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第23話 流れ

 最近崩落した、という山側の斜面を補強していると、胸元で共鳴具が震え始めた。周辺に動物や人影がなく、巻き込まれるものがないことを確認して、胸元を一回、叩く。  しばしその姿勢のまま、沼の水の流れを注意深く観察した。  ――――来た。  詰まって流れなくなっていた水路の近くで、空間同士を繋げる間隙が開いたことがわかった。水の流れがその間隙を目掛けて動き始めたからだ。  水路の空間の大きさ、深さに合わせて空間が開けられており、ダートの空間魔法の制御精度の高さに舌を巻く。  ほとんど、自然の状態に近い形で、無理なく沼地から水が流れ出していった。  水路はそれほど狭くなく、土砂の堆積さえなければ、沼地の増水はいつも速やかに解消されていたのだろう。  そうしてアーネストは、広い沼の水位が、時間をかけてゆっくりと下がっていく様子を見守っていた。    日が傾き、あたりが薄暗くなり始めた頃、沼の岸に生える草の根元が見え始めた。ダートが開けた、隙間から流れ出る水の流れも弱まりつつあり、これが、最近のこの沼における定常的な水位なのだと想像された。  そこからさらに半刻ほど水を流し、道の脇の水流も十分であることを確認する。それから、再び胸元を三回叩いた。  ほどなくして間隙が消えた。そのとき、ほんの一瞬だけ、共鳴具が震えた。  村に立ち寄り、顔役の男に状況を伝達する。水位は調整したものの、流れを改善したわけではないこと。溜まった土砂の解消がなされるまで安心はできないが、原因の特定はできたので、解消に時間はかからないと思われること。  話を聞いた男の顔が、ほっと緩む。その様子を見て、ダートにも、この顔を見せてやりたかったと感じた。  村を離れて、馬を走らせる。今日は、水がそこにあると言うのに、土手に上がれない間はのませてやることもできなかった。かわいそうなことをした、と思う。  今日、夜間立ち寄る拠点でしっかりと休ませてやらなければならない。  しばらくは走らせている間に、日はすっかり沈み、辺りは暗くなっていた。馬が怯えない程度に、道行きを魔法で照らしてやる。ダートは拠点へ行ったことがない、まだ川べりで待機しているだろう。  待たせていると思うと、無意識に脚に力が入った。それを合図に、馬の足も、わずかに早まった。 「――室長!」  前方から声が聞こえて、手綱を軽く引く。魔法で照らされた先から、ダートが馬を走らせてきた。 「やっぱり。こんな魔法使うの、室長しかいないと思いました。」 「……ああ、そうかな?便利でしょ。」  便利かもしれませんが。そう言ったダートは、馬の向きを変えるとアーネストに並んだ。 「――沼は問題なかったでしょうか。」 やや自信なさげに問うてくる部下が微笑ましい。やはり、先ほどの顔役の男の顔を、見せてやりたかった。 「問題ないよ。と言うか、上出来すぎて僕の指導するところが一切なかったよ。参ったなあ。」  ほの明るい光に照らされたダートの瞳から、力が抜けて少し目尻がたれた。  さ、行くぞ!  そう声をかけて、拠点へ向けてまた道行きを照らす。  馬を走らせ始めたところで、「自分も使えるようになりますか!」そう聞いてくるのに、「頑張れ〜」と返す。  アーネストにとって、魔法とは、とにかくイメージなのだ。  その晩立ち寄った拠点は、思いの外多くの騎士や、その従卒らがおり、普段にない賑わいを見せていた。聞けば、領地に戻る国境伯の一団とかちあったらしい。  報告書を託したスコットは、明日の確認ポイントより手前にある水場もいくつか見回ってきたと言う。今日の沼の件と合わせて細かいところを確認し、情報を共有した。  明日は、予定通りのポイントを確認することで良さそうだ。  日中にスコットに託した報告は、すでに王都に向けて拠点を発っていた。