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第16話 覚悟
「一応お聞きしますが、室長はどうなさりたいですか?」
いつもの部屋で、管理課課長のセロが言った。
ダートとこのまま番いになるかどうか。つまり、交渉を続けるか、破棄するか。と言うことだ。
その日の朝、アーネストの元には管理課からの通達が届いていた。特殊室長のアーネストにとって、管理課からの通達はよくあることだったが、この日のそれは、珍しくアーネスト個人に当てられたものであった。
曰く――――
交渉開始からひと月弱、四回に渡る交渉を経ても成立しておらず、双方――特にウルラ――への負担が懸念されること。
ウルラの尊厳保護のためにも、交渉の一時――――または永続的な停止を検討されたい。
――――というものだ。
ほとんど、予想だにしていなかった。
それほど、この組み合わせは唯一無二のものだと、思ってしまっていた。
自分は、数少ないウルラの器でありながら、波長の合う相手がおらず、入団から7年、番いを持たずにきた。だから、この組み合わせは唯一無二であり、取り上げられる可能性があるとは、思ってもいなかったのだ。
四回、外を合わせれば実際には五回。数だけをみると、確かに多い。多いのだろう。
管理課が気にするのも、無理はないのかもしれない。
同じ封書は、明日にはダートの手元に届くだろう。そして、解消が決定されれば、ダートは特殊室からは異動となるに違いない。
特殊室――特殊師団は、ディッカーのための師団なのだ。
わかっている。
「フリード次第ですかね。」
書面をテーブルに置いて、軽く肩をすくめる。
「俺は別に負担も何もないです。なんなら、せっかくなんでウルラにはなっておきたいかなと思ってますよ。」
「そうなんですか。――――必要、ないですよね?」
そうだろうな、と思う。
普通のウルラは、ウルラとなっても表向き何も変わらない。
ただ、ディッカーの魔力の器となり、日々、道の感覚を反芻するだけだ。
――――まあ、それだけじゃあんまりなので、年金なんかの配慮もあるらしいが。
「必要はないですよ。俺はディッカーもどきとして師団長まで任されてる。これ以上の誇りを求める必要もない。」
ですが――、前置きして、さらに言葉を続けた。
「だからこそ、ですかね。普段から、俺は特殊室にいて、周りをディッカーばかりに囲まれてます。周りからはディッカーだと思われていて。
だから、ディッカーって奴らが何を考えてるのかは、多分、手に取るようにわかります。
――――だけど……、ウルラの考えていることは、本当にウルラが感じていることは、ウルラにしかわからない。」
言い切ってから、少しだけ、セロに対して失礼だったように感じた。管理課ほど、ウルラの尊厳を守るという職務に忠実に動いている人間はいないので。
「――のかな、とは思うんです。」
しばらく沈黙があった。
「だから、室長は、ご自分がウルラになりたい。と?」
「そうですね。まあ、なってみたからって、他のウルラが何を考えてるかまで、わかるようになるわけじゃないでしょうけど……。そもそも、他人が何を考えてるかなんて、簡単にわかるもんでもないですから。」
言い訳めいたことを言うと、セロは小さく息を吐いて、笑った。
「それにその……。これが俺にとっては最後のチャンスなんですよね。番いの候補がでるのなんて。なので……まあ、ちょっとしたわがままでもあります。」
「いえ。いえ、なにか責めたいわけではないですよ。――ただ、そうですね。……室長らしいなと思いまして。」
セロは、テーブルの上の通達に視線を落とすと、少し口元を緩めた。
「これは、妃殿下のご配慮によるものです。」
そうだろうな、と思う。ウルラに、ならなくてもいいのだと、赦しをくださっていた。
「はい。お心遣いには、本当になんと言っていいか。」
「いいえ。ただ、妃殿下は――、これがいらぬお節介かもしれないことも、十分わかっておいででした。」
「……そうですね。俺の希望としては、このまま番いたいです。ただ、あまり時間をかけるべきことじゃないこともよくわかっています。」
つい、とセロが通達文の一部分を指差す。「ひと月」の部分だった。
「ここまでは待ちます。ディッカー候補どのにも、そのようにお伝えします。」
ほんの、あと五日。
「――――わかりました。」
間違いなく、プレッシャーになるだろう。
本音を言えば、伝えないで欲しかった。だが、すでに通達は発せられていた。夜明けとともにダートの手元に届くだろう。
狼狽えるだろうか。――――泣く、かもしれない。
あのうるうるお目目から、水滴がこぼれる様を想像してしまうと、両手で顔を覆い隠してしまいたくなった。
通達を受けて、交渉の場はすぐさま用意された。ダートとしては深夜勤明け。通達を受け取って、その夜には交渉に挑む形だ。だが、あまり考える時間を与えないほうがいいとも思う。
アーネストはその日、通常通りに執務をこなした。体を動かすため訓練場で室員と汗も流し、いつも通りに勤務を終えた。
官舎に戻って汗を流し、香油を手に取る。ダートのためにこの準備をするのも、実にもう六回目。
これが、最後になることを願った。
アーネストが部屋に入ると、ワゴンの横で、茶葉の量を慎重にはかっているダートがいた。
「フリード」
ガチャ。
ポットの中にスプーンが落ち、思いのほか大きく音が響いた。
「悪い、急に声かけて。大丈夫だったか?」
「室長。――は、いつも、なにも、悪くないです。」
ん、そう?
