13 / 63
第12話 雨の夜
雨足が強まり、少し風も出始めていた。
寒くなり始めるこの季節は、雨が長く続くこともある。時に暴風を伴う強い雨も降るが、この日の風はまだ大人しかった。
「体冷えちゃったなあ。……よし、今日はここまで。」
「はい。あの、室長。……ご指導、ありがとうございました。」
あは、と思わず笑みがこぼれた。
「仕事じゃないってば〜。」
「それでも」
ダートは、真剣な顔をしてさらに言い募る。
「室長は大切なことを教えてくださいました。ありがとうございます。」
「……うん、そうだね。フリードくんが、今日感じたことを大切なことだと、そう感じてくれたらそれでいいよ。さっ、体冷えてきたし戻るか!」
言いながら踵を返すと、今度こそ、はい。と返事をして、ダートは後をついてきた。
「今日食堂のお夕飯なんだろなあ」
「なんでしょうね。……身体の温まるメニューだと、すごく嬉しいです」
遅番との交代のタイミングでそのまま川へ出てきたので、食堂は一通り落ち着いている頃だろう。温かいメニューが温かいまま、まだあるかどうか。
「あーー……。フリードくん」
「はい、室長。」
「上官と二人ってのはちょっと嫌かも知んないけど、今から戻ってもあんまりあったかいご飯にはありつけなさそうだし。どっかで食べてくか?」
自分なら上官と二人きりだなんてごめんだが、一応こんな日に連れ出した責任もあるので、聞いてみる。すると、ダートはアーネストと目を合わせて、控えめに笑った。
「いいんですか?……嬉しいです。早速、葡萄酒の約束が果たせます、か?」
――――確かにそんな約束もした。まさか覚えていて、嬉しそうにしてくれるとは。
「よし、そうだな。じゃあちょっと、いつもよりはいいとこに連れて行ってやろう。」
それは、嬉しいです。と笑顔を見せたダートに、アーネストも我知らず笑みがこぼれた。
「今日、大丈夫かな?」
ドアを開けざま店内に声をかけると、アーネストの顔を認めた店主がにこやかに頷いた。
「どうぞ、お久しぶりですね」
「ちょっと……、こんな格好なんだけど、悪い」
「あら、あら、ブリュージュさん。お連れ様も、びしょ濡れじゃないですか。」
厨房から出てきた奥さんに驚いた声をあげられる。外套を預け、体を拭く布を受け取った。
そこは、アーネストが普段騎士たちと繰り出す酒場よりは、ずっと品のいいレストランだった。
いい葡萄酒を飲みたければ、それなりにいい店を選ぶ必要がある。
「ありがとう、手間かけてすいません」
奥さんに礼を言うと、隣でダートもぺこりと頭を下げた。
「いいええ、ご覧の通り今日はこんなお天気で、お店も暇なんです。だから全然大丈夫ですよ、気にしないでくださいね」
「ブリュージュさん。ただ、あいにくと今日はそれほど仕込みがないんです。煮込みと、パンと、ちょっとしたグリルくらいなんですよ……」
客席まで出てきた店主が申し訳なさそうに言うのに、頷いてみせる。
「良かったな、フリード。あったかい煮込みにありつけるぞ」
はい。にこりと返事をするダートを見て、店主もほっとしたように頷いた。
「あとは、葡萄酒をもらえますか。初めは温めて出してもらえると……助かるかな」
奥さんはにこやかに頷くと、上を指さして言った。
「もし良ければ、上の部屋もあいていますから、使われます?暖炉の近くでお食事もできますし、今日はこんなですから、泊まって行ってくださることもできますよ」
外を示して奥さんが言うのに、少し考える。
チラとダートの顔を見ると、肩が少し上がっていて、冷えた体を縮こめているのがわかった。
「確かに、風邪ひきそうですもんね。フリード、奥さんに甘えて個室でいただくか」
「いいんですか?」
うんうん。頷くと、こわばっていた肩が少し緩んだように見えた。
