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第9話 ねぎらい
今回の任務は、王妃殿下の私的な――つまり内密の視察に伴う身辺警護であった。大仰な警護も、儀礼的な距離も許されない任務である以上、何があっても妃殿下を守り切れる布陣が求められた。このため、ディッカー2名が随行することになったのである。
「室長、ダートはそろそろディッカーになれそうなんですかね。」
馬上からセドリック――セドリック・ローウェンが尋ねてくる。特殊室の室員であり、貴族階級出身のディッカーである。流石にこうした任務に、貴族的な儀礼を熟知していない室員を連れて行くことはやや難しい。大抵、やんごとなきお方の警護などとなると、アーネストとセドリック、それからあともう一人いる貴族出身の室員が引き受けていた。
「んん?まだ聞いてないな。なったらすぐ管理課から連絡くるけど、もう候補がいたからうちに来てたはずだし、そのうちなんじゃない?」
――――まあ、昨日の様子なら。
口には出せないものがあることに、セドリックは気づいた様子もなく話を続けた。
「入団時点で候補がいるって、あまり聞かないですよね。確か室長もディッカーとして配置されたのは早かったんですよね?やはり候補がいたんですか?」
「うわあ、それ最近流行りのセクハラなんじゃないの。番のこと探るのマナー違反よ」
えっ、それって上官相手でもダメなんですか。と慌てるセドリックに重ねて告げる。
「君、自分のウルラとどんなふうに交渉したのかとか、どんな子が番なのかとか根掘り葉掘り聞かれたら、嬉しくないでしょ」
しばらく馬を歩かせたセドリックが、すみません。と返してきた。
「俺が自慢するのはいいんですけど、そう言うふうに聞かれるのは、確かに嫌です」
大げさに頷いてみせる。馬上なので、ジェスチャーが伝わりにくいのだ。
「やだって思ったらもうセクハラなんだからな。フリードに番のこととか絶対聞くなよ」
セドリックはともかく、他のやつらは悪気なしに聞きそうだから、言っとけよ。と釘を刺すと、そうですね。ヘイデンとか気をつけておきます。と返ってきた。
アーネストが答えをまぜっ返して濁したことには気づかれていないようだ。
アーネストは、周囲からはディッカー扱いこそされているが、厳密にはそうではない。
実際には、ウルラの側に近い存在だった。
ディッカー達は、ウルラを「守るべき存在」だと疑いもせず思い込んでいる。だからこそ、室長という立場にある以上、この事実が知られるわけにはいかなかった。
目的地となる、港のある街リプルズに到着し、妃殿下の会談の様子を見守る。内容は頭に入れない。騎士は道具である。
そして、その日のご予定を済ませ、会食も(妃殿下が召し上がるにしては通常考えられないほど)簡単にお済ませになると、妃殿下は早々にお部屋へと下がられた。
随行の侍女がいくつかの書類を持ち運んでおり、視察先でも執務にあたられるのだと察する。夜になり、外は小雨が降り出していた。
「夜間警護は、私がまず控えます。何もなければ未明にローウェンと交代いたしますので、そのおつもりで。」
侍女殿へそう声をかけると、手招きされる。
「妃殿下がお呼びです。」
「私をですか?」
「はい、アーネスト・ブリュージュ師団長様。あなたをお呼びでございます。」
目を合わせることなく、あくまで妃殿下のご意志を伝える者の振る舞いとして、完璧すぎるほど冷徹に伝えられる。
「……かしこまりました。」
「お呼びと伺い、参りました。」
胸に手を当てて、一礼してから室内に進むと、侍女殿が頭を下げて退いた。
「師団長、警護中に申し訳ないわね」
とんでもないことです。答えると、手振りで椅子を示される。アーネストは、再び形式に則って一礼し、静かに腰を下ろした。
「……本当は、わたくしから直接声をかけるべきじゃないことはわかっているのよ」
すっと示されたのは、ダートの入団記録だった。
アーネストも目にしたことのあるそれに、いくつかの書き付けがある。日付だ。
「わたくしにとって、貴方は少し特別な存在なの。……わかるかしら。」
「……。」
記録から目を上げると、妃殿下が手にした扇子でアーネストを押し留めた。
「わからなくていいのかもしれないわ。ただ、貴方は十分に強い人だけど――――守られるべき存在でもある。そのことは理解しておきなさい。」
「大変、――恐れ入ります。」
妃殿下は、扇子を開いて、また閉じた。
「師団長、わたくしはね。貴方が十分に一人で戦えることを知っています。」
暖炉の火が一度だけ、乾いた音を立てた。外では、雨の音が絶え間なく続いている。
「だからこそ、無理にあなたが今、その身を犠牲にすることもない。そう考えています。」
「恐れながら。」
考えるより先に、言葉が出ていた。だが、その先に続けられる言葉が、みつからない。
