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第13話 雨上がり

 案の定、ベッドの一つしかない部屋で、ダートは上官と一緒に休むことをためらってみせた。だが、正直こんなことで風邪でも引かせるわけにはいかない。  そこは上官として譲ることはできなかったので、はい、寝なさい。と、ダートを寝台に突っ込んだ。 「飲ませたのは俺だからね、火の始末は請け負うよ。先に寝て、お布団あっためといてね。」 「あの、すいません」  いいからいいから。せっかくあったまったんだから、早く早く。そういうと、ダートはようやく横になり、寝台の窓側に寄った。 「あんまりそっち行きすぎると夜冷えるぞ、もうちょい真ん中寄っとけ。俺がそっち行こうか?」  言ってから、いや、と否定する。 「でも起こしそうだし、場所はまいっか。もうちょいこっち寄っとけ」  アーネストの言葉に、ダートはじりじりと寝台の中央に近づいてきて、ここでいいか?と、こちらを見上げた。 「かっ……」  ――かっわいい!  口にしかけた言葉を飲み込むと、ぎゅ、と、鳩尾に力が入った。短く息を吸って、うんうんと小刻みに頷く。  それから、唾を飲み込んで、ダートに声をかけた、 「じゃ、ゆっくり休めよ。おやすみ」 「はい、……おやすみなさい」  それから、アーネストはできるだけ静かに暖炉の薪を崩し、火かき棒で丁寧に燠をならした。雨はまだ続いており、朝まで火を持たせたほうがよさそうだった。  手拭いで煤を拭うと、水差しの中身を見て、グラスを近くに置いておく。不要な蝋燭を消してまわれば、寝支度は完了だ。  だが、ダートが寝入るまで、少し時間を空けたほうがいいだろう。アーネストは暖炉近くの椅子に腰を下ろし、ゆっくりと背中を預けた。  ――――まずは水。次に、火。いや、土……、か。  この先ダートに教え込む基礎魔法について思いを馳せる。  ダートの基礎魔法は、繊細さと強さ、範囲の大きさ、特性の理解に及んでも、十二分に思えた。優、もしくは秀も取れていたかもしれない。  本人には、人より上手くならなくてもいいとは言ったが、上手く制御できるに越したことはない。特に、それが命にかかわることであれば。  パチ、と小さな音がして、ずいぶんと考え込んでいたことに気づく。そろそろ寝た頃だろうと、アーネストは腰を上げた。  毛布を持ち上げ、そっと体を滑り込ませる。ベッドには、ダートの体温がほんのりと沁み渡っており、アーネストは軽く息を吐いた。  こちらに背を向けたダートに触れてしまわないよう、アーネストもゆっくりと横を向いた。  先程まで目にしていた澳のゆらめきが、残滓になって視界を行き来する。背中に忍び寄った暖かな空気に、アーネストは目を閉じた。  雨上がりの街を、柔らかい霧が包み込んでいた。アーネストは、早番で出勤する者達の出迎えに間に合うよう、早いうちに店を後にした。  夜の間中、アーネストはダートのみじろぎで意識を取り戻すことがあった。明け方近くにようやく、ダートの静かな寝息が聞こえてきて、どうやら緊張していたようだと察する。主人に言伝を頼み、アーネストは、静かに部屋を抜け出してきたのだった。   「室長、おはようございます。今日は久しぶりにお早いですね」  官舎の入り口で声をかけられる。相手の口元に浮かんだ笑みに、朝帰りだと言いたいのだろうと察し、苦笑いを返す。残念ながら今日はお楽しみではなかったので。  だが、返す言葉は見つけられず、手を上げて応え、そのまま自室へと戻った。    服装を整えて執務室へ入ると、そこではすでにスコットが書類整理をしていた。ダートの育成計画書や、ディッカー達の任務報告など。 「おはようございます。こちら、室長宛に届いていました」  各種書類を差し出してスコットが言った。  礼を言って受け取り、机のわきに置く。  インク壺やペンの具合を確認してから、アーネストは書類を確認し始めた。  コンコン!  そうしてしばらく書類を確認したりしていると、少し慌しい足音とともに、ノックの音が鳴り響いた。 「室長、ダートです。ダート・フリードです。」  いつもよりやや早い口調の、ダートの挨拶が聞こえてきた。  おや、と思う。今日は遅番で、まだ店でゆっくりできたはずだ。店主には朝食の準備も頼んでおいたはずだった。 「入っていいよ、どうぞ。」 「失礼致します。室長、どうして起こしてくださらなかっ……、カーター先輩」  扉を開けざまに話し始めたダートは、スコットの姿を認めて言葉を止めた。 「おはようフリード。今日遅番だろ?」 「すみません。……おられると思っていませんでした。」  後ろ手に扉を閉めて、スコットに向き直る。そんなダートに、スコットは言葉を重ねた。 