沼の崩落と水路に関する報告を、改めて事務方に預ける。そうして、騎士達の休息のための棟に移る途中で、スコットが言いづらそうに切り出した。 「それで室長、……すみません。今日はこんな状況なので十分に部屋がありませんでして、ダートを室長の部屋にご一緒させてくださいますか。」 「ん?えーと、うん、わかった。確保ありがとう。スコットはどうするの?」 「あっちの連中に、養成院の時の同期がいたので、そっちに転がり込んできます。――知らない先輩だらけの中一人より、室長と一緒のがいいだろ。」  スコットからそう水を向けられたダートが、少しの間返事を言い淀んでいると、アーネストの背中が、背後から強めに叩かれた。 「――ハネス!久しぶりだな。」  懐かしい声に思わず振り向く。  振り向いた先には、国境伯――新人の頃、世話になった先輩――が、にこやかな笑顔で立っていた。 「――先輩……、や、国境伯殿。お久しぶりでございます。」  そう言って一礼しようとすると、少し苦い顔になった伯爵がアーネストの肩を押し留める。 「先輩って呼んでくれよお前くらい。ハネスだって今じゃ師団長じゃないか。」  ハネスとは、アーネストのニックネームだ。室長と呼ばれるようになるまでは、ずっとそう呼ばれていた。 「悪いな。うちの連中が人数が多くて、迷惑をかける」 「とんでもないです。仕方がありませんよ。」  アーネストがそう言うと、伯爵――ヴァリオ先輩に肩を抱かれる。 「おし、お前んとこの若手くんのためにも、ハネスは俺んとこの部屋に来い。色々話聞かせてくれよ。」  ――正直、ありがたかった。  魔力譲渡の時間に覚える、あの例えようのない胸のときめき――もう、諦めてときめきと呼ぶことにした――をじっくり味わうのは、もはや避けようのないことで、その感覚を一人味わうこと自体は、もう慣れた。慣れたはずだ。  だが……、ときめきの源泉を目の前に、あの気持ちを味わって、とても自分が「室長」でいられる気はしなかったのだ。  ほっとした気持ちでヴァリオ先輩を見上げ、是非にとお願いしようとしたその時。ダートの声でアーネストの返事は妨げられた。 「国境伯殿。……失礼いたします。」 「ん?」  硬い表情でダートが先輩の顔を見据えている。それを見て、肩に置かれた手がなぜだか気になった。 「本日の任務にて、室長のご判断についてご教示いただきたいところがあります。……明日の任務にて必要なことと考えておりますので、大変恐れ入りますが、今夜は、室長とご一緒させていただきたく思います。」  ダートの言葉を遮りたくて、口を開く。だが、言うべき言葉が何も浮かばず、口を閉じた。 「今日何かあったのか?ハネス」  ぐいと体を引き寄せて尋ねられる。なぜだろうか、先輩の目を見上げることが躊躇われた。   「室長、フリードと一緒にいてやってくださいよ。こいつ多分、まだ()()()()慣れてないですから。」  ――スコット! 「ふはっ」   思わぬところから思わぬことを言われて絶句していると、ヴァリオ先輩が思わずといった具合で笑みを漏らした。肩を離され、背中をバシバシとたたかれる。 「お前、いい師団作ってるな。」 「……え?――まあそれは、はい。」  急にそんなことを言われて戸惑っているうちに、くっくっくっと押し込めきれていない笑い声を漏らしながら、また話聞かせろよ、と言い残してヴァリオ先輩が去っていった。  思わず体ごと振り向いて手を伸ばしかけ、……押し留める。 「えぇ、先輩……。」  連れて行って欲しかったのに。  ため息を飲み込むアーネストをよそに、じゃあ明日までに確認しとけよ、と言い残してスコットが去り、その場には、アーネストがダートと二人で取り残されていた。  

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