んでくれるのだ。  閨では(みだ)らに溺れながら、朝日を受けるシャルルは楚々として貞淑だ。彼の肌にある情痕(じょうこん)で懸想されてら(たま)らない。  滑らかな手触りの髪を巻き込まないように丁寧に首筋に添えたネックコルセット。  鏡越しのシャルルは、俺が後ろの紐を結ぶのを(まなじり)を下げて見つめている。  本当にお前は可愛い子だ。 「結べたぞ」  形が気に入っている後頭部にキスをすると、睫毛が伏せられてフェロモンが(けぶ)る。肩に置いていた手に手を重ねたシャルルは、仄かに悲しみを滲ませて吐息を漏らす。 「シャル?」 「あなたはお優し過ぎる」 「どうした、いきなり」  シャルルが俺を余りに愛していることは十二分に伝わっているが、こちらを見上げる菫色の瞳と艶めいた唇は、もどかしくさせるほど慕情に染まっていた。 「僕がお願いをしてしまったから、その男らしく素っ気ない話し方をなさってくれる」 「あぁ……」  初めて結ばれた発情期(ヒート)の期間、一旦落ち着いたはずの彼が素足でねだった言葉。以来多少の意識はしている。 『君』ではなく『お前』と呼ばれたい、飾り気のない言葉遣いがいい。  恋人に(こいねが)われて、理性が勝る時は滅多に我儘を言わないシャルルのお願いに沿ってから、既に2ヶ月ほど。すっかり彼の前では無骨なしゃべりとなっているが、どうやらそれでは物足りなくなってしまったらしい。 「あなたに甘やかされて〝もっと〟と欲しくなりました。優しく接されるラディル様やアーシュレーが羨ましいのです。あなた、僕が喜ぶように言葉を選ばれる……。寂しい」  年下は可愛がりたい俺と、子供扱いされたくないシャルルの攻防はこのジェドリグ・ミカフォニスが迷いもせずに譲った。  この子の複雑だった心境を思えば、優しく慈しんで望みを叶えたかった。  けれども我が弟達への柔らかな物言いこそに特別扱いを感じたのだろう。  本当にお前は()いね、シャルル。 「不遜に、僕を対等に扱ってくれるところが好きです。でも、僕のためのお気遣いはもうなさらないで」 「お前が(しき)りに優しいと言ったのはこのことだったのだね」 「自然に出てしまうと仰っていたのに、つまらない思いがして……勿体ないことをしてしまいました」 「なに、寝台での睦言(むつごと)だよ。お前のいじらしさが愛らしかった。特段無理をしていた訳ではないのだが、お前に喜んでほしい意志が強過ぎたね。反省するよシャルル、許しておくれ」 「あぁ──とてもお優しい」  そうも褒めてくれるな、恋人に優しくするのは当然だろう。  濃密なフェロモン、梨の香りを漂わせるシャルルは自分の状態に頬を赤らめて、鏡の中の俺と視線を交わらせる。困り泣きのように首を振られると、お前を猫可愛がりしたくてならないよ。  だが本日は、遠出の約束を違えて向かわなければならない場所がある。  一昨日からウェルクレーン家に宿泊していたのに何とも腹立たしい。 「今日は、残念だ」 「あなたのお父君にご招待頂けたのです。嬉しいですよ。そんな顔をなさらないで」  何度か寄宿舎から出した手紙に、(ようや)く返事が返って来た。  シャルル・ウェルクレーンを伴い王都のミカフォニス私邸に来いと父上が仰せだ。  明らかな品定めの予告。  愛する者を矢面に立たせたくないが、我々はシャルルの学院卒業を待って結婚することを誓い合っている。  養子と言えども今はまだミカフォニス家の一員である俺に拒否権はなければ、偏屈な父上に婚約を了解して頂かなければならない。  気が重かった。  新しく贈った装飾品を喜んでくれる恋人の笑顔の手前、溜息は吐かなかった。 ▽▽▽  俺は父上を尊敬しているが同時に嫌悪もしている。  そして今、明確に敵と見做(みな)した。 「その者がお前の恋人か」 「挨拶もなく我が番に不躾なお言葉、父上と言えども看過できませんね」  びくりと震えたシャルルの肩を抱いてミカフォニス公爵を睨め付ければ、シャルルが俺の敵意を(たしな)めるように指先を数秒添えて前に進んだ。  