26 / 63
第25話 曝す
ダートはしばらくしてから、湯を持って部屋に戻ってきた。
以前の雨の夜のように、暖炉があるわけでもない、寒々しい拠点の部屋だ。冷えも疲れもあるはずのダートに湯を使わせないわけにはいかなかった。
やや無理やりに靴を脱がせ、湯を使わせる。とにかく足だけでも温めておけば、今夜しっかり休めるはずだ。
居心地が悪そうにしながらも、言われた通りに湯に足をつっこむダートの横で、アーネストは手拭いを濡らして足の裏を拭っていた。ぬかるみの中歩いた足を、ようやく清潔にして一息つく。
「……あのな、フリード。」
ついでに靴の手入れのために腰をかがめ、固まりかけた泥汚れを拭いながら声をかける。
ダートも、同じように装備の手入れをしながら返事をした。
「はい」
靴紐の先についた泥をつまんでほぐす。
「さっきのさ……、先輩の話な。」
ダートは、軽装鎧の隙間に挟まった細かい枯草を取り除いていたが、少し手を止める。
応答はないが、聞いてはいると判断して、話を続ける。
「別に、俺は誰かと番って、ディッカーになれてたらよかったなって、今はもう全然思ってないんだよ。」
かさ、と枯草と鎧の擦れる音がした。
指で靴紐を弾くと、かわいた泥汚れが、パッと散った。
「結果論だけど、俺はウルラの器があってよかったと思ってるし、その、お前ほどの思い入れとかじゃなかったけど、お前と番えてよかったなあと思ってるし」
なぜだか言えばいうほど恥ずかしくなって、顔を上げることが難しい。
革の縫い目にこびりついた泥の跡を、畳んだ手拭いの角でつつく。
「あー……、だから、なにがいいたいかというと。」
カシャ、と、音がして、少し目線をあげると、ダートが鎧を膝の上に置いたのが見えた。
「大丈夫です。」
「……大丈夫って?」
体を起こして、顔を上げると、膝の上の鎧に目線を落としたダートが、言葉を続けた。
「いえ……。室長が、俺と番いになったことに、後悔も、不満も、ないだろうことは、よくわかっています。」
「ない、ないよそんなの。」
「自分は」
ダートの、押し殺したような声に、思わず噛みつくように反論すると、その言葉を、ダートのはっきりした声で遮られる。
「室長の誇りを預かる栄誉をいただきました。――室長は、そのことを、室長の言葉で自分にくださいました。室長の、その信頼を、疑うことなんてありません。」
ぎゅう、と、胸の辺りが絞られる。毎夜味わう、ときめき、に似た、胸の痛みのような、重たさのような。それから、思わず背筋が伸びるような。
なにも言えずにいると、少し声を弱めて、ダートが続けた。
「ただ――。ただの、子供じみた嫉妬です。」
少しの間、ダートの横顔を眺める。
久しぶりに、かわいいなあ、と思ってしまった。もう、そういう間柄ではないのに。
「いや、子供じみてなんてない。……俺が不安にさせたんだ。悪かった。」
ダートに装備の手入れをさせている間に、アーネストは、使い終わった湯を捨てて桶を戻し、水差しに水を汲んだ。
少し考えてから、拠点のあちこちを回る。どうしても余分の毛布も布も見つけられなかったが、なんとか、下に敷く藁束だけは確保した。
一人前にしかならないが、ないよりずっとマシだ。
部屋に戻ると、ダートはアーネストの装備も丁寧に手入れしてくれていた。師団長になった時、肩書きに合わせて良い仕立てのものにした装備だ。使い込んではいるが、まだまだ使える。
ただ、最近それほど手入れをしていなかったので、丁寧に拭き上げられた金属部分が、いつもより光をよく吸って、アーネストの目を引いた。
「うわ、見違えるな。ここまでしてくれるとは思ってなかったよ。……ありがとう。」
思わず声を上げると、ダートが少し得意げに言った。
「室長、今度からは自分が引き受けます。室長には、ちゃんとかっこよくあっていただきたいです。」
「ぅあぁ、返す言葉もないな……」
先ほどよりずっとはきはきと言葉を返すダートに、こっそりと胸を撫で下ろしていると、ダートが藁束に気づいた。
「敷きますか?手伝います。」
「うん。一人分しかなさそうだから、フリードくんが使いな。」
「――だ、ダメです室長。室長が使ってください。」
「ええ、でもな――――」
