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第18話 役割
ひとしきり泣いて落ち着いたダートは、アーネストから体を浮かせると、鼻先同士を、一瞬だけ擦り合わせた。
アーネストはそれには応えず、頭を撫でてやってから、体をずり上げて体を起こし、ダートの下から抜け出した。
「……ありがとうな」
同じように体を起こしたダートに、手拭いを渡してやる。少しひんやりする夜の空気を感じながら、腹の上と、尻の間を拭った。
「この後、管理官を呼んで、道の確認がある。その前に、身支度をしておこう。」
悪いけど、先に湯を使うからな。
そう告げて寝台を降りる。ずっと折り畳まれていた足の違和感は少しあるが、特に問題になるほどではない。
ダートは、本当に、何も残してくれなかったかもしれない。
湯を使い、身支度を整え、ソファに身を預ける。
壁の向こうからは、ダートが湯を使っている音が聞こえていた。
背もたれに頭も預けて、目を閉じる――
「室長」
しばらくそうしていると、いつのまにか、支度を終えたダートがソファの隣に立っていた。
「――あ、悪い。」
「いいえ。その、そんなところで寝ると、風邪をひきます。」
「うん、気をつけるよ。」
勤務外とはいえ、気を抜きすぎていた。
反省して、口を開く。
「よし、管理官を呼ぼうか。」
ダートの顔を見上げると、少し硬い顔をして、頷いた。
室内に入ったセロは、淡々と状況を確認し、そのままダートにヒアリングをした。
「遠隔操作は、どの程度まで可能になりましたか。」
「訓練場の端から端程度までは、何とか。」
セロは、ダートの答えを受けて少し考えると、アーネストを見た。目で問われて、訓練場の広さを思い出してみる。
「だいたい500メートル程度ですかね。」
「……なるほど。」
アーネストの答えを受けて、セロが手元の書き付けに何かを書き込んだ。
「目視範囲外ではいかがですか?」
「……まだ、十分かどうか、自信はありませんが。」
その答えを聞いて、セロが頷く。
「よろしいでしょう。」
書き付けにまた何か書き込むと、セロはダートに、浴室へ下がるように指示をした。
「譲渡で道の状況を確認します。そちらへ下がってから、魔力を飛ばすイメージをしてください。室長に向けて意識的にやってくださっても結構です。」
セロの言葉に、ダートが息を呑む。少し間を空けて、問い直した。
「はじめは、ここではダメなのですか。」
沈黙が答えだった。
「……室長、はじめてよろしいですか?」
小さく控えたセロの声に、頷きだけで返す。
ソファに身を預け、リラックスした体勢で待つ。
「では、1分計ります。……始めてください。」
セロの声に、遅れてダートの声が聞こえた。
「はい。――――始めます」
ふいに。
その声に、どうしようもなく胸の奥を掴まれたような、ひき絞られるような、それでいて、すぐにダートのところへ行って、大丈夫だと頭を撫でてやりたくなるような。
――――好きだ。
そう、思った。
アーネストが小さく息を呑んで、頭を起こして視線を彷徨わせると、こちらをじっと見つめるセロと目があった。
少しの間他に何も考えられず、その目を見返して――、それから、体を起こして、膝にひじを預ける。手を組んで、じっと見つめて、それから、……それから――――。
これは、感覚ではない。
――――感情だ。
「やめてください。」
セロの声が、はっきりと聞こえた。
途端に、どうしようもないような胸の痛みも、泣きたくなるような喉のつかえもなくなる。
ただ、騒がしくなった心の中身だけ、ぽんとアーネストの中に残った。
――――今のは、何だ?
「……室長?」
俯けていた顔を上げると、先ほどと同じ表情のままの、セロがいた。
「……あ、すまない。」
「いいえ。……何か、感じましたね?」
押さえた声で、また問われる。
感じた。確かに。
体ではなく、心で。
「は、い」
「辛さや、痛み、耐えがたい感覚などは、ありませんでしたか。」
「いや、――いや、そういう、そういうのは、何も。」
セロの目が、僅かにすがめられる。
「それでは……、一体、何が?」
「そう――ですね……。」
今のこれを、何と呼べばいいのか。感覚、感覚と、言えば。
「――――っ」
急に恥ずかしくなって、言葉が出なくなった。
今のこの感覚を。
胸の奥を捕まれて、喉がつかえる感じがした。
と、この管理官に、伝えろと?
「――わかりません。……わかりません、が、不快でも、苦痛でも、どちらでもありません。」
しばし――――、沈黙があった。
セロの目が、容赦なく自分を観察していることを感じた。
だが、これは、これこそが――、誰にも侵されるべきでない、守られるべき場所なのではないか。
そう、思った途端に、ヒヤリとするものがあった。
なぜなら、アーネストでなければ、誰も、この観察に気づくことすらないはずなのだから。
「フリードさん、結構です。お戻りください。」
セロの声かけで、ダートが戻ってくる。ダートの、気遣わしげな視線に頷いて答えると、ますますダートの顔が心配げになった。
「フリードさん、室長殿。」
呼ばれて、セロに目線を戻す。
「長らくお疲れ様でした。そして、ありがとうございます。先程の魔力譲渡にて、アーネスト室長へ、フリードさんの魔力が十分流れたこと、それから、アーネスト室長の受容耐性に問題のなかったことを確認いたしました。」
セロの言葉に、ダートが重ねる。
「……つまり?」
「つまり、これにて、お二人の番いの交渉は成立し、同時に、交渉期間も終了となります。――――長らく、本当にありがとうございました。」
ああ、――――終わったのだ。
そして、もしかすると、今こそ本当に始まったのだ。
覚悟を問われた、自分の役割が。
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