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第20話 震える
その晩。アーネストは官舎ではなく私邸に戻っていた。
「ダートの魔力が空になる」まで魔力を注ぎ込まれて、いつ人が訪ねてくるかわからない官舎で、冷静を保てる自信が、……正直まだなかった。
「おかえりなさいませ。」
私邸に戻ると、臨時の使用人が出迎えてくれた。
「ありがとう、急に申し訳ない」
礼を言うと、目尻に皺を寄せた笑顔で返される。
「とんでもないことですよ。さ、お食事は支度してありますので、ごゆっくりなさってくださいね。」
その言葉に、領地の家を思い出すような、どこか懐かしい心持ちになった。
使用人を帰宅させ、湯を使ってから、用意されていた食事を済ませる。暖炉の前で、転移魔法の考証を眺める。
――ダートに読ませておかないといけない。
部下のことを思い出していると、ふいに首元の共鳴具が、微かに震えた。
胸元から鎖を引き出し、指先でつまみ上げてみる。共鳴具は、弱い光を回路に湛えながらしばらく震えていたが、やがておとなしくなった。合図とはこのことだろう。
薄い金属片の端に収められた、灰色をした小粒の石が、暖炉の明かりを受けて時折青く光る。
――あ、そうか。
ダートのうるうるお目目を思い出して、――――両手で顔を覆った。
魔力譲渡が始まったようだ。
――――はぁ。
しばらく耐えていたが、くすぐったいような胸の痛みも、震えも、一向に収まりそうにない。
誰もいない自宅だと言うのに、今の自分の顔を見られるのが恥ずかしくて、顔を上げることもできない。
ため息をついてみても胸の締め付けを逃すことはできず、どうしようもなくなって呻き声が漏れた。
あいつ……、なんてもの残してくれたんだ……。
悔し紛れに悪態をつくと、ついダートの顔が――うるうるお目目、ではなく、こちらを睨みつける強い瞳が――よみがえる。
「ああもう、何なんだ。」
一言で乱暴にまとめてしまえば、ときめきや切なさと呼ばれるような気持ちが、暴力のように今、降り注いでいる。
いや、沸き起こっている――のか。
指で覆われた視界の隅に、胸元からこぼれ落ちた共鳴具がゆらゆらと揺れていた。
その甘ったるくも辛い時間は、その日から演習の日まで、欠かさず毎晩一時間以上続くのであった。
「室長、最近お忙しいんですか?」
「んー?」
演習へ向かうため、馬具の点検をしていたところで、ヘイデンに尋ねられる。
「なんか疲れてません?」
「え?そう?」
とぼけてみるが、心当たりしかない。
頬を撫でてみて、髭の剃り残しでも探してみるフリをする。
すると、ヘイデンに反対側の耳元のあたりを指で示される。
「ん?」
「や、剃り残しこっちです。」
「……ああ、まじか」
それから……、と、少し言いづらそうにヘイデンが続ける。
「ついこの間は、口んところも怪我されてましたよね。」
「あー……」
親指で、噛み付かれたところを押さえる。傷はもう、癒えていた。
「剃り残しも剃り負けも珍しいですし、お忙しいようなら、俺…らにも仕事回してくださいね。」
「ふっ、はは」
自分に、とは言い切らないのが、書類仕事の苦手なヘイデンらしい。思わず笑い声が出てしまった。
「……室長!」
ダートの声に首を巡らせると、こちらに駆け寄ってくる姿があった。晴れてディッカーとなったダートは、ほかの室員とおなじ、サーコートに徽章の出立ちだ。
「ん?どうした?」
「あの、お話し中すみません」
ああ、いーよいーよ、雑談だから。そう返すと、一拍間をおいて、ダートが続ける。
「その、馬のご用意、ありがとうございました。」
「おお、めでたく正式配属したからね。気は合いそうかなあ」
誇張なく千人力のディッカーを、いつでも身軽に動かせるよう、室員には各々相棒となる馬を用意している。
ダートには、まだ成長するだろう体をしっかり支えてくれそうな、足腰の強い馬を探しておいた。体は大きめだが、その分気性は穏やかで従順。持ち主となるダートの性格に合っているだろう。
「はい。大事にしてやります。ありがとうございます。」
うん。そう一言頷いてから、思い直して続ける。
「その子は、これからの君の相棒になる。いざという時に信頼をおける関係を作れるかどうかは、これからのフリードにかかっているから。」
もう一度、頷いてやる。
「きちんと世話をしてやりなさい。」
「……はい。」
「あれ、室長、あれ言わないんですか。俺ん時にはあったのに。」
ヘイデンの言葉に、カッと体温が上がるのがわかった。「あれ」が何を指しているか、わかっていてあえて省いたので。
「いや、最近のディッカー候補をみてたら、釈迦に説法なのかと思ってな……」
「えー、俺結構感動したんですよ。もっかい言ってくださいよ。フリード、お前も聞いといたほうがいい。」
勘弁してくれ。
心中でヘイデンの首を絞めながら、覚悟を決める。
いつも通りに言える気がしない。自分はいつもこんな恥ずかしいことを、さも当たり前のように言っていたのか。
「あー、その、フリード。」
「はい」
何か大切なことを言われる予感に、ダートがごくりと唾を飲む……音が聞こえた気がした。
「……騎士達の相棒は、馬だ。君らの機動力となり、ともに戦い、時には疲れを慰め合うこともあるだろう。
だが、君らには同時に、ウルラと言うかけがえのない相棒がいることも忘れてはならない。
ただ、魔力を預ける便利な相手ではない。彼らの献身と、信頼を受けてはじめて、ディッカーはディッカーであることができる。」
サーコートを着ている時で良かった。
なぜだか、うるさいほど胸の音が自分の声を邪魔している。そのせいで声が震えているのではないかと思えるほど。
「……彼らは、君らの隣にはいない。だが、彼らの誇りは君らそのものだ。」
何とか言い切って、胸元に拳を当てる。
「彼らの誇りに、恥じない己でありなさい。」
風が吹いて、頬を撫でていった。
瞬きをして、息を吐く。
ダートの目が、まっすぐ自分を射抜いていた。
「――はい。自分のウルラに、決して恥じない、……自分で、あります……。」
――――あ、泣いた。
こぼれそうになった涙は、ぐいとダートのこぶしで拭い去られ、ヘイデンが鼻をすすり上げる音にかき消された。
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