深々と頭を垂れる姿に恐れはない。 「本日はお目通り叶いまして光栄に存じます、ミカフォニス公爵閣下。シャルル・ウェルクレーンにございます」 「ジェドリグの父、アーヴァインだ。掛けなさい」  応接の席に着かず、執務椅子から動かずに距離を取る。  シャルルへの侮辱だ、度し難い。 「……ッ……あっ……ジェイさま……」 「ジェド、オメガの、番の前で怒気を放つな。怯えさせてはならん」  口元を抑えるシャルルの血の気の引いたか弱さに、俺は瞬時に意識を恋人に向ける。  オメガは感情の機微に敏い。特に番の思いをよく感じ取る。 「すまない」 「大丈夫……そんな顔しないで……」  背を(さす)る俺に、シャルルは『失敗してしまった』と自分を責めながら笑おうとする。  父上の前でなければ抱きしめていられるのにと(ほぞ)を噛めば、この部屋の主が静かに恋人の傍に立たれた。 「シャルルさん、お辛いようなら部屋を用意しよう。無理をなさるな」  その厚意の裏を探ってしまう義理の息子とは対照的に、シャルルは素直に受け取った。やけに嬉しそうに頬まで染める。 「閣下とジェイ様──ジェドリグ様は、お優しいところが似ていらっしゃいますね」 「彼は私のよくないところばかり引き継ぎおった。そう褒めるものではない」  その会話で理解し合うものがあったのだろうか、シャルルは芯の強い瞳をしながらも顔を綻ばせた。 「お父君の前で粗相を失礼を致しますね」 「シャルル──?」 「ジェイ様、あなたは頑固な方です。こうと決めたら必ず通すご気性で、お父君のことも『こう』と決め付けて梃子でも譲らない。前に仰っていましたね、お父君は成せなかった夢をあなたに押し付けているのだと」  俺の手を両手で包み込む彼に戸惑い、着席した父上の穏やかでお寂しい顔つきに更に困惑する。 「僕、直接お会いして分かりました。公爵閣下がジェイ様とラディル様、ご兄弟で番になることを嘱望(しょくぼう)されたのは──、あなたに、家族になってほしかったからでしょう。それが閣下の、最良の家族の形だった」 「父上と母上は私の養父母で、ラディルの両親。家族だよ」 「愛情を拒み、線を引くあなたは、本当に家族だと思っていますか?」  俺の生い立ちは恋人とその家族に伝えている。  両親に惜しみない愛情を注がれて育った少年の、慈悲深くも鮮明な問いに答えを(きゅう)する。  シャルルの言う家族と、俺が両親に感じているものは異なっていた。 「ジェドはね、幼き日に家庭教師に(いつわ)りを吹き込まれ、私達との間に溝があることを良しとしてしまった。ラディのためと我が家に来てくれたが……」 「元より、私は期限付きの養子ですよ。ラディのための兄です」 「ジェド──!」 「あなたの責任感が、ご両親とのすれ違いを強めているようです。意見の違いがお2人をより頑なにさせている。ジェイ様、何がそこまでお父君を憎く思わせるのか、あなたは今、お伝えするべきです」  フェロモンを放たない代わりに、肌のぬくもりと体温が俺を安らげてくれる。  いつになく淑やかで優しげな双眸に、以前零してしまった当家の恥を口にする。 「父上、私はあなたを軽蔑しています。兄弟の(まぐわ)いを望むことも、母上を(ないがし)ろにしていることも許容しない」 「蔑ろだと?」 「奥様は、ベータでいらっしゃるのですよね? そして、初恋の方は、オメガ……。恐らく、それが理由かと」  一触即発の俺達に焦り気味に口を挟んだシャルルに、父は(ひらめ)いたかのように口を縦に開けた。 「あぁ……! それでお前は──、それでか、それで私を睨んでいたのか!」 「2人は何を通じ合っているのです?」 「ジェド、我が妻ペネロペ、息子ジェドリグとラディルに誓って、私は家族を裏切ったりなどしない。過去に囚われているのでもない。しかし──、かつて慈しみ、この手を離れていったオメガが番と共にいるのを見ると、郷愁とも言うべき感情が蘇る。