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第33話 安堵
食器の音、何か泡立つようなものが、ゆるゆるかき混ぜられる音、息を吹きかける音。
「口、――開けてください。」
何も見えないのに、口元に視線を感じる。
見られていることを感じる。
下唇を舐めて、口を開いた。
「熱かったら、言ってください。」
何か、温かいものが、下唇にくっつけられる。少し熱くて、唇が震えた。
顔を動かし、咥内へ迎え入れる。柔く炊いた粥だった。
匙が引き抜かれ、粥が舌の上に残される。
「あち……」
「あっ、すみません。お水、お水いりますか。」
かちゃかちゃと食器の音がして、手にコップが持たされた。
少し頷いてみせて、口の中の粥を、その熱をなんとか逃がす。
少し口を開いて空気を呼び込み、舌と上顎で粥の熱をすりつぶし、少し苦労して、飲み込んだ。
喉が、大きく鳴った。
思わず喉元に手をやり、それから手を下に滑らせ、首の鎖を確認する。
その先、鎖につながるペンダント。それから、――共鳴具。
思わず息をついて、それから、舌を空気にあてる。
少し、熱かった。
ふいと、コップを持った手に触れられた。
ああ、水――。
コップを口元に運び、傾けようとして、少し勢いを押しとどめられた。それでも、口の端から少しこぼれて、水滴が垂れたのがわかった。
「あ、悪ぃ……」
コップが取り上げられて、布で口元を拭われる。なぜだか急に恥ずかしくなった。
「なにも……。室長は、いつも、なにも、悪くありません。」
拭った後を指でなぞられ、濡れていないか確かめられた。
その指の動きを、神経が追いかける。
「フリード――っ」
「すみません、次はちゃんと冷まします。」
見えない。それが、こんなに感覚を研ぎ澄まされるものだとは思ってもみなかった。
「――大丈夫、ありがとう。」
「……いえ。」
かすれた声でダートが答えた。
自分は今、どんな顔をしているだろう。
おかしい。この手の中、共鳴具は震えていない。
「口……、開けてください。」
「……ああ。」
薄く口をひらく。
匙の音がして、しばし間があいた。
もう少し大きく口をひらくと、再び下唇に触れてから、匙が差し込まれる。
舌先で熱さを確かめ、顔を動かして匙を迎え入れた。
舌の上に残る粥を、少しずつ噛み締め、飲み込んでいく。
唇の下をついと拭われ――指、だ。動きが止まった。
「――あ、す、すみません。」
「いや。――いい。ごめん。」
空気が、ふいと流れていった。
食器を片付けたダートは、スコットを伴って戻ってきた。
横にしていた体を起こそうとすると、二人から止められる。
「横になってても耳は聞こえるんですから、無駄なことしないでください。室長もそうするでしょう。」
「ああ……、うん。」
寝台の脇まできて、座ることなくそのままスコットは話を続けた。
「報告だけで自分は戻ります。フリードは……、介助のためここに残ります。勤務は一時外しています。」
「――いや、だが」
「管理課からもそのようにと。」
返す言葉を遮られ、口が止まった。
――そうか。
「管理課かぁ……。」
「――はい。」
そのまま、スコットから報告を聞いた。
崩落現場は、取り残されていた人々全員を退避させ、大きな怪我もなく無事事態収束したこと。
ダートが救出にあたっていた娘と仔馬、それから現場に駆けつけた騎士たちも、全員、無事退避したこと。
アーネストの展開していた結界を、ダートが引き継いで岸まで範囲を広げたため、その際にやや川べりの地形に影響が出たが、いずれにせよ、急な大水に地形の影響は免れなかったことであり、問題ないものと現場では判断していること。
下流域への大水の影響は少なく、一部橋桁の改修は必要だが、騎士の早期配備もあり人的被害はなかったこと。
ダートのその後の魔力の運用には問題はなく、ウルラへの譲渡の際にも違和感ないことについても本人の確認済みであること。
つまり、人々も、土地も、ディッカーにも、大きな問題はなかったこと。
「――うん。よかった。」
全ての報告を聞いて、安堵のため息が出た。
「――よくないですよ。」
硬い、スコットの声が聞こえた。
「――ん?」
「ディッカーに問題はなかったかもしれませんが、師団長が重傷を負いました。現在、魔力行使への影響は未確認、視力の回復についても未確認。」
「――ああ、うん。僕ディッカーじゃないからねえ。」
王国が誇る――王国が管理する、戦闘兵器、ではない。こ れ は、自分自身の資質。だから、問われる責任はあくまで替えの効く役職としての「師団長の負傷」。
「大丈夫、問題ない。よくわかった。――報告ありがとう。」
「――室長。」
「ああ、そうだ。ウィズに、臨時で室長権限を委任する。スコットは、セドリックと共にサポートしてくれ。一度に二人もいない状況だ、調整には苦労をかけると思う。」
しばし沈黙があった。
「スコット?」
足を揃え直す音。布の音。
「――了解致しました。」
うん。頷きで返して、目を閉じる。ああ、今自分は目を開けていたのか。今までどこを見ていたのか。
「室長、自分はここで待機しています。何かあればいつでもお声掛けください。」
耳に滑り込む低い声。
「ずっと貼り付いてなくていいよ。勤務でも任務でもないんだから。」
「――はい。でも、いさせてください。」
目を開いて、近づいた声の方へ、顔を向ける。
ダートの顔が見えなかった。
あのうるうるのお目目を見たいな、と思った。
今は、多分、いつもの生真面目な顔。いや、少し困った顔か。
頭の中のダートを思い出していたら、重苦しかった不安が少し和らいだ。
「――うん。」
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