敢えて何もわからないフリをする。通達のことは、ダートのもの慣れなさと、アーネストの浅慮の賜物だ。
ただ、今のダートに、君が可愛すぎてだね……。と謝るのは、多分、何か違う。と思うので。
「お茶淹れてくれてんの?ありがとう、いただこうかな。」
「はい。」
ソファに腰掛けて、ダートの手元をなんとはなしに眺める。一つひとつ、手順を確かめるようにするのをみて、慣れてはいないんだな、と感じる。
やがて、緊張した面持ちのダートが、湯気を立てる紅茶をアーネストの前に置いた。
「……ありがとう、いただくよ。」
ダートが座るのを待って、ソーサーごとカップを持ち上げる。香りを楽しみ、口をつけようとして――――、
「……あー……、フリードくん」
「は、い」
じっと見つめられているのに気づいて、苦笑いが出てしまう。
「ごめん、それ飲みづらいな」
前とは逆の立場だと、気づいて気恥ずかしくなる。
「――あ、っすみません。」
「いや」
口をつけて、一口だけすする。流れ込んできた紅茶は少しだけ渋く、ダートの頑張りの味がした。
「おいしいよ。ありがとう。」
ダートが、カップをテーブルに戻すのを見計らって、聞いてみる。
「通達は読んだか?」
小さな音を立ててテーブルに置かれたカップは空で、ここで切り上げるのにはちょうどいいタイミングだった。
ダートは、やや間をおいてから顔を上げ、はい。と短く返事をした。
しばし、黙って見つめ合う。
先に口を開いたのは、ダートだった。
「室長に、ご負担をかけていることに、間違いはないと思っています。」
いや、と、口を挟みそうになったのを、こらえる。
その言葉を聞くべきだと、思ったので。
「――ただ、すみません。自分は、あなたに、自分のウルラになって欲しいです。」
なぜだか、胸の奥をぎゅうと掴まれたような感じがした。
それで気づく。自分はいつも、ダートのことを優先しているようで、ダートを個人としては見ていなかったことに。
自分のディッカーが、ちゃんとディッカーになれるよう。
自分のディッカーが、セックスを怖がることがないよう。
自分のディッカーが、制度のせいで個人の大切な経験を棒に振ることがないよう。
そして、――自分のディッカーは、もうおそらくダート以外にいないから。
番いたい自分のために、ダートのことを誰よりもディッカーとして見ていたのは、自分だったことに。
――だが。
「――あ……、フリード。その。」
気づいてしまったことを、うまく言葉にできなくて、言い淀む。
それでも、ダートが差し出してくれた本音に、嘘やごまかしを返したくもなかった。
重ねた手のひらを見つめながら、言葉を探す。その中に、答えがあるわけではないのに。
「正直なところ、俺はお前のこと、かわいい部下で、……後輩だと思ってる。自分の番い……候補だし、大切にしたいとも思ってた。」
だが。それだけでは、足りなかった。
「ただ、じゃあ、お前自身のことを、ちゃんと見て、番いになりたい、と。そう思ってたわけでは、ない。」
そこまで言って、顔を上げる。
ダートは、少しアーネストを眺め、それから、わかっていると言うように頷いた。
「でも、室長は、自分に判断を預けて下さった。……ですよね。」
「……ああ。」
一度だけ、ダートが唇を引き結び、一呼吸おいてから、言った。
「ですから。すみません。俺は、室長を逃がせないです。
――――今から、交渉が成立するその時まで。
その間だけ、俺の恋人になってください。」
何が、ディッカーの気持ちが手に取るようにわかる、だ。
何が、ウルラの気持ちはウルラにしかわからないだ。
何もわかっていなかったのは、自分自身で、どちらでもない立場から、何の覚悟もなく、形を欲しがっていただけだった。
しばらく、沈黙だけがそこにあった。
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