初めての本格的な任務に、魔力の長時間行使。魔力量を多く使ったわけではないだろうが、行使していた間に、無視できない疲労がたまったはずだ。そんなダートを地べた寝かせるわけにはいかなかった。しかし、足湯と違ってダートも強硬に抵抗し、しまいには「室長が床でお休みになるなら、自分は立って寝ます。」とまで言い張る始末だ。
そんなことで言い合いをしているわけにもいかないので、途中で折れて、二人で一緒に寝床に転がり、一枚の布団にくるまって眠ることになった。
こうなるなら、せめて寝支度の間にでも魔力譲渡を済ませておくべきだった――
なんとか、あれこれ理由をつけて頼み込んで、壁側を確保する。ダートは訝しげな顔をしていたが、ふと何かに気づいたように黙り込み、最終的には壁側の場所をすんなりと譲ってくれた。
ひんやりとした空気が、壁つたいに降りてきて、転がったアーネストの鼻先を撫でる。背中に、同じく横になったダートの体温を感じるが、アーネストはその温度を努めて無視して目を閉じた。
口を引き結び、腹の底に力を入れて、拳を握る。
――いつでも来い。
そう自分に言い聞かせた。
「――室長」
押さえきれず、体が小さくはねる。
「俺の前で、魔力を受けるのは、怖いですか。」
「……ぁ、え?」
緊張にこわばっていたからか、答えた声が、思いがけず掠れていた。
「なにか、体が反応しないように、……構えてましたよね?」
――そうだった……。
これだけ体術の巧みなダートに、この至近距離で誤魔化せるはずもなかった。
「あぁ……、っと――」
観念して体を反転させると、寝床で半身を起こして、こちらをじっと見下ろすダートがいた。
痛いとか、苦しいのは嫌だ。そう言って、なんの痛みも残してくれなかった、あのダートがいた。
「――いや」
答えた唇が、わなないていた。
「――違う、そういうんじゃ、ない。」
小さなろうそく一つの灯り、その影が、ダートの顔を隠している。だが、じっと、見つめられているのがわかった。
「そういうんじゃないんだよ……。」
片方の手で、自分の目を覆う。見つめ合うのが、耐えがたかった。
「じゃあ……、自分の目の前で、――魔力を受けていただくことは、できますか。」
一瞬で、色々なことが頭を駆け巡る。
断れば、何かがあることを――それをダートに見せれば、ダートが不安がるような何か――肯定することになる。
それを知って、この誠実な部下が、今後自分に魔力を渡し続けられるのか――。
受け入れれば、アーネストは、あの耐えがたい「ときめき」を、その本人の目の前で、たっぷりと受け止めることになる。
もし、それで本当にこの部下のことを好きにでもなったら、どうするつもりだ。
――いや、同じことか。
ふと、気がついた。
これだけ毎晩、ダートへのときめきを味わわされて、いまさら本当に好きになったくらいで、何か変わることもない。関係が変わるわけでもないのだから。
「……できる。できるよ。」
横にしていた体を起こす。壁にもたれ、目を閉じて、気持ちを落ち着ける。
肩の力を抜いて、いつでもいいぞ、と声をかける。
しばらく、部屋の中を沈黙が満たしていたが、胸元で共鳴具が静かに震えた。
片膝を立てて、胸元から共鳴具を引っ張り出す。手のひらに握りしめ、立てた膝に腕をあずけた。
いつもより、長く震え続けた共鳴具は、やがておとなしくなった。
きゅぅぅう、と、胸を掴まれた気持ちになり、思わず深く息をする。少し、眉根がよったかもしれないが、これくらいはいいだろう。
鼓動が早くなり、頬が赤らむのも自分でわかる。だが、ろうそく一本の明かりでは、顔の赤らみまでは見えないはずだ。そこにいるダートのことを思うと、どうしても顔が緩んでしまいそうになる。
――くそ……、好きだ……。
毎日味わっているこのときめきの、その想いの先が今、そこにいる。目を開ければ、そこにいる。
どうしても止められず、口元に拳を当てると、細く息を吐く。鼓動の早さにつられて、吐く息まで飛び跳ねているように感じた。
目を開けて、この気持ちの向かう先を見たい。と思う。
だが、見てしまえば、決定的な何かが起きる気もしていた。
強く目を閉じて、じっと息を詰めたアーネストの耳に、ダートの身じろぎの音が、かすかに聞こえた。
ともだちにシェアしよう!