その気配に、幼いお前は裏切られたと感じたのだね」  どうやら、一般的か強い特徴を持つアルファとオメガの2人には、俺が察せぬ共通認識があるようだ。 「ジェイ様とラディル様から聞くお母君の印象が、大きく異なっているのが気になっていました。あなたはきっと、思い違いをされている」 「我が息子がアルファ性を忌み嫌い、第二性を(うと)むのは、父が(うら)めしかったからか──(ようや)く得心がいったよ……」 「父上……?」  弱々しい吐露にいよいよ動じる俺に、父上は滅多に見せない──それこそ母上やラディに向けるような目で微笑まれた。 「シャルルさん、この分からず屋に言ってはくれないか。私の言葉は届かない」  頷いたシャルルは身体ごと俺に振り向いた。 「お父君がアーシュレーを認めないのは、あなたの帰る場所を守りたいからです。あなたはミカフォニス家のご子息であることを拒絶したまま家を出られた。今アーシュレーが受け入れられたら、あなたは安心するでしょう? ミカフォニス家に戻らないと決め、居場所ではなかったと晴れやかに了得(りょうとく)する。2度とご両親を、もしかしたらラディル様まで振り返らない。そんなの……あなたを愛しておられるご家族にとって、余りに悲しくてならないことです」  シャルルは、何を言っているのだろう。  大きな瞳から流れる透明な輝きに、俺はいつかの父上の言葉を思い出していた。 「愛している方へ思いが届かず、過ぎ去っていく背中を見つめることしかできない苦しみを、僕はよく知っています」 『何故愛していると伝わらない』と、俺がミカフォニスの家を出ると告げた日に父上は申された。  俺の中の愛憎が、父上や母上、我が弟ラディルの言葉を歪めていた、いや、真に理解することができなかったのだ。  泣き濡れる恋人の訴えに心の鎧が解けていく。 「愛情深い方、あなたの弟君と未来の義弟(ぎてい)夫夫(ふうふ)を愛しているのなら、頑なをお続けになってはいけません。あなたはかつて僕に認めなさいと仰った。過去と今の有り様を真摯に受け止め、ご自分が何を為すべきで、何を成し遂げたいのか、あなたの願いは何か、今一度お考えになってください」  お前は、どうしてそこまで、俺に沁み入る言葉を持つのだろう。  見つめ続けていたからだ、俺を愛しているからだ。 「シャルル、席を外してくれないか? 父と話しをしなければならない」 「ええ」  お前が離れて行くのがとても辛いが、お前が言うように、為すべきことを為さねばならん。  己を信じ家族を思い、必ず望みは達すると我が最良の選択をして、未来のためと成し遂げよう。  立ち上がるシャルルは朗らかに愛おしく頬を緩めている。  そうも笑い掛けてくれるな、お前が立ち去るのが辛くなるではないか。 「シャルルさん、君のような人が息子の番になってくれたことを喜ばしく思うよ」  父上からの世辞ではない言葉に、シャルルは大きく目を見開き、そして目も口も固く閉ざして身を縮め、嗚咽を堪える。  あぁ、お前は、俺が塞いでいたから気丈に振る舞っていてくれたのだね。 「シャル」 「大丈夫、大丈夫…………。不安、だったので、安心しました。閣下、お見苦しいところを失礼しました。ご心配召されぬよう」  お前は俺の家族だからそうもしなやかに応対してくれるのか。  愛されていると切に感じる。  何故俺はこれから父と会話をせねばならん。 「お母君やラディル様方とお話をして来ます。ジェイ様、御心ゆくまで」 「あぁ──、時間が掛かるだろうが、待っていておくれ」  その手の甲に額を付けると、シャルルは大きく息を吐いて2、3度上擦った呼気を漏らした。  我が父を丁重に敬い退室したシャルルに、父上はこの上なく尊いものを見る目をしていた。  やがて俺にも温かく目を向けた。 「良き伴侶に巡り会えたな、ジェド」 「私には勿体ないほどよくできた、掛け替えのない恋人です」  父は在りし日の満足げな面持ちになり、腹を割って話そうと、傲慢なアルファの顔をした。

ともだちにシェアしよう!