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第35話 境界
官舎から統括本部まで。
歩き慣れた道を、手を引かれて歩く。
雨続きだった日々だが、この日は暖かい日差しに肌を撫でられており、――北部に派遣したセドリック達の状況が心配になった。
「カーター先輩は、先に向かっています。」
「うん。」
「室長代理もご同席くださるとのことです。」
「あっ、そうなんだ。忙しいのになんか悪いなあ……」
歩みを続けていると、ダートが少し身を寄せてきた。
「ん?」
「すみません、人が来ましたので。」
「ああ……、うん。」
前方から、人々の賑わいが近づいてくる。騎士達の一団のようだ。
前方から聞こえていた話し声が、ふいと静かになった。
足音、ひそやかなささやき声、人々の気配。
なるほど、腫れ物に触るとはこういうことかも知れない。
アーネストは、ペースを変えることなく歩みを続け、ダートはそれを支えていた。
自分は、――自分だ。
「――室長、到着しました。止まります。」
「うん。」
「室内に入られますか。」
「――うん。もちろん。」
伺うように尋ねてくるダートの方に向かって、軽く笑ってみせた。そのためにここまで来たのだから。
ダートがノックをして、名乗りを上げる。応えがあって、またダートに手を引かれた。
少しだけためらって――、手を引かれたまま室内に足を踏み入れた。
「アーネスト・ブリュージュ。お呼びとのことで参りました。」
室内には、書記官、スコット、ウィズ、それから、拠点に詰めていた隊の隊長殿がいた。
書記官が、同席者の名前を読み上げ、ダートがそのことに間違いないことをアーネストに告げた。
「――ありがとう。ここまででいい。」
小さくダートに礼を言うと、ダートの手が一度強くアーネストの手を握り。
それから、離した。
「――ブリュージュ……、室長殿。まずは、先日の体調確認において、我々の不手際があったことをお詫びします。」
聴取の場は、そんな書記官の、言いづらそうな言葉から始まった。
「――配慮が足りていませんでした。」
そう言われて、改めて思い返してみる。
だが、道のことを安易に口にしたのは自分だったはずだ。
むしろ、道のことを聞いてしまった書記官は、早々に話を切り上げて、その場を辞していた。
配慮が足りていなかったのは、自分自身だ。
「いいえ。――迂闊に、道のことを口にしたのは、私自身の認識の甘さゆえです。管理課からもご指導いただいたところです。こちらこそ、ご迷惑をおかけしたかと。」
口にするべきでなかったことを、簡単に口にした。
認識の甘さを改めて思い知る。
「いえ――、そうではなく……。」
書記官が言い淀むように言葉を詰まらせ、息を吐いた。
「発言をお許しいただけますか。」
ダートの声が、背後からアーネストを飛び越えた。
「……はい。」
「ありがとうございます。すでに公知のことですので申し上げますが、自分はブリュージュ室長のディッカーです。」
「フリード」
何を言う気なのか分からず、声で制止する。だが、ダートの言葉は止まらなかった。
「道の件、自分に責任があります。このような事態になっていることが、――おそらく室長にとって想定外でした。ご存知になったのも、書記官殿とお話しになったのも、お目覚めになってすぐのことでした。自分が、止めるべきでした。――申し訳ありません。」
空気の動きで、ダートが腰を折って頭を下げたことがわかる。
なぜだか、息がしづらくなって、大きく息を吸い込んだ。
「ご発言ありがとうございます。ただ、……フリードさん。それは、あの場に貴方がおられたからこそ言えることです。」
一つ咳払いをして、書記官が話を続けた。
「フリードさんがおっしゃったように、お目覚めになったばかりのタイミングでは、言うべきこと、言わざるべきことの区別が難しいであろうことを、我々が考慮すべきでした。本件は、そういった話です。」
では、はじめましょう。
書記官の言葉に、また空気がゆっくりと揺れた。
書記官からの聴取は、崩落現場での違和感の発見から始まった。
その場での判断材料、根拠、判断の内容。それらを擦り合わせ、順を追って確認する。
ダートから水流の制御を引き受けた判断では、ディッカーから、なぜ「正式には」ディッカーでないアーネストが制御を引き受けたのかを問われた。
この時、自身が――自分をウルラとできるだけの魔力の器を有していることを、説明して良いのか、少し迷った。
ダートはあの時、限界に近かった。交代の判断に、間違いがあったとは思えない。だが、ダートの限界に触れるのに、ためらいがあった。
「……それは――。」
「特殊師団のスコット・カーターです。発言をお許しください。」
言葉に詰まると、横からスコットが声を上げた。