温かい食事と温かい葡萄酒を、暖炉の前でいただく。ダートが興味深そうにするので、室員のことや、これまでの任務での笑える失敗談などを話して、ゆっくりとくつろいだ。
体が温まり、少し眠気も出てくる頃だ。しっかりと鍛えた体躯をしているとはいえ、まだ大人になりかけのダートに無理をさせられない。今日、ここを選んでよかったと改めて思った。
「お湯をいただいてきました」
勤務の後に汗は流してきたものの、休む前に足は温めておこうと言うことで、ダートが深めのたらいに湯をもらってきてくれた。
「ありがとう。よしよし、冷めないうちにあったまろう」
暖炉の前にあったテーブルをどかすと、ダートがそこにたらいを置く。さすが、湯のこぼれた形跡は一つもない。
早速、靴の紐を緩めて、湯につける準備をする。
「はい!お店の方が匂いのいい精油もいれてくださったので、ぜひ使ってください」
ダートの言葉に、びっくりして顔をあげると、ソファに腰掛けて満足そうに笑うダートがいる。
「使ってくださいじゃなくて、使いましょうだろ。君も靴脱ぎなさい。冷めますよ。」
「えっ、いや、自分はその……、後でいいかなと」
まあ、上官と同じたらいに足をつっ込むのは、確かに勇気のいることかもしれない。だが、せっかくダートがもらってきてくれた湯だ。本当なら彼が先に使うべきなのに。
「えー?僕とおんなじお湯は使えない?そんな寂しいこと言っちゃう?」
「いや!そんなことありません!」
ダートの返事に、へらっと笑ってみせてから、じゃあ一緒に使おう。冷めちゃうよ、と声をかけて、靴を脱いだ。
ふんわりと、柔らかな花の香りが鼻先をくすぐる。捲り上げた裾に、ほんの少しだけ水が飛んでいた。
暖炉のそばに、沈黙が落ちていた。
雨音は、まだ続いている。
アーネストは、グラスを持ち上げて、ゆらゆらとゆすった。妃殿下に下賜されたものには到底及ばないだろうが、いい葡萄酒だ。
少しだけ赤らんだ頬を見る限り、ダートは、葡萄酒を心置きなく楽しむにはまだ若いのだろうとも思った。
――ま、普段と違う酒も、頑張ったご褒美にはいいもんだよな。
奥さんの気配りで添えてもらったナッツを口に放り込みつつ、グラスを揺らして尋ねてみる。
「飲んでみてどうだった?」
ぽうっとした顔をしていたダートが、アーネストの顔を見上げる。ぴたっと目線を合わせて、しばし動かない。
「……どうした?」
ダートの口が開き、何かを言うように動いてから、また、閉じる。
つん、と、たらいの中で足をつついてみる。もう眠たいのかもしれない。
「――っあ」
びく、と、ダートが足を引いた拍子に、パシャと水が跳ねた。たらいの中がゆらめいて、アーネストの足にも波が触れる。ふと下を見てから、びっくりしたように体を起こしたダートは、グラスを持った両手を、パッと太ももの上に下ろした。
「っおい、溢れるぞ」
慌ててグラスに手を伸ばすと、ダートはびくりと体を跳ねさせて、肩をこわばらせた。そのまま唇を噛み、息を吸い込む。
「――なんだよ、寝てたのか?そんな気にすんなって」
そう言って、アーネストはダートの手からグラスを取り上げると、テーブルに置いた。
「あったまっただろ。先に寝台使っとけ。」
そう言うと、チラとアーネストを見上げたダートの体から、ゆっくりとこわばりが解けていった。
「あの……、もう少しだけ……ここにいます。」
「ん、そうか?まあでも、もう酒はやめとこうな。」
「はい。――でも、あの、ありがとうございました、今日。」
うんうん。きちんとお礼の言えるいい子だ。
嬉しくなって頷いてやると、ダートは太ももに肘をついて、両手で顔を――鼻と口を覆った。はあ、と、ため息が聞こえてくる。
寝台に行く時は、支えてやったほうがいいかもしれない。
ともだちにシェアしよう!