「師団長。」
妃殿下の扇子が、机をトンと叩く。
「人はね、体を鍛え、剣術や魔術を学び、伸ばすことができます。」
もう一度、トン、と小さな音がした。
「それでも。心は人には見えないのです。私にも、あなたにも。」
私は、それが怖いのよ。
妃殿下はそうおっしゃると、しばらく黙っていた。
一礼して部屋を出ると、侍女殿もまた、共に退室した。
「どうかなさいましたか」
侍女殿は、一度だけこちらを見て、目を伏せる。
「妃殿下から、騎士達へねぎらいをと。」
道中警護を終えた者たちは、今頃夕食を取り、深夜番の者以外は気を楽にしている頃だった。
「お気遣いくださり、大変恐れ入ります。」
「積荷からわけてあります。あまり過ごされませんよう、お気をつけください。」
言い回しで、視察先へ下賜する酒を、騎士達にも振る舞ってくださるのだとわかった。妃殿下から下賜される酒である。もしかすると上品すぎるかもしれないが、忠誠を誓う王族からの心配りが、どれほど騎士達の心を掻き立てるか――そのことを、妃殿下はよくご存知なのだと思う。
侍女殿から示された樽を受け取り、そのまま食堂へと向かう。
「室長殿、どうされたんですか。」
アーネストが食堂の入り口をくぐると、それに気づいた騎士が声をかけてきた。とはいえ、目線は手元の樽にある。用件は、ほとんど察しているだろう。
「喜べ。ありがたくも妃殿下からねぎらいの葡萄酒を賜ったぞ。」
食堂のあちこちで歓喜の声が上がり、給仕をしていた者がグラスを取りに下がった。
それほど大きくない樽だが、十分に事足りるだろう。先程から雨が降り出してはいるが、この港では異国の血が混じった踊り子達が名物だ。この中の数名はそれを目当てに街へと繰り出すだろう。
「目的地の街は綺麗で、女達も情熱的。こんなにいい任務はないと思ってましたが、さらに褒美まだいただけるのは思ってもみませんでした」
「深夜番がかわいそうだから、あまり喜んでやるなよ」
うーん、そうですねえ。などととぼけて見せるが、こうした遠出の時の夜番深夜番は基本的に持ち回りなので、お互い様でもある。
それでも、深夜番のため仮眠をとりに行こうとしていた騎士を呼び止めて、始めの軽い一杯だけ勧める様子などを見ると、やはり妃殿下の下賜品は影響力が大きいようだ。
「室長は、夜番でしたか」
「うん。僕の分と、夜番もう一人いたろ。二人とも一杯ずつでいいから、残しといてくれよ。ひと舐めもしなきゃお礼も言えない。」
「そうですねえ。樽の中身が見えりゃあちゃんと残しとけるんですが!」
そう言って全部飲む気だろう!
そう言って笑い合うと、アーネストは一人、食堂を後にした。
妃殿下の部屋の前まで戻ると、夜番を共にする騎士と目が合った。ベテランの騎士で、ディッカーでこそないが、妃殿下の夜番を任されるだけの実力者ではある。
「ありがとうございます。先程妃殿下からねぎらいの酒を賜りました。食堂の連中には僕たちにも一杯ずつは残しておくよう頼んでおいたので。……残ってるといいのですが。」
声をひそめていうと、騎士は喉の奥で笑ってから、あまり期待せずに行くとしましょう、と小さく笑った。
廊下はひんやりと沈み、時折、蝋燭の明かりが揺らめく。外では、しとしとと雨が続いていた。
アーネストは、館内を柔らかく包む結界を展開した。
「室長、結界を展開されましたか。」
「よく気づきましたね。」
出入りを拒むものではないため、感覚の鋭い者でなければ気付かない。警護中ということで、感覚を研ぎ澄ませていたのだろう。
「これだけの屋敷をなんの躊躇いもなく包むとは、私たちとは格がちがうのだと、改めて感じました。」
密やかな声で称賛される。確かに、アーネストが結界を展開、維持できるのは自分一人の力である。だが、この騎士はおそらくディッカーとしてのアーネストを称賛したのだろう。その場合、格がちがうのは、どちらなのだろうか。
「ディッカーの存在は、ウルラの助けあってこそです。」
「……さすが。室長はおっしゃることがご立派であられる。」
アーネストの返答を、自分の能力をひけらかさない人格者の台詞のように受け止められて、鼻白む。
「いえ……、そのような……。」
その日、雨は止みそうになかった。
翌朝、途中で夜番をセドリックと交代したアーネストは、軽い仮眠のあと、体を起こすために湯を使っていた。昨晩から降り出した雨は、まだしとしとと続いており、帰りの道が心配された。
気を利かせて熱い湯を用意してくれたのか、湯をかぶると、白い湯気が一気に立ちのぼった。体を伝う熱い湯に、ぞくりと体が震える。
一つ息を吐くと、朝の透明な空気の中へ湯気が溶け込んでいく。目を瞑ってもう一度、二度と湯をかぶり、体を叩き起こした。
自分は、自分の足で立っている。そう、強く思った。
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