「――どうぞ、カーターさん。」
明日から立ち上がる音。
「ブリュージュ室長……、師団長の、これまでの成果、実績を、統括本部の皆様はご存知のはずです。……正式なディッカーでなくとも、ディッカーに引けを取らない……、いえ、ディッカーをも凌ぐ魔力の出力と制御の実力があると示してこられた方です。」
少し、早口になってスコットがまくしたてた。
「カーターさん。」
書記官の声が、スコットの言葉を遮る。
「我々も、室長殿の実力は存じています。その上で」
とん、卓を指で叩いた音がした。
「ディッカーのフリードさんから、室長殿が制御を引き受けた合理的な理由が、あったはずではありませんか。」
背後で、息を吸う音が聞こえた。それで、アーネストは反射的に口を開いた。
「三十分。――急流の中、三十分間です。」
そう、一人で、――よくもたせた。
あの時、そう思ったはずだ。
「一人と一頭の足場を一人で確保し続け、対象を落ち着かせ、周辺を警戒し……。任命からまだ間もないことを考えると、正式なディッカーといえ限界であったと判断しました。」
仮に魔力がもっていたとしても。あの場での交代は、間違っていなかった。
言い切ってみて、改めて、判断には間違いはなかったと考える。
書記官が先を促した。
「なるほど……、それで、交代後はどのような対応をなさいましたか。」
水流の制御を、維持から、やや強引な押しやりに変えたこと。対象の救出と、騎士達の合流の流れを説明する。ここで拠点の隊長殿が発言した。対象が一名でなく、疲労もあり、水がなくなってもダート一人での救出では時間がかかったと考えられたこと。
それから、――想定を遥かに上回った水の壁について。
「その後の調べで、現場のすぐ上流に、これまで未確認であった伏流の存在が認められています。」
まず、書記官がそう切り出した。
「充分な調査はまだですが、上流から流れ込んだ水が岩場で押しとどめられ、今回決壊に至ったことで、急激な増水を招いた。そう判断するのが妥当でしょう。」
「――なるほど。それで、岩が。」
水の中から突然飛び出してきた岩。流木や、上流から流れてきたゴミなどと違い、それ自体がずっしりとした質量と、――速度を持っていた。
「そうですね。決壊の際の圧力が破壊した岩壁の一部だったかと思われます。」
思わず右目に手をやり、そのまま軽く握る。
「率直に、――想定外であり、制御しきれませんでした。」
「――なるほど……。」
背後で空気の動くのを感じたが、アーネストは気づかないふりをした。
あの時、全体の警戒を担っていたのは自分であり、ダートは対象の救出が役割だったのだから。
「それで、右側頭部を損傷、眼球も負傷、とのことですね。」
「怪我の詳細は、自分は把握しておりません。ただ、現場では両眼視界がありませんでした。」
「なるほど、続けてください。」
水の制御を一度は失いかけたこと、視力を失った状態では制御の回復が不可能であったことについて確認がなされた。
また、人命を優先して結界を構築し、その後フリードへ制御を移譲し魔力を使わせる判断に至った経緯についても、順に説明を求められた。
「――その……、ご自身の魔力を、フリードさんに使わせる判断としては。」
書記官にしては珍しく、言いづらそうに言葉を連ねた。
「はい。」
「……率直に、実現可能と考えていたのですか。」
――どうだろうか。
目を覚ましてからも度々振り返ってみたが、出来るはずだ、そう感じていた。そうとしか言えなかった。
できる確証は、――持っていなかった。
「――はじめに、まず、この判断は、フリードが、私のディッカーであったことが必要不可欠なものでした。」
どこまでを話すべきで、どこからは守るべきなのか。
ユーリの言葉を思い返しながら、言葉を続ける。
「また、――私の特性も加味して考える必要があります。」
「はい。」
「私は、ウルラではありますが、自分自身でその器に、潤沢に魔力を抱えています。この事例は、これまでに前例のないことで……、」
息を吸い込み、吐く。
「つまり、確証はありませんでしたし、他のウルラとディッカーでの再現検証も不可能であろうと考えます。」
言い切ってから、考える。ダートと自分ならば、検証は可能なのだと。
口にはしなかった。
「――成功できる確証はなかった、と言うことですね。」
「その通りです。」
「不確定な判断の結果、人命が失われるリスクについては考慮されましたか。」
「――あの場において有効な戦術資源は、私の魔力と、フリードの制御能力。それから、私と彼の間にある道。それ以外にありませんでした。」
いずれにせよ、やらなければ死んでいた。
全員。
「判断は、最善であったと考えています。」
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