「おられようがおられまいがどっちでもいい。今のはなんだ。室長はお前のナニーじゃない」 「ちょいちょいちょい」  厳しい声でダートを叱責し始めたスコットを慌てて止める。 「違う違う、ごめん。僕が何も言わずに帰っちゃったから悪かったんだよ。ごめんフリード、ぐっすり寝てたからさあ」 「……はあ?!」  ばっ、とこちらを振り向いて、信じられないものを見る表情を浮かべるスコットに、え?と顔を見合わせ、――――気づいた。 「――っあ、ちが、違うよ違う、カーター補佐官。」  何か大きく勘違いされたに違いない。  慌てて言うと、スコットの顔からやや力が抜け、――どちらかと言うと怪訝な表情になった。 「いやいや、断じて違うから。かわいい部下をパクッと食べちゃうような悪い大人じゃないよ」 「なっ、えっ、あっ……」  アーネストの言葉に、みるみる顔を赤らめて、あからさまに狼狽した声を上げるダートが恨めしい。  スコットはもはや鬼の形相でアーネストのことを凝視していた。 「――――つまり。個人訓練に付き合ってただけなんですね。」  怒れるスコットを慌ててなだめ、昨日の出来事を二人して説明した。なお、自分の隣に座らせようとしたダートは、フリードはこっちだ、と言うスコット――カーター補佐官の一言で、スコットの隣に座らせられている。昨日はあんなに近かったのに。  しょんぼりした心地と、やっとわかってもらえたという気持ちがないまぜになって、つい猫背になってため息をついてしまった。 「そんなん、何もあるわけないじゃん……」  少し俯いて、目の端を掻く。ダートが、足の位置を直したのが視界の端に映った。深く息を吸い込む音がする。 「カーター先輩、申し訳ありません。自分が、室長に甘えたことを申し上げたことに、間違いはありません。」  ついと顔を上げると、ダートが半身を引いて、スコットをまっすぐみていた。  スコットはそんなダートを数秒眺め、アーネストの方を見て、もう一度ダートに顔を戻した。 「……まあ、室長がいいならいいんだけど。」  ――――二度と人前で同じことするなよ。 「はい。十分注意いたします。」  アーネストは体を起こし――――眉間を揉んだ。   「遅番に入るまでは自由時間だろ、せっかく朝から出てきたんだから、鍛錬でもしてこい。」  立ち上がりながら言うスコットに、素直に返事を返したダートは、椅子から立ち上がると、ご指導ありがとうございました、とスコットに一礼した。  なるほど、アレはスコット仕込みか。  その様子を眺めながら執務机の前に座り直すと、スコットからまた軽く何か言われていたダートが、アーネストを追いかけて執務机の前に立った。 「ん?」  一度、腰のあたりで握り締めた左手を、開いてから剣の柄に添え、しかし、アーネストを見つめたまま、ダートは黙り込んだ。  唇が、きゅっと強く噛み締められたのを見て、アーネストは口を開いた。 「礼は昨日受け取ってるよ。気にしなくていい。あー、先帰っちゃってごめんね」  小さく揺れたダートの顔に、ん?と促すと、ダートは、口を開き、一瞬唇を震わせてから言った。  「いえ……、いえ、ご指導、本当にありがとうございました。」  うん。軽く頷いて笑ってみせる。それから、忘れないうちに大切なことを伝えておくことにした。 「ああ、フリード。続きの練習の話だけどな、――官舎は使えないから。俺の家でな。」  はっ、と小さく息を吸ったダートは、少し間を開けてから、小さく頷いた。 「はい。承知いたしました。……どうぞよろしくお願いいたします。」 「次の遅番の前な。よろしく」  今度こそ、こっくりと頷いたダートを見て、下がっていいよと手で示す。  礼儀正しく一礼して、ダートは執務室を後にした。   「あの、室長」  ダートを見送った後の執務室で、スコットに呼ばれる。 「ん?」  その続きが来ないので、顔を上げると、スコットがうなじの後ろを掻きながら言った。 「フリードの交渉って、管理課から何か聞いていることあるんですか?」  一瞬の間が空いた。 「んーー、……いや?」  上官としては、特に。  少し、まずかったかな。と思う。今のは、何かある言い方だ。  自分は、あくまで指導担当ですので。そう前置きしてスコットが言う。 「室長のところでご判断されるべきことがあることも、承知していますが。……自分が、何か知っておくべきことや、何かできることがあれば、と思いまして。」 「――うん。ありがとう。カーター君に知らせるべきことがあれば、すぐに共有するよ」  共有すべき事項――ディッカーの正式任命の報せは、ほどなくしてやってくるはずだ。  そう考えながら、スコットに答えた。

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